2024年6月2日(日)
> 1953年6月2日、前年に死去した父王ジョージ六世の王位を継承して即位したエリザベス二世の戴冠式が、ロンドンのウェストミンスター大聖堂で行われた。戴冠の儀は午後零時三十分からで、女王が王冠をいただくとロンドン中の教会の鐘が打ち鳴らされ、バッキンガム宮殿に戻る女王のパレードは、近衛兵を先頭に三キロもの長さになったという。当時の写真で見ると、儀式の参列者はそれぞれ冠とローブで正装し、女王は白テンの毛皮の縁取りつきの深紅のローブをまとっている。
エリザベス二世は、1947年にエディンバラ公フィリップと結婚した。彼はギリシア王家の出身で、二人の間には、チャールズ皇太子、アン王女、アンドリュー王子、エドワード王子の三男一女が生まれた。戴冠式当時、チャールズ皇太子は五歳、アン王女は三歳だった。
戴冠式は三百万人の大観衆によって祝われ、「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」の大合唱が沸き起こったという。ちなみにこの「「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」は一般的に英国国家として認識されているが、実は法律で国家として制定されたものではない。かつてはリヒテンシュタインやスイスでも違う歌詞で国家とされていた。元首が国王の場合は、「ゴッド・セイブ・ザ・キング」となる。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.159
> エリザベス2世(Elizabeth the Second、1926年4月21日 - 2022年9月8日):
イギリスのウィンザー朝第4代女王(在位: 1952年2月6日 - 2022年9月8日)。また、イギリスの他14か国の英連邦王国及び王室属領・海外領土の君主にして、イングランド国教会の首長。全名はエリザベス・アレクサンドラ・メアリー(Elizabeth Alexandra Mary)
共和制国家を含む英連邦には50か国以上が名を連ね、エリザベス2世はその元首(コモンウェルス首長)として連帯の象徴であった。
2011年のアイルランド共和国への公式訪問や、ローマ教皇との間の相互訪問など、多くの歴史的な訪問および会見をこなすとともに、立憲君主制下での重大な制度改革を自身の治世で目の当たりにしてきた。
2011年のアイルランド共和国への公式訪問や、ローマ教皇との間の相互訪問など、多くの歴史的な訪問および会見をこなすとともに、立憲君主制下での重大な制度改革を自身の治世で目の当たりにしてきた。
2022年6月13日には在位期間が70年と127日となり、タイのラーマ9世前国王(在位:1946年-2016年)の記録を抜いて、フランス国王ルイ14世(在位:1643年-1715年)に次ぐ世界史上第2位の長期在位君主となった。
2022年9月8日、静養先のスコットランド、バルモラル城で老衰により崩御。96歳と140日没、在位期間は70年と214日で、イギリス史上最高齢かつ最長在位の君主であった。
2022年9月8日、静養先のスコットランド、バルモラル城で老衰により崩御。96歳と140日没、在位期間は70年と214日で、イギリス史上最高齢かつ最長在位の君主であった。
資料と写真:https://ja.wikipedia.org/wiki/エリザベス2世
***
優れた君主であり、愛された女王だった。下記の引用に記された事実は、その尊厳をいささかも傷つけるものではない。彼女のあずかり知らぬことだったのだから。
> 私がレプトン校に在学していたときの校長は、やたらと大きな禿げ頭の持ち主だった。精力に満ちあふれているようには見えたが、全体にあまり魅力のないガニ股の小男、そんな印象の人物だった。断っておくが、私は校長をさほどよく知っていたわけではない。在学中、校長から話しかけられたことはほんの数回しかない。だから、校長に関する私の印象はもしかしたらまちがっているかもしれない。
ただ、この校長のきわめて興味深いところはのちにとても有名な人物になったことだ。私の三年生の終わり頃、彼は突然チェスターの主教に任命され、ディー川の畔(ほとり)の主教館に住むことになった。当時、私は一介のパブリックスクールの校長が一足飛びに主教になったことが不思議で、首を傾げたのを覚えている。が、このあとさらに大きな謎がひかえていた。
ほどなくチェスターの主教からまた昇進して、今度はロンドンの主教になり、その後何年もしないうちにまたしても出世の階段を駆けのぼって頂点をきわめた。なんとカンタベリー大主教に就任したのだ!それからいくらも経たないうちに、全世界の人口の半分がテレビを見守る中、ウェストミンスター寺院で現イギリス女王の戴冠を執りおこなったのがほかならぬこの人物だった。いやはやなんとも!かつては自分の学校の生徒たちに容赦なく鞭を振るっていた男がそんな大役を担ったのだ!
(中略)
教師と上級生にはほかの生徒を文字どおり傷つけること、ときにはひどく傷つけることが許されていたことに、私は学生時代ずっと愕然としていた。私にはそのことがどうにも納得できなかった。今でもまったく納得していない。
ロアルド・ダール/田口俊樹訳『少年』〔新装版〕ハヤカワ文庫 P.187-8
Ω