散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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脳の結び目を解(ほど)くか切るか

2019-04-20 11:31:06 | 日記
2019年4月20日(土)
 デルフォイの神殿に複雑に結ばれた紐があり、その結び目を解いた者は世界の覇者となる、との神託が付されていた。マケドニアのアレクサンドロスが立ち寄ったとき、ほどこうとしてほどけず、やおら剣で結び目を切ってのけた。後にアレクサンドロスの偉業を見て、人々はそれが正しい解法であったことを知った・・・と、確かそんな話。
 昨年入手した『玄々碁経』は南宋時代に編まれ、元代に再編・出版された詰碁・手筋の古典教科書。そのレベルの高さと後世への影響もさることながら、400題近い問題のすべてに古典や故事を踏まえた題名が与えられているのが、いかにも中国のものらしい楽しみである。
 一題一題楽しみにたどるうち、『解連環勢』という問題に出会った。東洋文庫の『玄玄碁経』は『官子譜』などと同じく呉清源師の解説がついているのも嬉しい。そこにこのようにある。
 「秦の昭襄王が斉の王后に連環(知恵の輪)をおくり、斉の朝臣が解きかねていると、王后が錐でこれをつき破って解いた故事による。」
 『戦国策』中の『斉策』由来というが、面白いものだ。アレクサンドロスの故事は紀元前4世紀、『戦国策』の編纂は紀元1世紀のことなので、「伝播」と考えるならギリシアの話がオリジナルなのだろうが、そうではあるまい。西にも東にも似たような話がある、ということだろうと思う。
『玄玄碁経 1』(東洋文庫) P.115
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 実は先週、畏友K君から突然、長文のメールをもらった。その内容が、ちょうどこの種の「同時多発性」により本格的・本質的なやり方で触れており、それを脳科学によって基礎づけようとするK君の壮大な野心が垣間見えている。
 この話題を語る相手として選んだもらったことは光栄ながら、応答するには何さまテーマが巨大であり当方は非才である。まずはK君の許諾を得てメール本文をここに転載し、自分の励みとするとともに、どこかの天才の目に触れるのを待つことにする。
 いや、参ったな・・・

【第一信】
 先日ふとしたきっかけで、貝塚茂樹の岩波新書「諸子百家」を眺めていたところ、明治時代の思想家、綱島栄一郎の遺著「春秋倫理思想史」という本の存在を知りました(国会図書館からPDFをダウンロードししました)。貝塚先生が強調していたのは、綱島先生が哲学として見た、孔子とソクラテスの驚くほどの類似性を指摘したことの先見性で、それを更に進めて、貝塚先生ご自身も諸子百家と集団としてのギリシャの哲学者の類似性に言及しておられました。 
 文系的な教養をほぼ完全に欠く自分としては、この話は驚嘆すべきことでしたので、ならばと考えて、イスラム哲学(プラトン・アリストテレスの強い影響を受けていることは自分も知っておりました)(井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』)やインド哲学、仏教哲学の入門書(いずれも岩波新書)を買い求めてみると、(いずれも内容を理解したとは申せません、念のため)、異なる背景を持ち、お互いの存在をあまり知らなかったはずの、あるいは独自性を追求したであろうこれらの(宗教)哲学が、究極の奥義と言えるような深いところで似たような結論に到達しているという不思議な光景が現れました。
 例えて言うならば、地球上の同じ場所から互いに背を向け合って異なる方向に進んだはずが、地球を半周したら同じ場所で再び出合ったというような感じでしょうか?
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 自己の内部に向き合おうとしたときに、異なるアプローチが類似した景色を見出しているという構図は、ユングの「原型」が民族の違いを越えて繰り返し類似のモチーフとして現れているという指摘をいやが上にも思い出させられる気がしました。哲学と原型の表面的な類似性を突き詰めれば、そこに共通して現れるのは脳です。だからそれは、我々の脳の成り立ちや仕組みに根っこがあるのではないかという、単純な結論に到達するように思われます(それ以外ないだろうというツッコミも当然です)。
 脳が、地球の例えの場合であれば球という特別な構造を持つゆえに、反対に進み続けると再び出合うのと同様に、人間の思考が脳に拘束されているという、失望するくらい当たり前の結論です。こんな単純な結論は既に繰り返し主張されているとも思われます。文献があれば教えていただければ幸いです。

【第二信】
 2010年に、木田元先生の現象学に関係した本(もちろん入門書です)をいくつか読んだときに(2010年の9月の日経「私の履歴書」に木田先生が書かれていたのを偶然目にして興味を持つ機会がありました)、現象学、もっと広く言えば哲学が、ある意味で行き詰まっているように見える(素人にも理解出来るような現状と将来に関する見通しがない・・・脳科学も全く同様なのですが、自分のことは棚に上げる人間の宿命からは私も逃れられません)のに驚きました。
 その原因は、ひょっとすると哲学の依って立つ言語そのものの特性、不完全さによるのではないかと感じました。数学の論理が常に万能ではないというゲーデルの不完全性定理からの表面的な類推でした。地面に土台が固定された上に建物を作る状況とは違い、個々の単語の定義が動きながら相互に依存し合う宇宙空間に似た状況と言えるかも知れない言語を使っては、概念の揺るぎない静的な記述は難しそうだな・・・少しぐらぐらしそう・・・という、ぼんやりした印象に基づくものです。
 言語が脳に依存しているとすれば、ひとまず言語の特性は脳の成り立ちと仕組みに依存すると仮定してみようと思いました。もしかしたら、言語の不完全さ(?)とそれに根ざしているかもしれない(??)哲学の困難も、哲学そのものの中にいては見つけるのは難しく、むしろ脳の特性という全くの外から見た方がヒントが得られるのではないかと、妄想した次第です。
 もちろん、脳そのものの研究が停滞している現状で、脳と言語などという壮大な大風呂敷に、1ミクロンの進歩も得られていません。ただ、ヒトに於いて脳が言語を駆使して自己表現する状況は、脳の進化を通して発達してきた、脳が多数の筋肉を駆使して自在に運動する仕組みを転用して出現したに違いないと思われます。だから回り道にはなりますが、身体を動かす脳の仕組みの研究をうまくやれば、運が良ければ哲学に通ずると期待しております!

Ω

「もみない」のこと「厠」のことなど

2019-04-20 11:08:20 | 日記

2019年4月19日(金)

 昨日の朝刊が西村玲さんを大きくとりあげている。とするとあれは・・・ハハハ、まさかね。
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 『陰翳礼讃』を読んでいたら『御伽草子』の話が出て来たので、それで道草を食ったところあんまり旨くてすっかりハマり、『陰翳礼讃』のほうが中断してしまったといういつものパターン。御伽草子についてはあらためて扱うとして。
 中公文庫は標題の『陰翳礼讃』(昭和8年「経済往来」)の他、下記の随筆を収める。
  『懶惰の説』 昭和5年「中央公論」
  『恋愛及び色情』 昭和6年「婦人公論」
  『客ぎらい』 昭和23年「文学の世界」
  『旅のいろいろ』 昭和10年「文藝春秋」
  『厠のいろいろ』 昭和10年「経済往来」
 読み進めるにつれ、時代とともに変わったことと、驚くほど変わらないことがこもごも現れてきて、その面でも面白い。
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 谷崎はもともと生粋の江戸/東京人であったのに、後半生はすっかり関西の人となった。その谷崎が『旅のいろいろ』にこんなことを書いている。

 「なるほど、大阪人はこの点(= 乗客の公徳心:石丸註)において東京人よりも憶(たしか)にだらしがない。私は近頃何事にも大阪の方を贔屓にするが、こればかりは東京人に劣る。現に大阪人自身が、地方を旅行中汽車や何かで大阪の人に行き遇うと嫌な気がする、という。なぜなら、家族同伴で二等室に陣取りながら、廣い場所を傍若無人に占領したり、行儀の悪い格好で飲み食いしたり、無遠慮な声でしゃべったり・・・(中略)・・・」(P. 145)

 昭和10年と比べて今がどうかというのは興味深いところで、通路を挟んで向かい合わせに座った一団が、通路越しに遠慮もなく談笑するという風景は、今でも大阪にあって東京にないものである。僕にはそのことがさほど公徳心の欠落徴候と感じられず、むしろ東西遍きスマホ・イヤホン症候群のほうが気になるけれど。
 続いて下記。

 「しかし東京人といえども大阪人を嗤う資格があるのではない・・・(中略)・・・たとえば、実にちょっとしたことだけれども、食堂へ行く時、便所へ行く時等に、通り道のドーアをキチンと締めて行く者がない。冬など、ほんの僅かな時間があっても寒い空気がスウスウ這入ってくるのだし、まして便所の傍であると臭い風が襲ってくるのは分かりきっていることだのに、後ろ手でバタンと締めたきり、振り返っても見ずに行ってしまうから、あとが大概一二寸はあいているので、誰かがもう一遍締め直さなければならない。出入口の近所に席を占めた者は災難で、何回もこの役をやらされる。自分ばかりがやらされるのは業腹だからと思っても、放っておけば結局自分が寒い風や臭い風を真っ先に浴びることになるので、どうしても手を出してしまう。誰しもこういう忌々しい目に遭っている筈でありながら、自分が通行する時は平気で他人に迷惑を与える・・・」(P.145-6)

 これは今どきの東京メトロも全く変わらぬ話で、昭和10年と違うのは「便所の臭い風」が一掃されたことだけである。公徳心の向上をもってこの問題を解決することはついにできず、最近のドアは手を放せば自然に閉まるよう設計されているが、たまにこのカラクリが不調だと谷崎が憤慨したのと全く同じ光景が、確実に再現されるのである。
 ところで、『旅のいろいろ』で田舎の旅籠屋の魅力について語ったくだり、

 「・・・料理なども、二の膳つきで、湯たんぽ以上のものは望めない。便所も水洗式などと云う訳には行かぬ。料理なども、二の膳つきで、さまざまな色どりは並ぶけれども、味はまずいのが普通で、上方語のいわゆる「もみない」ものと思わねばならない。」(P.150)

 「もみない」に首を傾げた。伊豫弁が広義の関西語圏に属するのと、家人が近畿出身であるのとで、上方語にはそこそこ慣れているつもりだったのに、これは聞いたことがない。
 スマホ検索したら、すぐに出てきた。
 
 「久しぶりの居酒屋で、とっても懐かしい大阪弁を聞きました。それは、『もみない』って言う言葉です。私たちが小さい時に、よく使っていた言葉ですが、最近は滅多に聞きません・・・」

 以下、こちらに詳しく面白く書かれており、おかげて疑問がすっきり氷解。
➝ https://blogs.yahoo.co.jp/totemodaisukideburin2005/40323208.html
 谷崎は端的に「美味ならず」の意味で使っており、辞書的にはそれでよいのかもしれないが、どうやら現代(少なくともつい最近まで)の大阪では「味が薄い」といった物足りなさを表すようである。「味気ない」といったら、そこそこ近いだろうか。
 なお、辞書にある用例でいちばん気に入ったのはこれ。

 「一人の娘に親の身で、もむない男を食はさうか」(浄瑠璃・今宮)
中田祝夫『新選古語辞典 改訂新版』
 「もむない男」も「食わす」もよい。

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 谷崎の書くものには「便所」がよく出てくる。これ実は意味のあることで、人を描くに食や性が重要であるなら、排泄のことも同様に重要なのだという主張ではあるまいか。そこにこそ文化があり、そうした臭いものにただ蓋をするなら、およそ書くことは意義を失うのだろうと思う。ガルシア・マルケスの『百年の孤独』に、部屋壺について克明な描写の展開される章が確かあったな。
 とはいえ、まあムキつけに書いたもので、そこに東西の文化比較が織り込まれるのも面白い。こんなのもある。

 「上山草人の話をきくと、アメリカでは礼儀作法が実にやかましい。男子が女子の前で肉体の一部を見せてならないことはもちろん、鼻をかんでも啜っても咳をしてもいけない。だから風邪でも引いた時は何処へも出られず、一日家に籠もっているより仕方がないと云う。この調子だと、今にアメリカ人は鼻の穴から臀の穴まで、舐めてもいいようにキレイに掃除をし、垂れる糞までが麝香のような匂を放つようにしなければ、真の文明人ではないと云い出すかも知れない。」(P.64)

 これなどは「時代とともに変わった」ほうの話で、「今にアメリカ人は」と谷崎の皮肉ったことが、ある世代以降の日本の都会人にとってほぼ現実になっていることを、泉下でどう観じておいでだろうか。それにしてもやれやれ、ここまで書かずともと凡人の溜息、最後のくだりでは芥川の『好色』など連想したが、かつて芥川と文学史上に残る論争を為した谷崎は、次の行でその芥川に触れる逸話を語っている。

 「これと似たような話は、かつて故芥川君から又聞きしたのだが、成瀬正一氏が独で或る家に客となって、芥川君の『或る日の大石内蔵助』をその場で訳しながら読んで聴かせた時、「内蔵助は立って厠へ行った」と云う句に行き当たってハタとつかえた。そしてとうとう「厠」と云う語を訳さずにしまったと云うのである。」(P.64-5)

 こんな具合だから、最後に収められた『厠のいろいろ』がどれほど興味深いウンチクに満ちているかは言うまでもなく、すべての読書人に一読を勧めたい快/怪篇である。国語の教員になった次男氏に、中高の教材で使うよう提案してみようかな。
 なお、「『或る日の大石内蔵助』をその場で(ドイツ語に)訳しながら読んで聴かせ」るという知的能力は、むろん凡庸なものではない。成瀬正一(1892-1936)は、ロマン・ロランの翻訳・紹介を遺したフランス文学者である。ドイツ文学者の誤りではない。



***

 道草の末にめでたく通読を終え、さて最後に「解説」をというところで一驚を喫した。中公文庫昭和50年版の解説の筆者が、他ならぬ吉行淳之介なのである。
 ついこの間、こう書いた。
 「1994年にアメリカへ渡るとき、しっかりした日本語を携えていきたいと選んだのが自分でも驚く吉行淳之介だったが、谷崎を食わず嫌いしていなかったら当然鞄に入れたに違いない。 」
 作家Aの解説を作家Bが書くという場合、必ずしもAとBの作風が同じとは限らない。しかし少なくともBはAの芸を充分に理解しており、これを紹介・解説する力量をもつことが求められる。そういう大きな意味で、AとBは何かしら共通のカテゴリーに属するものと見ることができるだろう。
 異郷で頼みとする日本語文の書き手として、谷崎と吉行を並べ挙げたこと、それにある種の裏書きを得たような気がして少々自慢なのだった。

Ω