2014年7月8日(火)
新聞の訃報欄に目を通す習慣は僕にはないのに、なぜか今朝はそこに目が行き、そこに留まった。
関楠生(せき・くすお)さん。
東大名誉教授、獨協大名誉教授、ドイツ文学。
3日、肺がんで死去、89歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻路子さん。
主な著書に「ヒトラーと退廃芸術」、翻訳にヘルマン・シュライバー『道の文化史』など。
***
関先生は、僕らが初めてドイツ語を教わった先生である。
以前一度ブログにも書いた。再記する。
ドイツ語は「ガ」行の音が大好き、というのは、関楠男先生に伺った話。教養課程でドイツ語を最初に教えてくださった先生だが、あれほどの大家とは当時思いもかけず、自分の本棚に先生の訳書が多数並んでいるのにも長く気づかなかった。(『ペルーの神々と神話』『古代への情熱』『ケルト人』『道の文化史』『ドイツ文学の蹉跌』・・・)
関先生の一時間目は、発音を中心にケッサクな逸話満載の爆笑講義で、その中に「ガギグゲゴ大好き」という話も出てきたのである。たとえば「迎えに行く」を意味する動詞の過去分詞は entgegengegangen(エントゲゲンゲガンゲン)になる、という具合で。
(『白耳義通信小括入来』2014年4月6日)
***
御尊名を誤記していた。「楠生」が正しい。
『ペルーの神々と神話』は岩波少年少女文学全集所収の翻訳で、中学生の頃に面白く読んだ。その訳者にいまドイツ語を教わっていると気づいた時は、椅子からたぶん15センチほど飛び上がった。
ついでに書くと、法学部時代の僕の恩師はローマ法を講じておられた故・片岡輝夫先生である。僕としては生涯の恩師と書きたいが、先生の方は医学部に移って以後のこの若造を、常に対等の友人として遇してくださった。
その片岡先生の、旧制武蔵中学校以来の親友が関先生である。
上に挙げた著書・訳書は僕自身の関心に従って手に入れたものだが、最後の『ドイツ文学の蹉跌』だけは片岡先生から戴いた。
「関がこんなものを書いたので」と教えてくださった、それを一読して驚きまた考え込んだ。ナチスに対する文学の関わり、ある種の責任について論じたものである。そして日本のドイツ文学の世界で超大家とされる有名人の、戦前・戦中・戦後のナチ文学に対する姿勢が冷徹に描写されている。そこに浮かぶのは、自在の変わり身と言うほかないものだ。
晩年に至って、これを上梓なさったのか。執念と言ったら違うだろうか。これを書かずには死ねないというほどの思いに違いない。
福沢諭吉が、勝海舟や榎本武揚の節操のあり方を公然と批判したことを思い出した。
サムライなのだ、きっと。
***
留守中にO君からメールがあり、関先生の訃報のことを書いてきた。僕は忘れていたが、僕らのクラス ~ 昭和50年度文科Ⅰ・Ⅱ類7B組の担任でもいらしたのだ。
良い人に受けもっていただいたと思う。
新聞の訃報欄に目を通す習慣は僕にはないのに、なぜか今朝はそこに目が行き、そこに留まった。
関楠生(せき・くすお)さん。
東大名誉教授、獨協大名誉教授、ドイツ文学。
3日、肺がんで死去、89歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻路子さん。
主な著書に「ヒトラーと退廃芸術」、翻訳にヘルマン・シュライバー『道の文化史』など。
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関先生は、僕らが初めてドイツ語を教わった先生である。
以前一度ブログにも書いた。再記する。
ドイツ語は「ガ」行の音が大好き、というのは、関楠男先生に伺った話。教養課程でドイツ語を最初に教えてくださった先生だが、あれほどの大家とは当時思いもかけず、自分の本棚に先生の訳書が多数並んでいるのにも長く気づかなかった。(『ペルーの神々と神話』『古代への情熱』『ケルト人』『道の文化史』『ドイツ文学の蹉跌』・・・)
関先生の一時間目は、発音を中心にケッサクな逸話満載の爆笑講義で、その中に「ガギグゲゴ大好き」という話も出てきたのである。たとえば「迎えに行く」を意味する動詞の過去分詞は entgegengegangen(エントゲゲンゲガンゲン)になる、という具合で。
(『白耳義通信小括入来』2014年4月6日)
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御尊名を誤記していた。「楠生」が正しい。
『ペルーの神々と神話』は岩波少年少女文学全集所収の翻訳で、中学生の頃に面白く読んだ。その訳者にいまドイツ語を教わっていると気づいた時は、椅子からたぶん15センチほど飛び上がった。
ついでに書くと、法学部時代の僕の恩師はローマ法を講じておられた故・片岡輝夫先生である。僕としては生涯の恩師と書きたいが、先生の方は医学部に移って以後のこの若造を、常に対等の友人として遇してくださった。
その片岡先生の、旧制武蔵中学校以来の親友が関先生である。
上に挙げた著書・訳書は僕自身の関心に従って手に入れたものだが、最後の『ドイツ文学の蹉跌』だけは片岡先生から戴いた。
「関がこんなものを書いたので」と教えてくださった、それを一読して驚きまた考え込んだ。ナチスに対する文学の関わり、ある種の責任について論じたものである。そして日本のドイツ文学の世界で超大家とされる有名人の、戦前・戦中・戦後のナチ文学に対する姿勢が冷徹に描写されている。そこに浮かぶのは、自在の変わり身と言うほかないものだ。
晩年に至って、これを上梓なさったのか。執念と言ったら違うだろうか。これを書かずには死ねないというほどの思いに違いない。
福沢諭吉が、勝海舟や榎本武揚の節操のあり方を公然と批判したことを思い出した。
サムライなのだ、きっと。
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留守中にO君からメールがあり、関先生の訃報のことを書いてきた。僕は忘れていたが、僕らのクラス ~ 昭和50年度文科Ⅰ・Ⅱ類7B組の担任でもいらしたのだ。
良い人に受けもっていただいたと思う。