散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

キャリー・パミュパミュ

2013-06-01 11:36:57 | 日記

T君、見てくれてる?

 

オヤジの会の話題にできるよう、軽いネタもちゃんと入れなさい、と御指導ありましたよね。

なので一席。

 

学生さん、患者さんだけでなく、出会う人全て人生の師。

殊にタクシー運転手さんの博学なことに、三男が修学旅行先の京都で舌を巻いたという。

 

んで、何を教わったかって?

 

キャリー・パミュパミュ、って、噛まずには言えないだろ?

だけど、噛まずに言う方法がある。

ドラえもんが、ポケットから道具を取り出すときの調子で言うのだ。

 

キャリー・パミュパミュ~

 

ほら、言えた!


学生さん・患者さん ~ 忘れないうちに

2013-06-01 09:53:47 | 日記

勝沼さん、『呉清源とその兄弟』も読んだんだね。

すごいなぁ、早いなぁ、見習わなければ。

 

勝沼さんの言うとおり、せいぜいマメに記録は取っておきたいと思う。

あっという間に1週間経ってしまったが、遡っての記録。

 

*****

 

25日(土)、面接授業で埼玉SC(大宮)へ。

目黒駅のホームで教会のM先生と偶然の出会い。ドイツへ留学なさって以来だから、もう7~8年も経つのだろうか。

姿も、挨拶を返される様子も、少しも変わりがない。

「石丸さんこそ」

「いえ、私はすっかり髪が減りまして・・・」

「そうですか?私は小さいので、上の方はちっとも見えません」

配慮の中にウィットが隠しようもなく混じるのも同じ、愛餐会での息子達の発言などまで正確に御記憶で、新宿までのわずかな時間の密度が異常に高い。頭の良い人とはこういうものだ。

 

埼京線の座席に着くと、後からやってきた年配のご夫婦が、こちらと向こうに別れて座った。

隣に座った御主人に、「(奥様と)席を替わりましょうか?」と訊いたら、

「一駅だけですので、それに、いつも一緒にいますから」

ははは、ごちそうさま!

 

池袋で仲良く下車していき、向かい側の席には制服の女子高校生が残る。

「ロミオとジュリエット」の字が見える文庫本を広げ、大きな欠伸をした。

イヤホンからはどんな音楽が聞こえているのかな。

 

大宮駅前、プラネタリウムの横をガマンして通り抜け、文化情報ビル内の放送大学フロアへ。

埼玉SCは人の出入りが多く、職員も大変だ。名簿を受け取って早々に教室へ入る。

おまえ医者か?ほんとに医者か?

ふと、そんな声が頭の片隅で聞こえる。

 

*****

 

登録者42名、出席者36名。埼玉県内の他、群馬・千葉・神奈川など近県がほとんどだが、宮城と兵庫から1名ずつの出席者がある。

貴重な土日の休みを使い、こうしてやってくる受講者の学習意欲は当然ながら高い。

『精神医学』という科目の特性上、看護師やカウンセラーなど医療や福祉の仕事に関わる人々が多いことも特徴だ。

そして、当事者やその家族が必ず混じっている。

 

先月の香川では盲導犬連れのMさんの出席で、教室の雰囲気が和むとともに引き締まった。

今回もまた視覚障害をもつ受講者があり、ただし資料を2倍に拡大することで対処可能という。

このTさんのことを、急ぎ記しておく。

 

Mさんが生まれながら全盲であったのに対して、Tさんは中年期に至るまで障害とは無縁だった。

2年半前、脳腫瘍が見つかって手術を受けた。それなりに前徴はあったが、病院嫌いもあって発見が遅れ、見つかったときには直径7センチの巨大な腫瘤に成長していた。嗅神経由来の腫瘍は幸い良性のもので腫瘤自体は取り切れたが、嗅覚は失われ、視覚に障害が残った。それより深刻だったのは、生活史に関わる古い記憶の大半が失われたことだ。

 

教室でも進んで自分を開示してくれたTさんの言葉を、開講時のアンケートから転記しておく。

「(生活史に関する記憶がすっかり失われた結果として)私はいま2歳です。人に教えて戴いて、ただいま記憶作成中です。不眠、不安・・・今後どのように生活していけばよいのでしょうか?」

「TVをほとんど見ない私が、ラジオで先生の「声」を聞いたのが今の私の start です。今はゼロですが、卒業するまで努力していきたいと思います。」

 

記憶は僕らのアイデンティティの重要な参照枠(frame of reference)だ。自分がどのような者であり、どのような歴史を経て今に至るのか、その問に答える情報を内蔵するデータバンクが記憶なのだ。すっかり正気でありながら、そのように重要な記憶だけが失われることの恐ろしさは、想像するだに難しい。ましてその恐ろしさに耐える人が、自分の「声」に反応してこの場へやって来たというのだ。

 

夢中で二日間の授業を進める間、例によって大いに質疑を募り、フロア同士のやりとりを促しながら、Tさんにあまり目が行っていなかった。

最前列は意外に盲点でもある。

 

そして閉講時、まとめテストのアンケート欄の記載。

「せっかく教えて戴いたのに・・・もう一度、しっかり勉強し直して、再チャレンジさせてください。」

「個人的には、精神的にまだ向き合える様な状態ではないことを感じました。涙ぐんでしまい、さぞ先生がやりにくかったことと反省しています。申し訳ありませんでした。」

「ただ、視力が悪い分、声に対してはすごく敏感です・・・」

 

自己開示してくれたTさんに対し、受講者一同から大きな拍手のプレゼントがあった。

放送大学へ来て本当に良かったと思うのは、この機関が果たす教育的機能もさることながら、むしろその福祉的機能を見るときだ。もちろん、ここで「福祉」というのは、生活者としての人の機能と動機を支えるというほどの、広い意味でのことである。

 

香川のMさん、5月5日に挙式したA君、埼玉のTさん。

今年は奇しくも目に障害のある人々に出会い、彼らの底抜けの明るさと根性に触れて、官製ではない民の福祉のポテンシャルを知ることが続いている。

 

*****

 

長くなったので、項を分けた方が良いのかもしれないが。

 

面接授業では必ず学生に教えられ、診療ではきっと患者が学ばせてくれる。31日の診療も、人生の縮図の連続だった。

 

そこから一つだけ、

 

自身、決して軽くない症状を抱えて長年苦労してきた女性が、今は癌末期の友人に懸命に寄り添う作業を続けている。若い人の癌は進行が早く、容赦がない。それでも弱音を吐くことなく、いつも穏やかなこの友人が、ぽつりと漏らしたのだそうだ。

 

「年をとってみたかったな」

 

不覚、診察室で涙が止まらない。

 

 


気持ちが悪い日本語/始末に負えない日本人

2013-06-01 07:11:52 | 日記

土曜の朝刊b2面、「気持ちが悪い日本語」、ほぼ満腔の共感をこめて転記しておく。

 

第1位 「1000円からお預かりします」

第2位 「全然似合いますよ」

第3位 「ギターの音が耳ざわりがいい」

第4位 「来年もよろしくお願いしておきます」

第5位 「わたし的にはOKです」

第6位 「受付でいただいてください」

第7位 「以上でよろしかったでしょうか」

第8位 「コーヒーで大丈夫ですか」

第9位 「やばいよ、この味」

第10位 「わからないじまいです」

 

中学入試国語、「正しい表現に直しなさい」だね。

試験問題として出されれば、けっこう皆できるのかな、そうでもないか。

 

「ほぼ」満腔、と言うのは・・・

① 「わたし的にはOK」は、フザけて自分でも使っている。

② 肯定的な意味で「やばい」は、自分は使わないが息子達が「ヤバウマ」とか言うのに慣らされた。

③ 「わからないじまい」は、「気持ちが悪い」というより、それこそ意味がわからなかった、初めて見た。

などなど。

 

「耳ざわり」という人は、「耳触り」のつもりなんだね、「耳障り」ではなくて。

「とても楽しい」など、僕らは気にも留めないが、「とても」は本来、否定形の修飾語だ。柳田国男が信州かどこかを旅行中、「とても」の肯定的用法に初めて出会って腰が抜けるほど驚いたと、何かに書いていたと思う。

言葉は変わっていくものだが、標準から逸脱することへの気持ちの悪さは、これまた大事な感性だと思う。

 

そういえば、今朝の連載小説で宮部みゆきさんが「だが、しかし」と。

強調効果を狙って意図的に重複表現しているのだろうが、宮部ファンのわたし的にはとても残念かな・・・

 

*****

 

やはり朝刊から。

橋下氏の慰安婦発言、「高くつくよ」と先につぶやいたが、案の定、国連の拷問委員会から批判を受けている。

 

商売柄、連想するのは、1983年頃のいわゆる宇都宮病院事件が国連の人権問題小委員会で取り上げられ、日本の精神医療のあり方が手厳しく批判されたことだ。この時はそのおかげで、伝統的に外圧に弱いわれらが政官界がきわめて迅速に動き、1987年から88年にかけての精神保健法成立を見ている。しかし今度は、何かの実りが期待できるものかどうか。

 

外圧によらず、自分(たち)の考えで建設的に社会を運営していくことが、いつになってもうまくできない。

始末に負えない日本人というのは、誰よりも自分自身のことだ。