散日拾遺

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たとえばの話/分人

2013-04-22 14:12:20 | 日記
仮に、たとえばの、あり得ない話だが。

君はお金持ちで高級マンションに住んでいる。
マンションの中に戸建てが入っている、メゾネットというやつだ。
良いおうちだが、だいぶ飽きてきたので買い換えを計画中で、そのための手入れもしている。

ある日、上の階から投身自殺があった。
運悪く君の専有区画に落ちて亡くなった。
しかも君はその第一発見者となって現場を目のあたりにし、救急や警察への連絡にもあたった。
それ以来まだ三日、君の眠りは浅く、食ははかどらない。
その場面が忘れられず、顔見知りであったその女性のことも記憶によみがえる。

そこへ不動産業者から、もうひとつの凶報。
この事件のために、転売にあたって君のメゾネットの評価額は大きく下落することが避けられない。30%、悪くすれば50%も落ちるかもしれない。
それでは買い換え計画そのものが暗礁に乗り上げてしまう。

そこで君は考える。
この損害は、賠償してもらわねばならない。
誰に?
亡くなった女性の遺族に。
時を選んで遺族に交渉に出向くとしよう。
気は重いが、それがルールというものではないか。

それにしても、今の自分の状態は健康とはいえない。
家の中のその一画には足を向けることができないし、家族に約束した連休の海外旅行もいつになく気が向かない。
早めに心療内科にでもいって安定剤をもらってくるとしよう。

そこへ弁護士からのアドバイス。
行くなら診断書をもらっておきなさい。
遺族への交渉にあたって、精神的苦痛が生じたことを証明する資料になるから。
なるほど、それもそうだ。
そうすることにしよう。

あくまで仮に、たとえばの話、僕らの生活に起きるはずのない、あり得ない話だ。

*****

夕方やってきた患者さんが、最近読んだ本の話をしてくれた。
その昔、京大在学中に芥川賞を受賞して話題になった平野啓一郎の最近の著作のことである。

エッセイや小説を通して、「分人」というコンセプトを提示しているらしい。
「分人」は「個人」に対する概念で、個人 individual が in-dividual であること、即ち分割不能の統一体であるとする通念への挑戦を込めたものらしい。
人は複数の人格を内包した複合体であり、その中に「分人」が存在しているということのようである。

こういうことはオリジナルを読まずに論評するものではないが、さしあたり面白いと思うのは「原子」との並行関係である。
原子 atom もまた a-tom すなわち「分割不能」が名の由来だが、実は分割不能ではなく、より微細な素粒子の複合体であることは、疾うの昔に物理学が喝破している。「個人」も「原子」も「近代」という特殊な歴史段階に適合的な概念で、決して普遍的な真理ではない・・・

と訳知り顔に言ってすますのは、イヤなんだな、実は。
ポストモダンがしばしば怪しげだというのは、きちんとモダンを踏まえもせず、その問題意識を理解も克服もしていない怠け根性を、ポストモダンと言い繕っているのが見え見えなところで。

これはヤヤコシイ話なので例によって先送りするが、もしも「分人」というのが上記のようなことであるなら(もしも、仮にの話だ、これも)、さほど新し味はないのである。少し前に内田樹がよく似たことを書いていて、その文脈は「今どきの若者が、人はただ一つの一貫したパーソナリティを備えているものだと思い込んでいる姿をしばしば見かけるが、そんなのは虚妄だ」という趣旨であった。
何しろそんなに新しい話ではないのだが、平野がそれをどのように魅力的に展開し、作品化しているかというところが楽しみなのだ。

ついでに浮かんだことだが、「人はただ一つの一貫したパーソナリティを備えている」という思い込みに関しては、ロジャーズ流の「自己一致」の概念も責任の一半を負うのではないかと思ったりする。

以上、4日遅れの呟きでした。



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