散日拾遺

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2月19日 漱石が芥川龍之介を手紙で激賞(1916)

2024-02-19 03:27:29 | 日記
2024年2月19日(月)

>  1916 年(大正5年)2月19日、芥川龍之介の『鼻』を激賞する手紙が、師の夏目漱石によって書かれた。『鼻』は、東京帝国大学英文科に在籍中の芥川が、菊池寛、久米正雄らと刊行した同人誌『新思潮』の第四次創刊号に掲載された。芥川は漱石門下に入ったばかりだったが、『鼻』が漱石に認められたことで、作家となる覚悟ができたのである。
 大学卒業後、芥川は英語教員をするかたわら創作に励み、1917年に初の短編集『羅生門』を発表し、作家としてのスタートを切っている。
 『鼻』を読んだ夏目漱石の手紙の中には、次のような激賞の言葉があった。「敬服しました。ああいうものをこれから二三十並べて御覧なさい。文壇で 類のない作家になれます。しかし『鼻』だけでは恐らく多数の人の眼に触れないでしょう。触れてもみんなが黙過するでしょう。そんなことに頓着しないでずんずん御進みなさい。群衆は眼中に置かないほうが身体の薬です。」
 『羅生門』を刊行した後の芥川は、17年に『戯作三昧』、18年に『地獄変』『奉教人の死』『枯野抄』と、漱石の言葉通り、堰を切ったように力作を発表するのである。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.55

    

 夏目漱石 1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日 
 芥川龍之介 1892年〈明治25年〉3月1日 - 1927年〈昭和2年〉7月24日

 ということは、この手紙が書かれたのは漱石が亡くなる10か月ほど前、同じ年の二月ということになる。前年に五回目の胃潰瘍で倒れ、糖尿病も始まっており、体調はいよいよ芳しくなかったであろう。そんな中での芥川への激励は、文豪の価値ある置き土産となった。

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