「命の洗濯」と「命の選択」
「篤信」と「瀆神」
こりゃ大変だ・・・
土曜日がいちばん気分がいい。
目の前のグラウンドでは中学校の運動会、三男最後の晴れ姿。リレーの第一走者を張り切って勤めている。どこでどう間違ったのか、家風に外れたスポーツ少年なのだ。
こちらはせっせと来週の講演準備、その合間に碁を打ってくる。四段のMさんに向先、盤面で20目近くリードして時間切れの判定勝ち。
今日はよく打てたと思ったが、帰って並べ直すと、どっこい実は反省の山
序盤、不急のキカしもどきを打って手を抜かれ、後手をひいた。(またですか・・・)
中盤、働きのない石を捨て損ない、重くして危うく攻められるところ。(いつになってもダメだね~)
終盤、せっかくコウを仕掛けながら、コウダテがソッポで戦果挙がらず。(生兵法は何とやら、コウが分かってない)
う~~~ん・・・・ 相手が強ければ、敗因には事欠かないというところ。つくづく碁は「ミスの少ない方が勝つ」(坂田栄男)のだし、「負けていただく」(林海峰)ものなのだ。
だから修養になるわけか。
少しは良いところも探してみよう。
白番では、いつも短兵急に仕掛けて形勢を損じるところ、今日は打ちすぎを戒めて気長に打てた。
形勢判断、はっきりリードしていると分かっていた。Mさんのほうは僅差と思っていたようで、この認識の差が実は大きい。
石を取らずに勝てた。Mさんの穏やかな棋風のおかげでもある。このほうがずっと気持ちが良いのに、ヘボ同士だとどうしても死ななくて良い石が死ぬ。
さしひき、まあまあか・・・
日本棋院では異例の土曜日対局、名人戦リーグの帰趨を占う大一番、張が苦手の井山を破って6戦全勝。張栩の無冠なんてありえない。そろそろ奪回の時節だが、1敗の高尾との対戦が残っている。勝った方が山下名人に挑戦かな。この秋は楽しいぞ!
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夜も9時過ぎになって、Kさんの訃報が入る。長男の同級生のお父さん、僕と同じ年回りだ。
手遅れの大腸癌が発見されて3年、気にかかりながら先方の気持ちを開くことができず、ついに再会を果たさず終わった。一人娘が成人したばかりで、彼もまたどれほどか「年を取りたかった」ことだろうか。勝沼さんの言うとおり、できごとが互いに呼び交わすように起きることがある。それらを紡ぎ合わせる裏糸がどんな模様を描いているのか、僕らには見えない。
さっそく家人が電話し、三年間の労をねぎらっている。亡くなる直前、Kさんが知り合いの宣教師から病床で洗礼を受けたことを聞いた。自分の知るKさん一家の雰囲気からは、少々意外だった。
自分の信仰が大事だからこそ、他人様の信心をとやかくは言うまいと思う。宗教同士の比較など、訳知り顔のコメンテータに任せておけばいい。しかし、『死生学入門』の教材作りに携わってあらためて思うのは、「死」に対する姿勢の違いである。諦念や達観ではない、希望による死の克服を正面から説くのはキリスト教だけだ。
金曜日、キリストは十字架にかかって死んだ
土曜日、キリストは墓の中にあった
日曜日、キリストは朝早くよみがえった
毎週これを繰り返しながら、前へ進んでいく。
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日曜日、巡回ラジオ体操は松山市砥部町、郷土の名高い磁器の町。砥石の名産地でもあり、それゆえ砥部の名がついたことを、桜美林のもうひとりの石丸先生がかつて教えてくださった。砥部といえば、F先生の奥様は元気でおられるだろうか。
保護者科で、「死を越える希望」について話す。幼稚科生徒の親たちが20人あまり、みな食いつき良く真剣だが、ひとりだけずっとソッポを向いている父親があった。帰宅すると、Sカウンセラーから荷物が届いている。開ければ見事なソラマメがこぼれ出るほど一杯!千葉の御実家近隣からとある。
感謝