散日拾遺

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学位授与式

2015-03-30 23:01:53 | 日記

2015年3月21日(土)

 

 放送大学の学位授与式、いわゆる卒業式である。まだ疲れがたまっているようで、二階席で例年になくぐっすり眠った。式辞を聞いている姿勢から、頭を垂れて顎を胸につけるだけで瞬時に睡眠に移行するのは手練れの技と思っていたが、今日はその域に達していた。

 それでもしっかり耳に残っているのは、今期の卒業生の中に御年97歳の人があったことだ。かつ、この人は卒業と同時に他コースへ再入学し ~ 放送大学の正しい楽しみ方の一つである ~ 次回の卒業は百歳超になる。1917~8年、つまり第一次世界大戦頃のお生まれということで、敬服置く能わざるものがある。もっとも僕には逆の感慨もあって、百歳超の方々も大正の生まれなのだ。明治という時代の全体が、完全に現世と籍を異にしたことをあらためて確認する。

 司馬遼太郎が『坂の上の雲』を書いたときは、まだ目撃証人が存在した。対馬の神主さんだったか、日露の両艦隊が互いに接近するのを丘の上から眺めて、名状しがたい強い感情に襲われたことを語った・・・細部が違うかもしれないが、要するにそういった時間的な距離感だった。そこから遥かに遠く、今や大正、ついで昭和が時の流れに呑みこまれていく。呑みこまれないもの、朽ちないものはどこにあるか。

 上記学生さんの件、26日(木)の読売新聞夕刊に掲載された。次は生活と福祉に来られるようである。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20150326-OYT1T50065.html***

 

***

 

 NHKホールでの学位授与式の後、都内某ホテルでパーティーがある。「謝恩会」ではなく、僕らも大枚の会費を払うのが、昨年からは出席するようにした。移動中のバスの中から豊川稲荷を見て、なぜ東京の真ん中にそれがあるかと訝り、調べてみたら徳川譜代の大岡氏が三河から奉じ上ったものと知ったのが昨年のこと。

 同じルートをたどるバスが弁慶橋を過ぎて上る坂が、「紀ノ国坂」であることが今年の発見。小泉八雲の「むじな」が出た坂である。なるほど、江戸城郭のかなり内寄りにありながら、日が落ちれば寂しい場所になりそうだ。

 バスの第一陣到着からパーティー開会まで、1時間ほどを持て余すのも昨年同様。今年はホテルの日本庭園を散策することを思いついた。天気もよし、快適至極。これだけの面積をこの状態に保つのは、さぞや手間暇のかかることと驚かれる。一隅のビオトープは21世紀的工夫というところか。「せせらぎ」という訳があててあるのは、誰の創意か知らないがしゃれている。これなど、田舎の庭にも取り入れてみたいものだ。

 総じて日本の庭の贅沢は、思い切り草木を取り除いた空白にあるかと思う。日照も降雨も十分すぎるこの風土では、あれもこれもよく育って鬱蒼と繁茂するの常態だ。それを禁じたむき出しの地面、風通しの良い樹間こそさりげない非日常で、しかも空間の価値が高い都会であれば空白はなおさらの贅沢である。芽むしりが痛ましいのでつい控えがちになるが、生態系の観察ならぬ庭の整容を目ざすならば、思い切って取り除くことができなければならない。

 

 みな考えることは同じとみえて、広い庭を散策するうちに3人、4人と同僚の先生方とすれ違う。日ごろ顔を合わせていながら、言葉を交わしたことのない人が話しかけてこられた。自然科学領域の人で、僕の属する生活と福祉は「書類などの期限がきちんと守られて、気持ちがいいですね」とほめてくださる。ほかはそうでもないのかな。

 ついで先の教授会の話になった。部門によっては若い教員に雑務が集中する現状のあることが、問題になったのである。体力その他からやむを得ない面があるかなとも思ったが、自然科学領域では「考えられない」という。若い人々は研究に専念してもらい、年長者が校務を引き受けるのだと。なるほどそうか、数学をはじめとして自然科学は一般に、研究の旬が人生の早い時期に訪れる。そこから自ずと生まれた文化だろうが、他の領域でも学んでよいことではあるまいかと思われる。

 僕も4月からはコース主任を拝命する。徳によってではなく、年齢と着任順序からはじき出された要請である。といっても歴代の主任よりはだいぶ若く、適性にも大いに疑いがあるのだけれど。

 

***

 

 会場に戻れば、すっかり満員である。盛装の女性の一群が駆け寄ってくるので一瞬あとずさりし、よく見ればわが卒研生たちではないか。まったく、すっかり見違えた。9名中5名が出席、Tさんは二人のお子さんと御主人、お母さんも一緒である。皆に支えられてここまできたから、皆と一緒に祝うのだ。

 思いがけず、皆が大きな花束を贈ってくれた。優しく、元気の出る花々を選んでくれたのだと。小旗のように、それぞれのメッセージが書き込まれている。感無量、同時にこの場にいない人々のことが思われる。

 

 

 壇上には今年度いっぱいで退任なさる先生方、今年は16人と大勢である。岩手の齋藤先生、福井の鈴木先生、愛知の服部先生、沖縄の宜保先生、お世話になった方々がいずれも若々しい姿を見せておられる。

 代表でスピーチに立った濱田先生、「チーチーパツパ」の話をなさった。正確に言えば、「雀の学校」と「めだかの学校」の対比である。

 かたや、「鞭を振り振り」教えるけれど「まだまだいけない」チーパッパ

 いっぽう、「誰が生徒か先生か/皆でお遊戯しているよ」

 知識伝達モデルと交流モデルとでも言うのだろうか、前者を求められる中で後者を模索してきたというのが、学習センター所長なども任された先生の述懐であるらしい。濱田先生も自然科学領域の人で、最終講義では「右と左」について話された。退任と同時に放送大学の学生として入学なさったそうで、誰が生徒か先生か、「皆でお遊戯」を実行していかれるわけだ。

 

 先生方と入れ替わりに壇上に上がったのは、常陸那珂市を中心に活躍する和太鼓 ~ やんさ太鼓のチームである。和太鼓はいいもので、空中よりも床から力強く伝わってくる響きが、ワイヤレスで駆動していた心臓にケーブル充電を施す感じがする。体を動かさずに見聞きするなど、できたもんじゃない。

 チームの7割は女性である。これも今ではすっかり普通になった。というより、女性に閉ざされていたことが今となっては信じられない。凄まじくカッコいいんだから。

 www.yansadaiko.com

 


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