2016年3月17日(木)
昨年の10月27日以来の「マイ千字文」、わかってます、悪いクセなんです。ちゃんと仕上げをしないのがですね。
それはそうと、人名とは思わなかった。そう言われれば、『三国志』大好きの息子たちはピンとくるだろう。
布は布袋さんじゃない、呂布のこと、人ぞしる弓の達人である。それで布射。
そうすると結句の阮は阮籍、「青眼/白眼」の飲んべえの阮籍だが、嘯は朗々と吟じることかと思いきや、口笛なんだそうだ。竹林に響く口笛、さぞ峻烈だったことだろう。
中にはさまれた二人は知らない。
遼は熊宜遼(ゆう・ぎりょう)、戦国時代は楚の人で、丸はお手玉のこととある。九個の鈴を手玉にとって、八個は常に空中に、一個は手の中にあった。楚王が宋に大敗したとき、やおら宜遼が胸元をはだけて鈴を取り出してお手玉を始めた。両軍そろってこれに見とれて戦いを止め、楚王は難を逃れたそうな。
嵇は嵇康(けいこう)、阮籍と同じく竹林七賢の一、ことのついでに竹林の七賢とは、この二人に加えて
山濤(さんとう)
劉伶(りゅうれい)
阮咸(げんかん)
向秀(しょうしゅう)
王戎(おうじゅう)
だそうだ。ただし七人が実際に一堂に会したことはないらしい。彼らの多くは世捨て人どころか歴とした顕官で、いわゆる清談はお気楽なコメント合戦などではない、魂の直言である。魏末のきな臭い政治状況の中では、大いに危険な行動様式だった。事実、上記の嵆康は讒言により死刑に処せられたとある。
李注に嵆康に関する面白い逸話が載っているが、さすがに転記するには長すぎる。代わりに下記:
魏の武帝(262年という年代からすると、魏の最後の皇帝である元帝の誤り?)は佞臣の意見を聞き入れ、康を市場で殺したが、康は琴を抱いたままで死んだ。
阮籍は酒が好きで、歩兵校尉(宮城を守る武官)となった後も、いつも鹿車(ろくしゃ)に酒を積んで出かけ、途中で何度も酒を取りだしては飲んだ。(『晋書』では大酒飲みは劉伶とある由。)口笛の吹奏に長じ、これに感銘して鳳凰が天から舞い降り、そこにあらゆる鳥が加わったため、楊(やなぎ)の枝がすべて折れてしまった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/竹林の七賢