「桓武天皇」がここ平安京に延暦13年(794年)に長岡京から遷都して、仏教は大きく変わりました。比叡山延暦寺に「最澄」、高野山金剛峯寺に「空海」を与え「平安二京」はいっきに繁栄しました。しかし、京に近い「比叡山」の道場に「空海」は度々は修業に訪れ、「最澄」が開祖した「天台宗」から数多くの仏教の宗派が開祖されています。いわば、「最澄」の「天台宗」と「空海」の「真言宗」は平安時代の初期は同一であったのでしょう。
「真言宗」の「空海」(没してからの諡号は弘法大師)は今でも壮大な「東寺」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20110913を残し、全国に多くの寺院や橋などの建造物、また仏像・仏画を残しました。
しかし「比叡山延暦寺」の祖「最澄」(没してからの諡号は伝教大師)は多くの弟子を持ち、いっきに平安仏教の教えを全国に広めました。
この両者の違いは、ともかく、奈良時代の「南都六宗」から、「平安遷都」後の「平安二京」で瞬く間に日本国中仏教の花が咲いたと言っても過言ではないでしょう。
また、「鎌倉時代」から特に、武士に仏教が浸透して「鎌倉仏教」その後、「室町時代」に京都では多いにきらびやかな仏教が栄え、庶民に浸透して、多くの仏教開祖がうまれ、江戸時代から現在に至るまで、なんと日本の人口の95%が仏教徒と言う世界でも希有な国家になりました。
幕末から明治維新にかけて、「神仏分離令」や「廃仏毀釈」などで仏教におおきな弾圧が加えられましたが、現在では仏教(宗派は別にして)観光地でも、寺院無くしては、無味乾燥な物となっていることでしょう。
次に、この天台の祖から系譜を簡単に文開いてみたいと思います。その前に簡単ですが仏教のながれを。
余談ですが、前記に記載しましたが、簡単な仏教のおさらいを記載します。
(注)開祖(代表的な祖)
華厳宗:審祥 法相宗:道照 律宗:鑑真
真言宗:弘法大師 天台宗:伝教大師 日蓮宗:立正大師(日蓮)
浄土宗:円光大師(法然) 浄土真宗(真宗・一向宗):見真大師(親鸞)
曹洞宗:承陽大師(道元) 臨済宗:千光国師(栄西)
黄檗宗:真空大師・華光大師(隠元)いんげん豆の語源
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