皆様が働いている事務所や勤務先には必ずと言っていいほどゴミ箱があると思いますが、私のところにあるゴミ箱です。
何のへんてつもないゴミ箱ですが、営業などでよその会社へ訪問したりして目につくのがゴミ箱なのですが、きれいにしてあるゴミ箱が目に入るとこの事務所は大丈夫だ!なんて思ってしまいます。
ゴミ箱にビニール袋を入れておくだけできれいに見えるのですが、そのまま利用されている個所が多いように感じるのは私だけでしょうか。
いろいろな身の周りを見てみると整理整頓の張り紙があるところほど・・・かな?
でも気持ちよく仕事が出来る環境を整えるのも仕事のうちかもしれませんね。
がんばって、一度整理整頓をしてみてはいかがでしょうか、とくに机の上を重点的にと私も感じて反省しながら書いています。
後ろで「反省だけなら猿だぞ!」って言ってます。
デヘヘヘヘ・・・(-。-)y-゜゜゜
坂本龍馬のドラマが人気ですよね。
男だね~~とフロントの○○さんが言っているのを横で聞いていて、なんでかな???
ところで龍馬の趣味って知ってる?って聞いてみたけど、誰も知らないのでちょっとだけ紹介しておきます。
でもこれも受け降りですので。
ズバリ!趣味は剣、つまり刀を愛してやまないほどの入れ込みようだったそうです。
龍馬は刀剣の専門書を読むほどの刀剣マニアだったそうで、龍馬の愛刀として有名なのは兄・権平から贈られた陸奥守吉行を宝物のように大切にしていたそうです。
剣の達人がゆえに生涯誰も切ったことがない龍馬を本当に達人だったのか?等と言うやからもフロントは存在しています。
龍馬にとっては趣味以上のものだったのでしょうか。
写真を探したのですが使用出来るものがありませんでした。(すみません)
代わりに建白書の元になるものが当館にありましたので載せておきます、一度見て下さい。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、とはよく言ったものです。
2010年も、早くも2月の終わり。
年の明けたのがつい昨日のことのようですが、1年のうちの50日が終わってしまいました。
ということはすなわち、春が近づいてきているということでしょう。
まだまだ寒いですが、確かに春の兆しはあちらこちらに見られます。
当館のお庭にある梅の花もちらほらと咲き始めています。
京都の梅の名所といえば、第一はやはり北野天満宮です。
2月25日の天神市の日は、菅原道真の祥月命日(但し旧暦)でもあり、梅花祭が行われます。
上七軒の芸舞妓さんの振る舞いでお抹茶とお菓子を、野点でいただけます。
梅の見ごろにはやや早い感もなくはないですが、華やかな行事です。
ただ、お抹茶を頂くのに長い時間並ばなければならないのが難点ですが。
他にも梅の名所には事欠きません。
京都御苑や、二条城、城南宮など、そして何より、梅宮大社も梅の花盛りに行きたいところ。
その名も梅宮大社というのだから、そりゃ見ごたえがあります。
本殿をぐるりと囲うように神苑が広がり、その中に梅林があります。
500本を超える梅の木があるというのだから、見事ですね。
梅に限らず、ここでは季節折々の花が楽しめます。
メジャーな観光ルートからは少し外れているので、行きづらいという面はあります。
しかし、それゆえに、混雑することが少ないというのが、何よりの魅力。
静かに、ゆったりと庭を楽しむことができます。
ツツジやカキツバタなども見応えがありますので、その季節に行っても良いでしょう。
また、ここはサギの営巣地でもあり、本殿の背後にある杜に、サギが巣を作ります。
これも春の風物詩で、季節になると参拝者の頭上を舞うサギの姿が見られます。
これからの季節に訪れたくなる神社ですね。
”あいらんど”
京の五条の橋の上、といえば、牛若丸と弁慶。
五条大橋には牛若丸と弁慶の可愛らしい像が建てられています。
五条大橋に立ち、なるほど、ここが二人の出会いの場所か、と感慨深く思う人もいるでしょう。
しかし、しばし待たれよ。
実は当時の五条の橋と、今の五条大橋とでは、架けられている場所が違うのです。
というのも、まあ、今となってはかなり有名な話ではあります。
二人の出会った当時の五条通=五条大路は、今の松原通なのです。
五条通の二筋北を東西に走る松原通にも、鴨川に橋が渡っています。
これを松原橋といい、なるほど、この場所が二人の出会いの地か、となるわけです。
が、またまた待たれよ。
実は、出会いは別の場所ではないかという説もあるのです。
後世に書かれた『義経記』によれば、出会ったのは、五条天神宮だといいます。
五条天神宮は、松原通を鴨川から随分と西へ行った西洞院通との交差点付近にあります。
これを五条というのは、もちろん、かつて松原通が五条大路だったからです。
ここで出会った二人は、その後、清水寺で再戦したといいます。
清水寺は松原通の東の延長上にあります。
いずれにしても、かつての五条大路の付近で二人は出会ったのでしょう。
と、結論付けるのは、まだ早かったりもします。
京都の北、大徳寺のある辺りは、紫野と呼ばれています。
この辺りにも二人の伝説が残っているのです。
二人の出会いの地は、昔この辺りに流れていた川にかかる橋だった、と。
その名も、御所ノ橋。
なるほど、御所ノ橋が転じて五条の橋となったというのは、真実味があります。
実際この辺りは、義経の母、常盤御前に縁のある土地です。
そしてこの辺りには、弁慶が刀狩の待ち伏せのために座っていた石が残っています。
もちろん「そうだといわれている」というものにすぎませんが。
そのほかにも、それらしい遺跡が残ってはいます。
それが却ってできすぎな感じもするんですけど。
結論をいえば、どれも真偽は不明です。
まあ、820年以上も前のことですから、無理もない話です。
興味がある人はそれぞれの場所を尋ねてみてはいかがでしょうか。
ここだろうか、いやこちらではないか、などと考えているのも楽しいものです。
”あいらんど”
当館の姉妹館が道を挟んで隣に建っていますが、そのロビーでワイワイ言いながらやっとこさ今年も「お雛様」がお目見えしました。
「天子南面」という考え方が古来からあり、天皇は北を背に、南を向いた位置が正しいそうです。
それは、東から昇る朝一番の太陽が、一番に当たるから。
そして、天皇の右隣、つまり、向かって左側(西側)に皇后が立たれるのが古来の作法だったのです。
しかし、明治以降、西洋文化がどっと日本になだれ込み、日本とは正反対の立ち位置である西洋のしきたりにのっとって、次第に後の天皇皇后両陛下も立ち方を西洋式、つまり向かって左が男性、向かって右が女性という立ち方に変えられたそうです。
「天皇陛下がそうなさるのなら…」と我々庶民も、お雛様の飾る位置をこれまでの逆にした、それが今の「東京式」なんだそうです。
しかし、京都では、昔のしきたりを大切にするためか、今も「向かって左が女、右が男」で飾っています。
節分も過ぎ、暦の上では、季節も早春。
とはいうものの、まだまだ寒い日が続くというのが実際。
先週末は京都もだいぶ冷え込みました。
しかし今日なんかは割りと気温は高め。
不安定な天気がもどかしいものです。
ゆえに、ますます本当の春を待つ気も募るのでしょう。
春告げ花、といえば、梅のこと。
たぶん、その知識の有無に関わらず、大方の人がそう感じているのではないでしょうか。
梅がほころび始めたのを見て、春が近いと知り、満開になれば、いよいよ春だと実感します。
今はそのほころび始め、でしょうか。
京都でも、枝にちらほら花を咲かせた梅の木を見かけるようになりました。
平安時代以降、日本で花といえば桜をさすようになりましたが、それ以前は梅のこと。
それだけ、古来、日本人は梅の花を愛でてきたわけです。
春を告げる花だからこそ、愛したのでしょうか。
むろん、その花の愛らしさもあるでしょう。
しかし、それ以上にやはり、梅が春を運んでくるように感じ、この花を愛したように思います。
京都の梅の名所として名高い北野天満宮の祭神といえば、菅原道真。
この人物も、殊に梅を愛する詩人でした。
政治的なしがらみで、九州は大宰府に左遷されることになり、出立に際して読んだ歌は有名です。
東風ふかばにおひをこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ
自身の邸宅にあった梅の木に対する哀惜の念を痛いほど感じさせる歌です。
主である私は留守をするが、だからといって花を咲かすのを忘れず、その香りを私のもとへ届けておくれ、というわけですね。
北野天満宮の梅林は、九州にその香りを届かせんばかりに、芳しく花が咲き乱れます。
といっても、北野天満宮の地と道真の邸宅とは関係ないんですが。
ともあれ、その季節が来るのが待ち遠しいところです。
”あいらんど”