散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

保育の意義再論/個体発生と系統発生

2017-09-21 11:04:31 | 日記

2017年9月21日(木)

> 日本では待機児童の問題もあり仕事の間に子どもを預かる場所というニュアンスが強い保育園ですが、スウェーデンでは保育園は幼児教育の機関と位置づけられていると書いてありました。保育士の倫理綱領を見て、日本の保育士もそういった意識で臨んでいることを実感しました。(勝沼氏)

 まったく同じことを私も学んだのです。「忙しい親のための一時預かり」という感覚が抜けていなかったのですが、今日ではまったく違った積極的な意義をもっており、またそれが期待されています。自分自身の関心から少し分節してみれば、

① 子育ては親だけの仕事ではなく、社会全体の課題であること。(「お隣の犬の運命に私は責任がないが、お隣の子どもの運命には責任を分けもっている」)

② 幼児期の愛着形成が成人後の安定した人格やメンタルヘルスの基礎になるという前提(厳密な証明は困難であるものの、正しさはほとんど疑い得ない準・事実)を踏まえ、子育て支援が人づくりの最良の方策となること。 

③ 移民・難民の受け入れ拡大に向け、保育の現場が幼児の人権保護の場としての機能を果たすべきこと。

 さしあたりこんなことを、保育士さんの倫理綱領から感じ取ったのでした。

①については、例の「共感都市理論」と接続する可能性を夢見ます。グリーフケア(悲しむものとともに悲しむ)だけでなく、子育ての営みを一つの軸にして、「喜ぶものとともに喜」ぶ共同体を構築・維持できないものか。

②については、「スウェーデンでは90年代の不景気に、教育が一番効率のいい投資でありその中でも幼児教育が一番費用対効果が高いとして、保育園の無償化を進めました」との勝沼コメントに直結しますね。「効果」を何で測るかがひとつのポイントでしょうが、成人後のメンタルヘルスの向上にはきっと著効があるはずです。ノーベル賞経済学者のセンが、明治時代の貧しい日本が教育に非常な力を注ぎ、それが国力向上に結実したことを指摘していましたが(ネタ元の新書が手許にない・・・もってったの誰?)、今では日本がこれを学ぶ残念な立場になっているのですね。

③については、先日ある人から指摘されました。国連こどもの権利条約は、「こどもの人権擁護は現にこどもが居住する社会の責任である」との立場を取っているとのこと(私が正しく理解していることを期待します)。移民・難民の受入れに高いハードルを設けてきた日本も早晩変化を余儀なくされるとすれば、保育の場がこどもの人権を守る戦いの最前線になる日が目前に迫っているというのが、この人の主張でした。またしても目からウロコ、でしたね。

***

 さて、16日の講演でもちだした古いネタの一つが、「産声の奇跡」というものでした。胎児は直接空気を吸ってはおらず(あたりまえですが)、臍帯を通して母胎から酸素をもらっています。これに対応して胎児の心臓の隔壁には大きな穴が空いており、ボタロー管と呼ばれるバイパスも併用して血液が肺をスキップする仕組みになっています。肺組織はすっかり出来上がっているものの、ちょうど膨らます前の風船のように待機しているわけです。こうした胎児循環は分娩過程の終了直前まで維持された後、いよいよ胎児が娩出され外気を吸う瞬間に劇的に変化します ~ 心臓の隔壁の穴がふさがり、ボタロー管が閉じ、血流が肺動脈から肺へ流入して「風船」を押し広げ、赤ん坊が最初の息を吸い、そして吐く、ものの数秒・数十秒間の一大ドラマ完了の合図が「産声」というわけなのです。

 この瞬間、赤ん坊はいわば水生動物から陸上動物へ、進化の階梯をジャンプアップするというふうに私は表現したのですが、ちょうど昨夜、放送大学の院生さんから来たメールに面白いことが書かれてありました。母親を介護し、看取った経験を踏まえて修士論文研究を進めている女性が書き手です。

 「・・・介護者は、死にゆく人を生の方に引っ張っているのかもしれません。だから疲れるのかも。生を吸い取られる感じがしました。母が心不全から生き返り、水袋のような体がリハビリをして人になっていく過程は四つ足動物が2本足で立ち上がることがどんなに革命的であったかを教えてくれました!」

 個体発生は系統発生を繰り返すという金言、それが保育と介護の双方で思い出されていることにいささか感動するのです。

 Ω

 


ルターが死の準備教育に先鞭をつけたこと

2017-09-19 10:04:50 | 日記

2017年9月17日(日)

 先週、関西のK先生と用事でお目にかかる機会があり、死の準備教育に関するアルフォンス・デーケン師の貢献など話題にしたところ、「古いところを紐解けば、マルチン・ルターが死の準備教育に先鞭を付けている」ことを教えてくださった。詩篇90篇の講解という形で展開されたとのことで、1978年に金子晴勇氏の翻訳が出ている。(『生と死について ー 詩篇90篇講解』創文社)

 古書をゆるゆる探すとして、まずは件の詩篇を転記しておこう。

 ルターと言えば、今年は宗教改革500周年にあたる。それにつけて思い出すこと、1980年代にドイツへ遊びに行ったとき、留学中の人々が「いずれ来る500周年」のことを語り出した。まだドイツが東西に分断されていた時代で、ルターにまつわる史跡などは東側に集中しているが、その東が当時は社会主義国である。お国自慢のドイツ人はとりわけ「ドクトル・ルター」が大好きで、それについては東も西もなかろうが、厄介なことにルター先生は1524ー5年のいわゆる農民戦争では体制の側に立って徹底弾圧を擁護した。マルクス・エンゲルスに『ドイツ農民戦争』の著書がある通り、社会主義の立場からは農民戦争は階級闘争の歴史的一里塚である。この時のルターはにっくき反革命の頭目に他ならず、ここに解き難い矛盾が生じてしまう。

 「2017年には、東独政府はこの件をどう扱うだろう?」というのが、興味津々の論点だった。その後10年を経ずして東西ドイツの壁が平和裡に解消されるとは、誰も予想しなかったこと。まさしく「瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去る」のである。

***

【祈り。神の人モーセの詩。】

主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。

山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々とこしえに、あなたは神。


あなたは人を塵に返し/「人の子よ、帰れ」と仰せになります。

千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。

あなたは眠りの中に人を漂わせ/朝が来れば、人は草のように移ろいます。

朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい/夕べにはしおれ、枯れて行きます。

 

あなたの怒りにわたしたちは絶え入り/あなたの憤りに恐れます。

あなたはわたしたちの罪を御前に/隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。

わたしたちの生涯は御怒りに消え去り/人生はため息のように消えうせます。

人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。

御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて/あなたの憤りをも知ることでしょう。

生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。

 

主よ、帰って来てください。いつまで捨てておかれるのですか。あなたの僕らを力づけてください。

朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ/生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。

あなたがわたしたちを苦しめられた日々と/苦難に遭わされた年月を思って/わたしたちに喜びを返してください。

 

あなたの僕らが御業を仰ぎ/子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。

わたしたちの神、主の喜びが/わたしたちの上にありますように。

わたしたちの手の働きを/わたしたちのために確かなものとし/

わたしたちの手の働きを/どうか確かなものにしてください。

***

א  תְּפִלָּה, לְמֹשֶׁה אִישׁ-הָאֱלֹהִים:
אֲדֹנָי--מָעוֹן אַתָּה, הָיִיתָ לָּנוּ;    בְּדֹר וָדֹר.

ב  בְּטֶרֶם, הָרִים יֻלָּדוּ--    וַתְּחוֹלֵל אֶרֶץ וְתֵבֵל;
וּמֵעוֹלָם עַד-עוֹלָם,    אַתָּה אֵל.

ג  תָּשֵׁב אֱנוֹשׁ, עַד-דַּכָּא;    וַתֹּאמֶר, שׁוּבוּ בְנֵי-אָדָם.

ד  כִּי אֶלֶף שָׁנִים, בְּעֵינֶיךָ--    כְּיוֹם אֶתְמוֹל, כִּי יַעֲבֹר;
וְאַשְׁמוּרָה    בַלָּיְלָה.

ה  זְרַמְתָּם, שֵׁנָה יִהְיוּ;    בַּבֹּקֶר, כֶּחָצִיר יַחֲלֹף.

ו  בַּבֹּקֶר, יָצִיץ וְחָלָף;    לָעֶרֶב, יְמוֹלֵל וְיָבֵשׁ.

ז  כִּי-כָלִינוּ בְאַפֶּךָ;    וּבַחֲמָתְךָ נִבְהָלְנוּ.

ח  שת (שַׁתָּה) עֲו‍ֹנֹתֵינוּ לְנֶגְדֶּךָ;    עֲלֻמֵנוּ, לִמְאוֹר פָּנֶיךָ.

ט  כִּי כָל-יָמֵינוּ, פָּנוּ בְעֶבְרָתֶךָ;    כִּלִּינוּ שָׁנֵינוּ כְמוֹ-הֶגֶה.

י  יְמֵי-שְׁנוֹתֵינוּ בָהֶם שִׁבְעִים שָׁנָה,    וְאִם בִּגְבוּרֹת שְׁמוֹנִים שָׁנָה--
וְרָהְבָּם,    עָמָל וָאָוֶן:
כִּי-גָז חִישׁ,    וַנָּעֻפָה.

יא  מִי-יוֹדֵעַ, עֹז אַפֶּךָ;    וּכְיִרְאָתְךָ, עֶבְרָתֶךָ.

יב  לִמְנוֹת יָמֵינוּ, כֵּן הוֹדַע;    וְנָבִא, לְבַב חָכְמָה.

יג  שׁוּבָה יְהוָה, עַד-מָתָי;    וְהִנָּחֵם, עַל-עֲבָדֶיךָ.

יד  שַׂבְּעֵנוּ בַבֹּקֶר חַסְדֶּךָ;    וּנְרַנְּנָה וְנִשְׂמְחָה, בְּכָל-יָמֵינוּ.

טו  שַׂמְּחֵנוּ, כִּימוֹת עִנִּיתָנוּ:    שְׁנוֹת, רָאִינוּ רָעָה.

טז  יֵרָאֶה אֶל-עֲבָדֶיךָ פָעֳלֶךָ;    וַהֲדָרְךָ, עַל-בְּנֵיהֶם.

יז  וִיהִי, נֹעַם אֲדֹנָי אֱלֹהֵינוּ--    עָלֵינוּ:
וּמַעֲשֵׂה יָדֵינוּ, כּוֹנְנָה עָלֵינוּ;    וּמַעֲשֵׂה יָדֵינוּ, כּוֹנְנֵהוּ.

Ω


『バウドリーノ』読了

2017-09-19 09:38:10 | 日記

2017年9月16日(土)

 ここ数日は保育士会のことで頭が一杯だったので、帰宅後は完全に脱力のうえ、心置きなく『バウドリーノ』を読了した。歴史事実と伝説空想を重ね、そこに豊富な古典教養をびっしりと貼りつけた大作で、荒唐無稽と言えば一言で終わるが、心地よい荒唐無稽こそ小説の全てである。第3回および第4回の十字軍時代に場面を置いたのは秀逸な着想で、両者は1189年と1202年に起こされているからその双方を体験した人物が実際に相当数いたはずである。しかも、最初から最後まで神とも正義とも無縁の「十字軍」と称する愚行シリーズの中でも、第3回は神聖ローマ皇帝フリードリヒ・バルバロッサがシリアの川で溺死して立ち消えになり、第4回は聖地回復どころかコンスタンチノープルを劫掠して東ローマ帝国をいったん滅ぼすという顛末で、バカバカしさも極大に達している。

 一方でこの時期には「12世紀ルネッサンス」などと呼ばれる文化革命が西欧全域で進行し、拾っていけば興味深いテーマはいくらでも転がっている。シャルルマーニュがフリードリヒ・バルバロッサの思惑によって列聖されたことなどもその一つだが、エーコはこの奇策が主人公バウドリーノの虚言癖に近い自在な構想から生まれたことにしている。ところで、バウドリーノらの故郷の土地に、それまで存在しなかったアレッサンドリアという街が建設された下りについては、これこそエーコの自在な創作に違いないと決め込んでいたが、何と史実であるらしい。

 なるほど地図を確めれば、トリノ・ミラノ・ジェノヴァの北伊三都市が作る三角形の、ほぼ重心にあたる位置に Alessandria という街が実在する。ウンベルト・エーコはこの街の出身なのだそうだ。となれば、聖遺物や聖像をもってこの街にローマ・コンスタンチノープルをも凌ぐ名声を与えようと大望を抱くバウドリーノはエーコ自身の似姿に違いなく、その大ボラ吹きぶりも作家エーコの自画像に相違ない。はあ、大した魂消た・・・

***

 それにつけてもありがたいのは聖書に馴染みのあることで、この種の物語には聖書を踏まえた表現やら修辞やらが断りなしに頻々と出現するから、知らないと楽しめない部分が多いのである。たとえば下巻に、安息日でなければ渡れない石の川サンバティオンを、安息日であるが故に渡れないユダヤ人ソロモンのため、バウドリーノがソロモンの後頭部に一発かまして失神させ、皆で運んでやるという場面がある。

 「かくしてラビのソロモンは、イスラエルの息子たちのなかでただひとり、サンバティオン川を、眠ったまま、土曜日に横断したのだった。」(P.166-7)

 「イスラエルの息子たち」という表現は、「イスラエル」の名がそもそも創世記に登場するヤコブが天使と格闘した際に与えられたニックネーム(「神の戦士」の意)であり、その息子らがイスラエル12部族の祖になったとされることを踏まえたものだ。ヤコブの天使との格闘がヤボクの渡し場で行われていること(創世記32章)もこの場の連想にふさわしいが、そんなことをいちいち注釈に拾っていくのでは物語のスピードについていけない。

 ネストリウス派やアリウス派などの異端の系譜、「正統と異端」の別を生みだしたキリストと母マリアの神性・人性をめぐる大論争、さらには「聖霊は父のみから発出する(東方教会)か、父および子から発出する(西方教会)か」などいった厄介極まる神学問題(いわゆるフィリオクエ論争)も、この作品ではものの見事にネタにされて物語の愉快を増し加えている。

 そもそもバウドリーノ一行は、イエス自身の弟子集団同様に性格も思想も雑多な集まりで(これもエーコの狙ったことに違いない)、異を立てて争えば殺し合いになりかねない態のものである。そこで出会ったガヴァガイ、スキアポデスという一本足族に属する若者(?)の無心の返答が、「差異」に関するこだわりの毒気を抜く場面が面白い。

 「おまえたちが仲良くないのは、互いにちがっているからか?」と〈詩人〉がたずねた。

 「ちがっているって、どういうこと?」

 「そりゃあつまり、おまえはおれたちとはちがうし…」

 「どうして、私、あなたたちとちがう?」

 「こいつはいいや」と〈詩人〉は言った。「まず何よりも、おまえには一本しか脚がないじゃないか!われわれとブレミエスは、二本あるぞ!」

 「あなたたちもブレミエスも、片脚を上げれば、一本脚になる」

 「だが、おまえには、下ろそうにも、もう一本の脚がない!」

 「なぜ私、もっていない脚を下ろさねばならない?それならあなたも、もっていない三本目の脚を下ろさねばならないのでは?」

 そこでボイディが、なだめるように、ふたりの会話に口をはさんだ。

 「いいかい、ガヴァガイ、ブレミエスが頭をもたないことはきみも認めるだろう?」

 「頭がない?目、鼻、口があり、話したり食べたりする。それでも頭がないと言うの?」

(P.176)

 「ところで、巨人が片目しかないのは気づいたか?」

 「私もそうです。見てください、私、この目を閉じれば、片目になります」

 「こいつを殺したくなってきたから、おれを抱きかかえてくれ」顔を紅潮させた〈詩人〉が仲間たちに言った。

 「要するにだ」とバウドリーノが言った。「ブレミエスも巨人も悪く考える、スキアポデスをのぞいてみんな悪く考える、ということだな。おまえさんたちの助祭はどう考えているのか?」

 「助祭は考えません。彼は命令します」

(P.190)

***

 まるで落語である。ところで、スキアポデスは身体的な差異については至って鷹揚寛大だが、神学的な正邪の別となるときわめて厳格狭量なのだ。(彼らはネストリウス派である!)。案ずるに人の寛容と狭量はかなり相対的なもので、誰でもある面では寛大であり、他の面では狭量なのである。すべてにおいて寛大な少数者は聖人と呼ばれ、すべてに関して狭量な少数者は世を苦しめる。自分が何に関して狭量であるかを知るのが智恵、何に対して寛大であるかを知らずとも実践するのが人徳というものだろうか。スキアポデスのガヴァガイは神学的に相容れない遠来の友らのため、やがて進んで命を捨てることになる。

 例によってキリがない。石の川にかかる「虹」の場面を転記して、いったん置くことにしよう。

 台地の頂上に到達すると、眼下のサンバティオンが、まるで地獄の谷底に呑みこまれるように消えていくのが見えた。
 それは、半円形に並んだ十の岩屋根から、滝となって、終点の広大な渦のなかへ落下していった。花崗岩のたえまない噴射、瀝青の渦巻き、明礬の波、片岩の沸騰、岸壁と石黄の衝突。深淵から天に向かって吐き出される物質を、彼らはいわば塔の高みから見下ろしていたが、珪素の滴のうえに、日射しがあたり、巨大な虹ができていた。あらゆる物体がその特性に応じて輝きのことなる光線を反射し、ふだんは嵐のあとに空にかかる虹以上に色とりどりであり、また通常の虹とちがって、それらの色彩が消えることなく永遠に輝き続けるように見えた。

(P.164)

Ω


保育士会50周年

2017-09-14 21:33:33 | 日記

2017年9月16日(土)

 横浜市公立保育士会という団体があり、創立50周年を迎えて記念式典を行う。そこで講演する機会を与えられた。

 一口に50年というが、1967年から2017年までの50年にこの社会が経た紆余曲折はちょっとやそっとのものではなく、精神保健福祉の領域で言えば精神衛生法が精神保健法を経て精神保健福祉法に至る変遷を含んでいる。子ども/子育てをめぐっても、1967年以前の数百年間と比べてどうかというほどの大変化がこの半世紀にあったのではないかと思われ、立ち止まって振り返り、互いをねぎらうのは全くもって至当なことと思われる。

 そんな大事な節目に、保育の素人の自分が何で登壇して良いものかと珍しく気後れがある。「保育は専門家だけの仕事ではない」「精神医療と保育には興味深い共通点がある」、この二つを表の理由と受けとめ、そこから広げて話せることを話してみた。いつになく照明が眩しくて聴衆の表情がまったく見えず、爆笑をあてこんだポイントでもあまり反応がない・・・ような気がしたが、送れるだけのエールを送って降壇した。御褒美に温かい拍手とこんなのをいただいた。こんな瓶は初めてで、中身が何色か帰る道々楽しみだった。

 保育士という仕事の現在と未来について、考える機会を与えられたことが何よりの収穫で、「共感都市」ということを考える場合、グリーフケア・スピリチュアルケアを一方の柱とすれば、子育てがもう一方の柱であるのは動かせないと思う。「お隣の犬に私は責任がないが、お隣の子どもには私も責任がある」という誰かの言葉を思い出す。

 もう一つ感心したのは保育士会が明確な倫理綱領をもち、こうした会の際にそれを確認・共有していることである。パンフレット一ページほどの綱領から、下記の部分を全員で起立朗唱した。

  私たちは、子どもの育ちを支えます
  私たちは、保護者の子育てを支えます
  私たちは、子どもと子育てにやさしい社会をつくります

 医師の集まりで、こんな場面を見たことがない。必要でないはずがないだろうに。

 ちなみに僕の講演の前は、ALPHA(日本ハンドベル連盟)の天国的なハンドベル演奏、僕の後は二代目・林家三平師匠と鈴々舎馬るこ(れいれいしゃ・まるこ)師匠によるホンモノの落語である。緊張も分かってもらえるだろうが、御褒美のワインは師匠らに贈られたのと同じものだったようだ。えへへ、申し訳ないね。

Ω

 


素読、訓読、ラテン語修行

2017-09-14 20:36:00 | 日記

2017年9月14日(木)

 明治の教養人には比すべくもなく、教わらないと訓読は苦しい。帰去来の辞がこの時に脳裏に甦ってきたというのも、「帰りなんいざ、田園まさに蕪れなんとす」という冒頭の訓読文に依るものだから、この際、全文の訓読を転記しておく。

 訓読とか漢詩の朗詠とかは既に日本語の側の展開で(あたりまえだが)、カッコいいけれどオリジナルとの間には断絶/飛躍がある。それで結構と思っていたが、台湾の友人が家族で日本に遊びに来たとき考えが変わった。岩波文庫版の「唐詩選」を見せたら大いに喜んだのは予想の内として、利発なお嬢さんがその中のいくつかを中国語で朗唱したのである。小学校の授業で漢詩・唐詩の暗誦があるらしい(わお!)。それを聞くに、制御された字数と押韻の規則、四声のイントネーションに乗って繰り出される詩文はきわめて音楽的で、日本の子どもが童歌を歌うように嬉々、得意然として際限なく音をつむいでいく。中国文化圏では千年来これを楽しんできたのだと思ったら、中国語を一度かじらずには済まなくなった。二十年来の宿願をこの秋に遂げようという次第で、現代中国語の入門編が漢詩原文の鑑賞に役立つかどうかは、怪しいままである。

***

> 私は勉強というものは自分の役に立つ為という利己的な目的ではなく、自分がより社会の役に立つ為という利他的な目的で勉強する方がいいと思っていましたが、その先に石丸先生のように自分が楽しむ為に勉強するという極地があるのかもしれません。

 いや、そんな上等なものではなくて。私の方は逆に、勉強に関してはいつも徹頭徹尾、利己的でした。ただ、利己的に楽しむ学びの内容に「みんなが仲良く幸せに暮らすにはどうしたらいいか」ということも含まれるから、利己的な学びの向かう先も大きく間違いはしまいというお気楽な観測があっただけで・・・学びの利己/公益性については最初に大学に入ったとき、友人たちと未熟なりに深刻な吟味をしたように思いますが、今どきはそんな言挙げをめったに聞かなくなりました。

 「利他的な目的で勉強する方がいい」という勝沼さんのコメントこそ、ハッとさせられるものがあります。科研費申請の季節でもあり、もう少しそのことを考えないといけませんでした。汗顔の至りです。

> 酒は飲めぬが、気分は陶淵明になりたい

 niania さん、投稿ありがとうございます。さてどちら様でしょう?あの方か、それともこの方かなと楽しく思い描いています。ラテン語を履修なさるのですか、この科目があるのに気づいていませんでした。私は独習しかしていないのです。イタリア語・スペイン語の後はこれに決めました。

 ラテン語の学習には、運転免許を取る際にマニュアル・コースを選ぶのと似た意義があるように思います。免許取得後に運転する車はオートマがほとんどであるとしても、自動制御の裏側で何が起きているか、マニュアル経験があるとないとではその想像力にはっきりした違いがあるでしょうから。

 漢詩の学びにも通じることで、小学校から半端な英語を導入する一方で、中高で漢文を教えない方向への舵きりに、何か良いことがあるとはとても思えません。広田先生の「滅びるね」がのど自慢の鐘(一発だけの)みたいに響いています。

 ***

<原文>

帰去来辞

        

帰去来兮。田園将蕪、胡不帰

既自以心爲形役、奚惆悵而独悲

悟已往之不諌、知来者之可追

実迷途其未遠、覺今是而昨非

 

舟遙遙以輕颺、風飄飄而吹衣

問征夫以前路、恨晨光之熹微

 

乃瞻衡宇、載欣載奔

僮僕歓迎、稚子候門

三逕就荒、松菊猶存

携幼入室、有酒盈樽

引壺觴以自酌、眄庭柯以怡顏

倚南窗以寄傲、審容膝之易安

 

園日渉以成趣、門雖設而常關

策扶老以流憩、時矯首而游観

雲無心以出岫、鳥倦飛而知還

景翳翳以将入、撫孤松而盤桓

 

帰去来兮。請息交以絶游

世与我而相遺、復駕言兮焉求

悅親戚之情話、楽琴書以消憂

 

農人告余以春及。将有事於西疇

或命巾車、或棹孤舟

既窈窕以尋壑、亦崎嶇而経丘

木欣欣以向栄、泉涓涓而始流

善万物之得時、感吾生之行休

 

已矣乎。寓形宇内復幾時

曷不委心任去留、胡爲遑遑欲何之

富貴非吾願、帝郷不可期

懐良辰以孤往、或植杖而耘耔

登東皋以舒嘯、臨清流而賦詩

聊乗化以帰尽、楽夫天命復奚疑

(古文真宝 後集)

 

<訓読>

 

帰去来の辞

 

帰りなんいざ。田園まさに蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。

既に自ら心を以て形の役(えき)と爲す、奚(なん)ぞ惆悵として独り悲しまん。

已往(いおう)の諌められざるを悟り、来者の追ふ可きを知る。

実(まこと)に途に迷ふこと其れ未だ遠からずして、今の是にして昨の非なるを覺る。

 

舟は遙遙として以て輕く颺(あが)り、風は飄飄として衣を吹く。

征夫に問ふに前路を以ってし、晨光(しんくわう)の熹微(きび)なるを恨む。

 

乃(すなは)ち衡宇を瞻(み)て、載(すなは)ち欣び載(すなは)ち奔(はし)る。

僮僕(どうぼく)歓び迎へ、稚子(ちし)門に候(ま)つ。

三逕(さんけい)荒に就けども、松菊(しようきく)猶ほ存す。

幼を携へて室に入れば、酒有りて樽に盈てり。

壺觴(こしやう)を引きて以て自ら酌し、庭柯(ていか)を眄(み)て以て顏を怡(よろこば)しむ。

南窗(なんさう)に倚りて以て傲を寄せ、膝を容るるの安んじ易きを審(つまび)らかにす。

 

園は日に渉りて以て趣を成し、門は設くと雖も常に關(とざ)せり。

策(つゑ)もて老を扶け以て流憩し、時に首(かうべ)を矯(あ)げて游観す。

雲は無心にして以て岫(しう)を出で、鳥は飛ぶに倦(う)みて還るを知る。

景は翳翳(えいえい)として以て将(まさ)に入らんとし、孤松を撫して盤桓す。

 

帰りなんいざ。請ふ交りを息(や)めて以て游を絶たん。

世と我と相ひ遺(わ)する、復た駕して言に焉(なに)をか求めん。

親戚の情話を悅び、琴書を楽しみ以て憂ひを消さん。

 

農人余に告ぐるに春の及べるを以てし、将に西疇(せいちう)に事有らんと。

或いは巾車(きんしや)に命じ、或いは孤舟に棹(さを)さす。

既に窈窕として以て壑(たに)を尋(たず)ね、亦(また)崎嶇(きく)として 丘を経。

木は欣欣として以て栄に向かひ、泉は涓涓(けんけん)として始めて流る。

万物の時を得たるを善しとし、吾が生の行(ゆくゆく)休するを感ず。

 

已(や)んぬるかな、形を宇内に寓する復た幾時ぞ。

曷(なん)ぞ心を委ね去留に任せず、胡爲(なんす)れぞ遑遑(くわうくわう)として何(いづく)に之かんと欲する。

富貴は吾が願ひに非ず、帝郷は期す可(べ)からず。

良辰(りやうしん)を懐(おも)ひて以て孤り往き、或は杖を植(た)てて耘耔(うんし)す。

東皋(とうかう)に登りて以て嘯(せう)を舒(の)べ、清流に臨みて詩を賦す。

聊(いささ)か化に乗じて以て尽くるに帰せん。夫(か)の天命を楽しみて復た奚(なに)をか疑はん。

Ω