2016年3月15日(火)
毎度性懲りもなく、忙しい中を/忙しい中だからこそ碁会所に出かけました。地元唯一の碁敵であるSさんが、2月後半は精密検査のため対局できず。辛抱の甲斐あってめでたく無罪放免となり、久々に盤を囲む。
碁会所はいつも通り、囲碁が飯より好きと顔に書いてある常連さんたちが、嬉々として勝負に熱中している。そのうち誰かが、「ようやく勝ちましたね」と笑顔で言った。イ・セドルのことである。
グーグルが開発した「アルファ碁」なる最強ソフトが数ヶ月前に初めてプロに勝ち、Nature の誌面を飾った。余勢を駆って韓国のプロ、イ・セドルに五番勝負を挑んでいる。現存棋士中、最強の一人を確定するのは難しいが、イ・セドルが最強の数名に属することは間違いない。コンピュータは限りなく進化するからいずれその日が来るとしても、まだイ・セドルが負けることはあるまいと大勢が思い、僕も思った。結果はアルファ碁の3連勝である。番碁なら勝負は決まりだが、今回はあくまで5局を打つ。その4局目でついにイ・セドルが片目を開けた。碁会所の面々、等しくそのことを喜んでいる。
面白いな。数ヶ月前に留学生の女の子たちが来たとき、オーストラリアのインドのと、配慮も礼儀もなくあげつらった同じ面々である。ところが今、この人々の頭の中でイ・セドルが韓国人であることは何の障りにもなっていない。われら囲碁党を代表する最強の棋士として、ただただ活躍を願うばかりなのだ。
「いやあ、安心したね」
「これでコンピュータのクセが分かっただろうから、これからはイ・セドルが勝つんでしょう」
これからったって、あと一局なんだが、まるで今後十年の安泰が保証されたかのような喜びようである。いいなあ、スポーツや芸能一般に通じる功徳かも知れないが、強いものは強く、良いものは良い、国境や民族・人種の壁をあっさり越えさせる、これが碁の大きな魅力の一つである。
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琴奨菊の活躍は見事だしその優勝は立派だが、それを言祝ぐのに「日本出身力士」がNHKなどでも連呼されるのが、僕は耳障りで仕方なかった。「日本人」と言わず「日本出身力士」と言うのは、旭天鵬のことがあるからである。彼はモンゴル出身だが、日本国籍を取得し日本に帰化した。「日本人力士久々の優勝」と言うと「旭天鵬がいるじゃないか」ということになるから、わざわざ「日本出身力士」というのである。出身がそんなに大事ですかね。
そもそも、旭天鵬が「モンゴル出身」というのだって、やや微妙なところがある。18歳で来日して以来、日本の空気を吸って飯を食い、日本語を話し、相撲一途に精進してきたこの人物の「出身」は、半ば以上「日本」ではないんですか?ことさら彼をも向こう側に分類して「モンゴル出身」「日本出身」と分ける理由はどこにあるんだろう?
実は思い当たることがないでもない。強い力士はもともと、日本の農村の日常生活の中で自ずとはぐくまれてきたものだった。農作業で鍛えられる足腰を、たとえば若い者が米俵を担げるの担げないので競ったりする。山向こうのあのには、米俵2俵を軽々担ぐ力持ちがいる、などといったことが噂になって広がる。そうした力自慢が、秋の祭りには神社に集まって相撲をとる、そうした営みの中から強い力士が自ずと生み出されてくる。僕なども、1968年に松江から山形に転校していったとき、「相撲とるべ」と男の子らに挑まれた。歓迎の挨拶でもあり、力が試される場面でもある。肉屋の息子と一勝一敗だったその午後のことが、懐かしく思い出される。
「日本出身力士」にファンがこだわるとき、無意識のうちに燃えているのはこうした日本の原風景への郷愁ではないかと思う。そうした風景が、あっという間に僕らの目の前から消えてしまった。国技館の土俵の上にその幻を追う声が、「日本出身力士」への待望ではないかしらん。だとしたら少し ~ 少なからず見当が外れている。
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今朝の朝刊、17面の「耕論」に当の旭天鵬のインタビュー記事が載っている。これがすばらしく良い内容なのだ。すっかり日本に馴染んだ末、ほとんど迷うことなく帰化した彼は、「相撲の賜杯は日本人に取り戻されたが、女子レスリングではモンゴル人が伊調を破った」という式のモンゴルの報道を、「そういうのは、ない方がいい」と批判する。いっぽうで「日本出身力士の優勝」報道には、「日本人になった自分の優勝が消されている感じで寂しい気持ちになる」と吐露する。
本当に素敵な人物だ。こういう人が「日本人」に加わってくれたことが、どれほど僕らの精神を豊かにすることだろう。彼は渡来人の末である。記紀万葉の昔、否、それよりずっと以前から、こうしてやってくる人々が不可欠の要素として「日本」を創り出してきたのだ。
「日本」ってそういうものなんだと思いますよ。