35年ほど前に公園の入り口に作られたものです。
誰が作ったのか、なぜ騎士なのかがミステリアスで、
又、両腕を失っている事が、ビーナスのような思い
に私をさせてくれます。子供があふていた、良き時代に又
西陣地区の活気のあった時に安全を願って
作られたものだと、公園に来ておもいました。
いろいろ調べているうちに少し分かった事も
ありますが、このまま謎に包まれた騎士にしておきましょう。
<サイダー>
35年ほど前に公園の入り口に作られたものです。
誰が作ったのか、なぜ騎士なのかがミステリアスで、
又、両腕を失っている事が、ビーナスのような思い
に私をさせてくれます。子供があふていた、良き時代に又
西陣地区の活気のあった時に安全を願って
作られたものだと、公園に来ておもいました。
いろいろ調べているうちに少し分かった事も
ありますが、このまま謎に包まれた騎士にしておきましょう。
<サイダー>
京都検定の一環として、お寺・神社・庭園巡りをしています。
今回は、泉涌寺・今熊野神社・東福寺-霊雲院を巡りました。
巡った中でも特に皆様におススメしたいのが、
東福寺塔頭-霊雲院の「九山八海の庭」と「臥雲の庭」です。
江戸時代中期に作庭されたが荒廃していた庭を、
昭和を代表する造園家・重森三玲氏が昭和45年に復元しました。
「九山八海(くせんはっかい)」とは、須弥山を中心に、
八つの山脈と八つの海がとりまくという仏教の世界観で、
遺愛石を須弥山に見立て、白砂の波紋が山海を表現しています。
「遺愛石」とは、高さ三尺・横四尺余りの青みをおびた小石で、
須弥台の上に設けた四角い石船の中に据えられています。
「臥雲の庭」は、渓谷の川の流れや、山腹に湧く雲を、
白砂や鞍馬砂で表現した枯山水庭園です。
静寂な庭は心が癒され、しばらくその場に佇んでいました。
空をゆく雲は悠々として来たり、悠々として去ります。
何にこだわるでもなく、何にわだかまるでもなく、
ただ無心に、水は渓間を流れてゆきます。
その雲や水に羨望を感じるのが人間です。
この庭は、雲の描く美しさと、無心に流れる水の美しさを表しています。
幕末には、この寺で、西郷隆盛と勤王の僧・月照が、
維新に向けて密議を交わしたと云われています。
日露戦争当時には、ロシア兵の捕虜収容所となっていたそうで、
50人程のロシア人が、8ヶ月に渡って、ここで寝起きしていたそうです。
彼らが故郷を思って作った弦楽器が展示されており、
なにか、、物悲しい感じがしました。
是非、一度、足を運んでみられてはいかがでしょうか。
次回も、乞うご期待して下さいませ。<マンマ・ミーア>
3月11日に、奈良東大寺二月堂の「お水取り」の名で知られている、修二会(しゅにえ)の夜の法会(ほうえ)を見に行きました。
この法会は本尊の十一面観音に僧侶が人々に代わって懺悔し、天下泰平.五穀豊穣など願って祈りを捧げる行事です。
夜七時になるとあたりの灯りが消され、点火されたお松明が一本づつ左下方から登廊を上り欄干の上に現れます。
欄干左端でしばらく留まったのち右側へ動き始めます。
ゆっくり動く時も、走るように動く時もあり、松明が振り回されると火の粉がまるで花火のように、下に降り注ぎ、欄干の下あたりで見ている人達から歓声があがります。
お松明は11.13.14日は30㎏くらいのものが10本、12日は倍ほどの重さの籠松明が11本見られるそうです。13日の早朝 若狭井という井戸から本尊にお供えする、「お香水」が汲み上げられます。 752年から始まり一度も途絶えず行われているそうです。千年以上……奈良・京都すごいです。
お松明を見た後、欄干に上がれました。
奈良の夜景がきれいでした。<京のバンビ>