散日拾遺

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お雇い外国人(続)

2013-04-27 06:54:23 | 日記

勝沼さんが見つけてくれた『お雇い外国人 ~ 明治日本の脇役たち』を、3分の1ほど読んだ。

旅行中は、はかどらないので、と言い訳しておく。

良い本である。

 

書かれたのは1965年、当時少壮の歴史家であった筆者・梅溪昇が、日経新聞社出版局の勧めで上梓したとある。筆者は1921年(大正10年)の生まれ。大戦末期に関東軍隷下に戦い、3年間抑留された後、「戦中・戦後に異郷に没した戦友に申し訳ないという思いを抱きつつ」帰国した。

 

そのような背景をもつ筆者が、折しも東京オリンピック開催をバネにして本格的な高度成長が始まろうとする時代に、近代日本の出発に貢献した外国人たちの事績を記録した小著である。この経緯を知って、思い巡らすべきことは既に多い。

 

まだ70頁ほどだけれど、いろいろ学ぶところがある。

冒頭に筆者が明治維新の歴史的意味づけに触れ、「日本社会の内部で生産力が高まり、封建制度を覆そうとする必然的な力が生じていたのであって、黒船以降の外圧は偶発事に過ぎない」という唯物史観流の説に、まず反論を加えているところが書かれた時代を感じさせる。

歴史を語る際に、唯物史観に対する自分の立場を明示することが不可欠な時代だった。司馬遼太郎が『坂の上の雲』の中でこのお作法を守ったりしている。窮屈と言えば窮屈だが、歴史をめぐって「ものの見方」を人が真剣に考えた証しでもある。今はどうか。

 

進んで、明治維新以前の叙述が詳しいのに驚いた。「お雇い外国人」に象徴される西洋の科学技術の導入は、アヘン戦争前後の西洋東漸の空気を感じて外様雄藩や幕府が既に始めていたもので、明治維新はそうした動きの結果である(原因ではない)、そう考えれば当然か。

 

叙述の本筋からは逸れるが、明治維新の動きの中で筆者が「王政復古」と「王政維新」を区別しているのも面白い。倒幕はその後の経過次第では、単なる「復古」に終わる可能性があった。それを「維新」の方向へ転轍する必要があり、西南戦争はまさにそのような意義をもったとする。大西郷は、この視点からは守旧派の首魁だったのだ。(あるいは進んでその役を負ったか。)

 

それから、フルベッキという人物。オランダ系アメリカ人ながら、手続きのミスで「無国籍人」であった(!)というこの宣教師(Guido Herman Fridolin Verbeck、或いはVerbeek、1830年1月23日 - 1898年3月10日)は、本書に依れば「最大のお雇い外国人」と言ってもよい存在だが、実に無私の人物で、献策の功をすべて岩倉具視らに譲ってこだわるところがなかったという。

彼の姓は「ファーベック」とでも発音すべきところ(オランダ語ならフェアベークかな)、日本人が発音しやすいように自ら「フルベッキ」と表記し、それが今に引き継がれたのだという。教科書などでも教わった覚えがないが、歴史の裏には必ず(必ず!)縁の下の力持ちがあるものだ。

 

今はちょうどボアソナードが登場したところで、そういえば法政大学にはボアソナード・タワーがあったなと思い出した。

 

*****

ラジオ体操に続く今朝の「サンデー・トピック」で、お雇い外国人の話が出た。

面白いもので何かに関心を持つと、それにまつわる情報が「ここにもあるよ」とばかり回りから聞こえてくる。

今朝は地震学である。(話し手が誰だか、聞き漏らした。)

1880年(明治13年)2月22日の0時過ぎ、東京湾を震源とするマグニチュード5~6ほどの地震があった。横浜で震度5程度と推定されており、日本人の感覚では大震災というほどのものではなかったが、外国人居留者の多い横浜を襲ったところが重要だ。これらの外国人の大多数は、地震というものを経験したことがなかったのだから。

 

ここにジョン・ミルン(John Milne、1850年12月30日 - 1913年7月31日)というイギリス人があり、お雇い外国人として1876年以来、地質学などを教えていた。アメリカ人モースとも親交があり、モースが発見した大森貝塚の年代を2640年前と推定したのはミルンだという。この人物が横浜地震に遭遇して地震学の必要性を感じ、その年のうちに日本地震学会を創設して自ら副会長に就任した。学会に集った者の中にジェイムズ・ユーイング(Sir James Alfred EWING、1855~1935)というもう一人のイギリス人があり、ミルンとユーイングがその後の地震学の祖となったという。

この人々について、梅溪著は触れていない。

紙数の限りがあるから、誰もかもは無理だよね。

代わりに東大地震研のHPが、さらに一人のイギリス人 Thomas Gray (トマス・グレイ)を加えた3人の事績を紹介している。本当に、お雇い外国人と呼ばれる人々はたくさん、た~くさんいたのだ。

 

ジョン・ミルンは日本人女性トネと結婚し、1913年に故国イギリスで他界した。

トネ夫人はその6年後に病気療養のため帰日し、さらに6年後の1925年に故郷函館で亡くなった。

「函館市船見町26番地に、ジョン・ミルン夫妻の墓がある」と Wiki 情報。

函館に行くときは、寄ってみようっと。

Ewing 水平振子地震計(模型)

http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/earth_trivia/history/history_academiabirth/

 


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