2018年11月23日(金)
ある会合で定期的に講話を担当する人の、よく準備して大事なことを伝えているらしいのだが、話がいつでも無用に長い。古めかしい語彙を多用した、ものものしい原稿をゆっくり丁寧に読みあげるので、聞き手は2分で飽きてしまい後に何にも残らない。もったいないとやんわり忠告する人もあるのだが、本人は確固たる信念があるらしく変える様子がさらさらない。
メンバーの一人が「美辞麗句がよくない」と評した。言いたいことはわかるけれど、少し違う。美辞麗句というからには美麗でなくてはならないが、そういう花があるわけではなく、むしろ美文を意図的に避けているようなのである。隔靴掻痒、もっとぴったりした言葉があったはずだがと、しばらく気になって落ちつかない。
休日の朝、遅く目覚めて寝ぼけた頭に言葉が浮かんだ。
「繁文縟礼」
思わず苦笑した。これは「規則・礼式のこまごまして煩わしいこと」を言うのだから、文体や語り口の形容としては本来おかしいのである。しかし、話し手のものの考え方、人のありようの根本が「繁文縟礼」なのだと考えれば諸事説明がつく。
うんそうだ、これで言葉が見つかったと思ったら嬉しくなって、頭もすっきり起き出した。現実の混沌に秩序を与える言葉の力は誉むべきかな。今日はいい日だ、お水がウマい。
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