散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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「もみない」のこと「厠」のことなど

2019-04-20 11:08:20 | 日記

2019年4月19日(金)

 昨日の朝刊が西村玲さんを大きくとりあげている。とするとあれは・・・ハハハ、まさかね。
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 『陰翳礼讃』を読んでいたら『御伽草子』の話が出て来たので、それで道草を食ったところあんまり旨くてすっかりハマり、『陰翳礼讃』のほうが中断してしまったといういつものパターン。御伽草子についてはあらためて扱うとして。
 中公文庫は標題の『陰翳礼讃』(昭和8年「経済往来」)の他、下記の随筆を収める。
  『懶惰の説』 昭和5年「中央公論」
  『恋愛及び色情』 昭和6年「婦人公論」
  『客ぎらい』 昭和23年「文学の世界」
  『旅のいろいろ』 昭和10年「文藝春秋」
  『厠のいろいろ』 昭和10年「経済往来」
 読み進めるにつれ、時代とともに変わったことと、驚くほど変わらないことがこもごも現れてきて、その面でも面白い。
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 谷崎はもともと生粋の江戸/東京人であったのに、後半生はすっかり関西の人となった。その谷崎が『旅のいろいろ』にこんなことを書いている。

 「なるほど、大阪人はこの点(= 乗客の公徳心:石丸註)において東京人よりも憶(たしか)にだらしがない。私は近頃何事にも大阪の方を贔屓にするが、こればかりは東京人に劣る。現に大阪人自身が、地方を旅行中汽車や何かで大阪の人に行き遇うと嫌な気がする、という。なぜなら、家族同伴で二等室に陣取りながら、廣い場所を傍若無人に占領したり、行儀の悪い格好で飲み食いしたり、無遠慮な声でしゃべったり・・・(中略)・・・」(P. 145)

 昭和10年と比べて今がどうかというのは興味深いところで、通路を挟んで向かい合わせに座った一団が、通路越しに遠慮もなく談笑するという風景は、今でも大阪にあって東京にないものである。僕にはそのことがさほど公徳心の欠落徴候と感じられず、むしろ東西遍きスマホ・イヤホン症候群のほうが気になるけれど。
 続いて下記。

 「しかし東京人といえども大阪人を嗤う資格があるのではない・・・(中略)・・・たとえば、実にちょっとしたことだけれども、食堂へ行く時、便所へ行く時等に、通り道のドーアをキチンと締めて行く者がない。冬など、ほんの僅かな時間があっても寒い空気がスウスウ這入ってくるのだし、まして便所の傍であると臭い風が襲ってくるのは分かりきっていることだのに、後ろ手でバタンと締めたきり、振り返っても見ずに行ってしまうから、あとが大概一二寸はあいているので、誰かがもう一遍締め直さなければならない。出入口の近所に席を占めた者は災難で、何回もこの役をやらされる。自分ばかりがやらされるのは業腹だからと思っても、放っておけば結局自分が寒い風や臭い風を真っ先に浴びることになるので、どうしても手を出してしまう。誰しもこういう忌々しい目に遭っている筈でありながら、自分が通行する時は平気で他人に迷惑を与える・・・」(P.145-6)

 これは今どきの東京メトロも全く変わらぬ話で、昭和10年と違うのは「便所の臭い風」が一掃されたことだけである。公徳心の向上をもってこの問題を解決することはついにできず、最近のドアは手を放せば自然に閉まるよう設計されているが、たまにこのカラクリが不調だと谷崎が憤慨したのと全く同じ光景が、確実に再現されるのである。
 ところで、『旅のいろいろ』で田舎の旅籠屋の魅力について語ったくだり、

 「・・・料理なども、二の膳つきで、湯たんぽ以上のものは望めない。便所も水洗式などと云う訳には行かぬ。料理なども、二の膳つきで、さまざまな色どりは並ぶけれども、味はまずいのが普通で、上方語のいわゆる「もみない」ものと思わねばならない。」(P.150)

 「もみない」に首を傾げた。伊豫弁が広義の関西語圏に属するのと、家人が近畿出身であるのとで、上方語にはそこそこ慣れているつもりだったのに、これは聞いたことがない。
 スマホ検索したら、すぐに出てきた。
 
 「久しぶりの居酒屋で、とっても懐かしい大阪弁を聞きました。それは、『もみない』って言う言葉です。私たちが小さい時に、よく使っていた言葉ですが、最近は滅多に聞きません・・・」

 以下、こちらに詳しく面白く書かれており、おかげて疑問がすっきり氷解。
➝ https://blogs.yahoo.co.jp/totemodaisukideburin2005/40323208.html
 谷崎は端的に「美味ならず」の意味で使っており、辞書的にはそれでよいのかもしれないが、どうやら現代(少なくともつい最近まで)の大阪では「味が薄い」といった物足りなさを表すようである。「味気ない」といったら、そこそこ近いだろうか。
 なお、辞書にある用例でいちばん気に入ったのはこれ。

 「一人の娘に親の身で、もむない男を食はさうか」(浄瑠璃・今宮)
中田祝夫『新選古語辞典 改訂新版』
 「もむない男」も「食わす」もよい。

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 谷崎の書くものには「便所」がよく出てくる。これ実は意味のあることで、人を描くに食や性が重要であるなら、排泄のことも同様に重要なのだという主張ではあるまいか。そこにこそ文化があり、そうした臭いものにただ蓋をするなら、およそ書くことは意義を失うのだろうと思う。ガルシア・マルケスの『百年の孤独』に、部屋壺について克明な描写の展開される章が確かあったな。
 とはいえ、まあムキつけに書いたもので、そこに東西の文化比較が織り込まれるのも面白い。こんなのもある。

 「上山草人の話をきくと、アメリカでは礼儀作法が実にやかましい。男子が女子の前で肉体の一部を見せてならないことはもちろん、鼻をかんでも啜っても咳をしてもいけない。だから風邪でも引いた時は何処へも出られず、一日家に籠もっているより仕方がないと云う。この調子だと、今にアメリカ人は鼻の穴から臀の穴まで、舐めてもいいようにキレイに掃除をし、垂れる糞までが麝香のような匂を放つようにしなければ、真の文明人ではないと云い出すかも知れない。」(P.64)

 これなどは「時代とともに変わった」ほうの話で、「今にアメリカ人は」と谷崎の皮肉ったことが、ある世代以降の日本の都会人にとってほぼ現実になっていることを、泉下でどう観じておいでだろうか。それにしてもやれやれ、ここまで書かずともと凡人の溜息、最後のくだりでは芥川の『好色』など連想したが、かつて芥川と文学史上に残る論争を為した谷崎は、次の行でその芥川に触れる逸話を語っている。

 「これと似たような話は、かつて故芥川君から又聞きしたのだが、成瀬正一氏が独で或る家に客となって、芥川君の『或る日の大石内蔵助』をその場で訳しながら読んで聴かせた時、「内蔵助は立って厠へ行った」と云う句に行き当たってハタとつかえた。そしてとうとう「厠」と云う語を訳さずにしまったと云うのである。」(P.64-5)

 こんな具合だから、最後に収められた『厠のいろいろ』がどれほど興味深いウンチクに満ちているかは言うまでもなく、すべての読書人に一読を勧めたい快/怪篇である。国語の教員になった次男氏に、中高の教材で使うよう提案してみようかな。
 なお、「『或る日の大石内蔵助』をその場で(ドイツ語に)訳しながら読んで聴かせ」るという知的能力は、むろん凡庸なものではない。成瀬正一(1892-1936)は、ロマン・ロランの翻訳・紹介を遺したフランス文学者である。ドイツ文学者の誤りではない。



***

 道草の末にめでたく通読を終え、さて最後に「解説」をというところで一驚を喫した。中公文庫昭和50年版の解説の筆者が、他ならぬ吉行淳之介なのである。
 ついこの間、こう書いた。
 「1994年にアメリカへ渡るとき、しっかりした日本語を携えていきたいと選んだのが自分でも驚く吉行淳之介だったが、谷崎を食わず嫌いしていなかったら当然鞄に入れたに違いない。 」
 作家Aの解説を作家Bが書くという場合、必ずしもAとBの作風が同じとは限らない。しかし少なくともBはAの芸を充分に理解しており、これを紹介・解説する力量をもつことが求められる。そういう大きな意味で、AとBは何かしら共通のカテゴリーに属するものと見ることができるだろう。
 異郷で頼みとする日本語文の書き手として、谷崎と吉行を並べ挙げたこと、それにある種の裏書きを得たような気がして少々自慢なのだった。

Ω
 

「同文同種」今日篇

2019-04-18 23:24:56 | 日記
2019年4月18日(木)
 台湾東部でM6超の地震があったと知り、さっそく台北の友人にお見舞いのメールを送った。同市内では地下鉄が止まり負傷者が出た模様だが、幸いその限度にとどまっているとのこと。

 見舞いを謝す文面 ー もちろん英語 ー に続いて Congratulations の文字が踊っている。何かと思ったら、来月の新天皇即位と改元のことだ。台湾人は日本のことを実によく見まもっている。

 この友人は Dr. Ho Tzyy-Chang という眼科医で、漢字で書けば河子昌先生となる。僕と「昌」の字を共有しているが、セントルイス時代にはついでに韓国人ビジネスマンの Han Chang-Soo というのがいて、こちらも Chang は漢字で「昌」と書くのだとわかり大いに盛りあがった。もっとも韓国人は漢字を使うのを表向きやめてしまったから、この男は自分の名を漢字でどう書くのか、夫人に聞かねばならなかったのである。公の世界から排除された文化要素が女性によって守られるという点で、平安時代に仮名文字が女性によって育まれたことを連想したりした。

 さて、このたび子昌氏が嬉しそうに書いてきたのは夫人の名のことである。女医さんでもあるこの才媛は Ling-Mei といい、漢字で書くと令楣となる。日本の新元号に令の字が入っていると知って、すっかり御満悦なのだそうだ。のみならず、心温かい御夫婦はこちらの名前の漢字表記をよく覚えており、「奥さんの綴り字が新元号に入って、そちらも大いに喜んでいるでしょう」と訊いてきたものだ。どうも恐れ入りました。

 当方からの返信が下記。ヘタクソな英文を敢えてさらすのは、台湾人と日本人の間で「漢字まじり英文」という世にも愉快なコミュニケーションが成立することを記しておきたいからである。
 漢字万歳! 

 ...Actually she seems to be happy only modestly, since the letter 和 is almost too popular as it designates Japan herself, and has already been used for 元号 several times including 昭和(1926-1989).  So the letter 令 is the really unique part of the new name.  
 Please tell Ling-Mei our big appreciation, and God bless our ladies, for the new age is now being opened for them.

Ω

若駒

2019-04-18 11:14:10 | 日記
2019年4月18日(木)

 HH先生より久方ぶりの来信。今は宮崎に住まわれ、御夫妻で釣りや山菜採りなど豊かな自然を満喫する日々とのこと。
 これが写真と聞いて驚いた。はじめから白黒で撮ったものか、画像処理で白黒に変えたものか、何しろモノトーンの表現力を痛感する。
 シルエットは志布志湾都井岬に住む野生馬、現在150頭ほども棲息する由。宮崎から鹿児島まで足を伸ばされたのだ。

 その昔、熊本の陸軍幼年学校に父が在学した頃のこと。ある休暇に一人の生徒が仲よしを誘い、鹿児島まで徒歩で帰省した。難儀な珍道中の様子を、後日みなが聞いて楽しんだという。西南戦争で西郷軍が北上し、また南下した行路でもあったろうか。
 お二人とも90代で健在、ただ、お一人とは先般電話で話す機会があったが、もうお一方は現在施設にあり連絡がとれないという。
 
春草を若駒食めり二三頭

Ω

ハーフ

2019-04-15 23:32:02 | 日記

2019年4月11日(木)

 最寄駅のホームで長身の白人男性が、前を通り過ぎる親子連れに声をかけた。

 「かわいいね、手に何もってるの?」

 "rice cracker" と即座に返した母なる女性の、反応の速さと発音が日本人離れしている。微笑の風を残し幼女の手を引いて歩み去るのへ、白人男性また間髪入れず「英語、上手ね!」

 この布置で、つり込まれるなというのが無理な話で、考えるより早く

 「そういうあなたは、日本語上手ね」

 声をかけていた。男性がふりむき、
 
 「わたし?日本語上手?だって、わたしハ―フよ。見えない?そう言われるね」
 
 ビジネススーツにアタッシュケース、50がらみの禿頭の紳士の、表情にも言葉にもいたずらな微笑が満ちている。医者と名のったら「何の医者?」ときた。「内科?外科?切る人、切らない人?精神科!おお、いちばんアブナい人ね」
 
 冗談ずくめかと思えば、
 
 「男性と女性、精神科の患者さんはきっと女性が多いでしょう?日本の女性は余裕がなくて、ヒステリーが多いからね」
 
 しっ、声が大きい。だいいち「ヒステリー」は業界的にはほぼアウトなんだから。それにしても、
 
 「ハーフってのは、お父さんとお母さんと、どっちが日本人なの?」
 
 「ああ、あれね、私ハーフっていったのは、お父さんとお母さんのハーフってことよ、あはは。気に入った?よかったら使ってね」
 
 はいはいやられました、アメリカではこういうひっかけが日常的にあったな。
 ニュージーランド生まれという彼は、名刺によると世田谷区内でコンサルタント会社を経営している。夫人が日本人なのだそうで、日本語の巧みさも女性評も、そういう背景があったのね。ヒステリー説はさておきストレス状況は見逃せない、現に日本の女性の自殺率は世界で3番目に高いが、余裕がないのは女性に限ったことではないなどと伝え、ついでに、二ュージーランドは住民の幸福度も世界屈指の高さ、日本よりよほど住みやすいでしょうとお世辞を使ったら、ここではウーンと考えこんだ。謙虚にものを考えるなら、自国には思い複雑、採点辛めになるとしたものである。しばらく言葉を選んだ末、
 
 「治安は日本の方がいいよ」
 
 と、そこに戻ってきた。折しもクライストチャーチでイスラム教徒に対する大量殺人があったばかりだが、
 
 「テロはね、今はどこでもある。日本でも地下鉄サリン、あったでしょ。それにNZのあの事件の主犯はオーストラリア人でね、ちょっと安心した」とまたイタズラ笑いして、「もっと日常の治安のこと、これは日本の方がいいね」と三度強調する。あの事件は移民に寛容な政策の必然的な結果だと評したオーストラリアの極右議員に、17歳の少年が生卵をぶつけて殴られたことを思い出したが、話題にする時間もない。10分程で目黒に着き、さっさかスタスタ振り返りもせずに降りていった。
 
 短い時間で伝えられなかったことが、実はもうひとつある。「お父さんとお母さんのハーフ」というナゾかけは初耳ではない、ずっと前に聞いて感心したことがあった。
 
 太田幸司である。
 
 昭和44年、夏の甲子園第51回大会決勝、三沢高校のエースとして松山商業相手に延長18回ひきわけ再試合の激闘を演じ、惜敗の準優勝に輝いたあの太田幸司。僕は豫州少年だったから打倒三沢を願ってTVにかじりつき、ひきわけとなった直後には熱まで出して寝込んだが、むろんアッパレな相手が憎くてではない。太田が近鉄バッファローズに鳴物入りで入団してからは、活躍・大成を期待したものだった。
 
 その太田の出自が少々複雑であることを、今ではインターネットであからさまに読まされてしまうが、当時そんなことは知りもせず興味もない。白皙の美男子ぶりと恵まれた体格が、どこか「大鵬に似てるな」と思ったぐらいである。ただ、少し後になって太田幸司の活躍を描いたマンガを少年誌で読んだ記憶がある。その中にある逸話が描かれていた。「アイノコ」とからかわれ、ふさいでいる幸司少年に、父親が「いいこと教えてあげよう」と耳打ちする。「人間は誰でも皆、お父さんとお母さんのアイノコなんだよ」と。
 
 紙面から伝わった温かい雰囲気を、剽軽たNZ人が半世紀ぶりに思い出させてくれた。
 
 入れかわりに乗ってきたのは白丈の若い女性で、立ったままイヤホンをつけてスマホを使っている。右前の座席が空いていることを伝えると、朗らかに礼を述べ、見えているかのようなムダのない身のこなしでスルリと腰をおろした。
 
 念の入った出不精で、とりわけ人混みは嫌いぬいているが、出れば出たでこんなことも起きるのである。
 

https://www.afpbb.com/articles/-/3220021

 

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201806/20180627_74053.html

Ω

 

銀という名をもつ国

2019-04-11 12:37:59 | 日記

2019年4月11日(木)

 昨日の朝刊、ドラえもんのクイズは「元素の名前が国名の由来になっている国が南米にある、さてどこか」というものである。ひと考えしてアルゼンチンのことを言ってるらしいと思い当たったが、やや首を傾げた。
 
 「大航海時代、スペイン人探検隊が先住民から銀をもらった。銀のラテン語名アルゲントゥム(argentum)が国名(Argentina)のもとになった。銀の元素記号Agも同じ言葉に由来する」
 と解説にある。ちょっとハメられた感じがしないだろうか。
 
 argentumは確かに元素名でもあるが、国名の由来は元素としての銀ではなく、あくまで先住民からプレゼントされた貴金属として銀である。「銀 argentum」という言葉が一方でアルゼンチンの国名になり、他方で元素記号Agのもとにもなったというのが正しく、「元素の名前が国名の由来になっ」たわけではない。つまり、「A➝B かつ A➝C」であるところを、出題は「B➝C」と言い換えている。論理的に誤りといえば大げさだが、微妙に不誠実、軽微ながら詭弁であることは争えない。メディアにとって、言葉は命ではないか。
 
 つまらないことにこだわるようだけれど、この種の軽微な詭弁、微妙な不誠実が、公論の秩序といったものを根から食い荒らすのだ。言葉(論理)はきちんと使いたい。いっぽうでは放送大学の卒研生の中にも、言葉を適切に使って考えることに全力を傾注する若者があり、そうした姿を見ると「まだ何とかなるかもしれない」と思うのである。
 
 
Ω