2018年11月13日(火)
ランタナという植物はいつ頃どこからこの国に渡ってきたものか、子どもの頃には見た覚えがなく、いつの間にか田舎家の庭に現れ、いったん根を生やしたうえは強靭な生命力と旺盛な繁殖力で、うっかりすると一面を占領しかねない勢いである。Wikipedia によれば南米原産、世界中に帰化植物として定着し、日本では小笠原諸島、沖縄諸島に移入分布しているとある。やや現状に遅れているようだ。
Wikipedia
花はハマ細工みたいな幾何学構造で色分けがパッチリ美しいが、枝がしっかりしてアシナガバチの営巣にも適するから油断ならない。のびのび伸ばせば2メートルを超える高さになり、それを生かして門のアーチに仕立てている例が東京の近隣に散見される。似たような眺めをネットから拝借。
http://kono1.jp/hitokoto/hitokoto11928
こんなのに前庭を塞がれてはかなわないので、邪魔にならない場所に一株だけ残し、木小屋後の草地にニ株移植して、他は丁寧に抜きとった・・・つもりだが、早晩思いがけないところからピンクや橙色の花が顔を出すことだろう。
可愛くて厄介な風情を思い浮かべながら職場近くを歩いていたら、突然目の前に実物が出現した。一瞬わからなかったのは、こんもりとした冠状の剪定ゆえである。腰高の丸い樹冠を覆う花がツツジでもサザンカでもないランタナとは予想の外、予想とか想定とかは日常環境に広く浸透して一帯を無毒化している。そのシールドに綻びがあった。
葉々の奥に透見される枝の一部は、幹と呼べるぐらい太くしっかりしている。どのくらい年月をかけたものかわからないが、この一株に注目した誰かが絶えず心を配り、刈り込みと剪定を丹念に繰り返したことはまちがいない。できあがりを見れば、手塩にかけた人の影が朧に浮かぶ。花木も人も同じことである。
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「他の生徒に個別に対応している時、大抵の子は予め与えられた課題を完了することに汲々としていますが、彼は必ず私の話す言葉に耳を聳(そばだ)てています。課題は後でもできるが、その場のやりとりはその場でしか聞けないことをよく知っているのです。
あれだけ優秀な頭脳をもっていれば、他との違いを感じて慢心することが避けがたいとしたものですが、彼はいつも驕らず謙虚です。そう言えば彼のお兄さんもそうでした。
おそらくこういうケースでは、幼少から日常的に優れた人と接していたり、偉大な人々の話を聞いたりして育ったため、少々できても自分はまだまだと考えるのでしょう。能力を比較する対象がそもそも違うのですね。
一つ一つは小さなことの積み重ねが、総合されて大きな違いを産み出していく、そのことを実感する次第です。」
ある教師がある生徒を評したものだが、評されている子どもの将来性とともに、評する側の観察と推理の深さ、子どもに向けるまなざしの温かさを好もしく思う。子どもがある形にまで育った時、その樹冠や枝ぶりを整えるべく丹精込めた手の跡が、見える者には見えるだろう。その繰り返しが文化をつなぐのである。
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