このお寺は、ちょっと寄り道の散策の予定が、ご親切な住職に隅々まで案内頂き、すっかり長居をしてしまいました。
このお寺は、山号「恵照山」と号し、浄土宗に属します。またかつての所在地から「村雲寺」とも言います。その他、四脚の門は朱塗りで「赤門寺」とも、なんとも名前の多いお寺です。
境内は広々として、本堂にむかう幅も広くちょっと法隆寺の夢殿に向かう感じがします。
創建は最初「天台宗」で延暦年間(782~802年)賢憬大僧開都と伝えっれ、当時25大寺の一つに数えられていました。
たびたび火災にみまわれ健治2年(1276年)後宇多天皇の命により一条村雲にさいけんされ、室町期の末大永5年(1525年)に後柏原天皇により念仏三味堂の勅号を賜って浄土宗を兼ねるようになりました。後に智恩院に属しました。
この地に移ったのは、享保元年(1615年)です。
本堂は本尊阿弥陀如来像が安置されています。
寺宝には、二十五菩薩如来図(鎌倉時代・重文)、土佐光信筆十王像(室町時代・重文)が有りますが、保管の都合上宝物館に安置していると言う事です。
しかし、ご住職の案内で見どころは多く有ります。
本堂裏には、
狩野派から分かれた画家が描いた、釈迦図。又本堂には「山田分厚」画(明治初期)の雲龍天井図。この龍は鳴き龍です。
「啼き龍」で部屋の中央あたりで、手を叩くと、音が響いてかえって来ます。
ここにもこんな素晴らしい、龍図が有るとは思いませんでした。
屏風や衝立も歴史を感じます。
お庭も素晴らしい眺めです。
このお寺の本堂は入母屋造の礼堂と寄棟造を合わせた複合建築で、今ではこのお寺だけの建造物でひじょうに珍しい建て方と言うことです。
現在瓦のふきかえ中で、私も瓦に名前を書き、一枚寄進してきました。落慶は二年後と言う事です。
ご親切に案内頂いた、ご住職、貴重な時間、有難うございました。チャッカリ、ピーチク寄席と私のブログも宣伝しておきました
上京区淨福寺通一条上ル笹屋町2-601
いつか…また京都に行かなきゃな!
ご住職の人間も出来ていて、また、お寺もどこに出しても、
自信があるのです。そんな、お寺を私も探しています。
いい、お寺に出会えた事、これが「一期一会」ですか。
これが、本来の姿かな?
なにも、拝観料たくさん取って観光的なお寺よりも。また[E:heart]