散日拾遺

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「食べていきなよ」 / 若い人が山へ旅立つ

2016-10-13 16:37:37 | 日記

2016年10月13日(木)

 一昨日の「うちあわせ」の最後に、C先生から問いかけられたことがあった。何かの事情で家に帰れないとか、家に落ち着くどころではないとかの事情が生じたとする。今さら駆け落ちでもないが、まあ譬えていえばそんな感じの緊急事態になったとして、そんな時に駆け込める先、端的に言えば「晩飯、食わせてもらえないかな」とか「今晩泊めてくれない?」とか言える相手が何人いるか、そもそも一人でもいるか、というのである。あるいは問をひっくり返して、「晩飯、食べていきなよ」と言ってくれる相手が(何人)いるか?

 答えに困った、これは急所だ。すぐには答が出ないのである。唸ってしまった。家内の弟妹が首都圏に住んでいる。関係良好だしざっくばらんな性格でもあるから、一晩や二晩なら何とかなるかな。それ以外には、そうか、教会関係か。それでもなあ・・・

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 どうやら、考えるポイントが山ほどありそうである。ということは良い質問なのだ。たとえば、仮にそれぞれが家族持ちでなかったとしたら、夕飯でも宿泊でも互いに気軽に提供し合える友人知人はぐっと増えるだろう。しかし皆、家族に対する遠慮がある。とすれば何のことはない、自在な交流の最大の障害は実は家族なのではないか。

 家屋構造の問題もある。前項でも懐かしんだような昔の日本の家は、今と比べて開放的でスペースがあった。一人、二人どこかに押し込む裁量はできたものだが、今の家屋はきわめて閉鎖的で、しかも閉鎖空間内を個人スペースにきっちり分割しているから、居候が身を置く場所がない。

 都鄙の違い。同じ僕という人間をとっても田舎に帰れば親族も多く、まさかの時には何とかなりそうだけれど、東京では手も足も出ない。

 人生を振り返るに、名古屋の中学生時代までは、遊びに行った友人宅で思いがけず「食べて行きなよ」と言われることがあった。東京の高校に進んで・・・いや、あったな、あったけれどずっと珍しい風景になった。1970年代というタイミング、名古屋と東京の、中学生と高校生の違い、さまざまなものが連動している。 

 そして今、「食べていかない?」「泊まっていきなよ」は、おとぎ話の世界の話になった。

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 昨晩、次男が肩を落としてやってきた。サークルの友人が山で亡くなったというのである。関西出身の若者で、翌日つまり今晩が通夜になる。昼過ぎに発って往路は十分間に合うが、帰りは最終列車になるかもしれない。それなら長男の住まっている関西の寓居に泊まればよいではないか、東京から一緒に行く仲間は泊めてあげたらいいよと提案したら、次男の表情が少しだけ和んだ。

 喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣く、それ以上のことを僕らはできない。宿を与えあい、そこで一緒に泣くとしたら、そこに小さな家族が生まれる。それが僕らをきわどく支え、生き続けることを可能にしてくれる。23歳で山に旅立った若い人が、仲間たちにそのことを言い置いていったように思われる。

Ω