京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

日の出には希望があり、光には望みがある

2013-04-20 | インポート

 桜の季節、京都は外国からのお客様で賑わった。

 京都は人種の坩堝と化し、様々な言語が、どこかはんなりとしたニュアンスをまとって飛び交った。

 まるでニューヨーク。

 エンパイアステートビルよろしく東寺の五重塔が聳え立ち、京都御苑はセントラルパークと見紛わんばかりであった。

 とか、そんなことを言う人もいたとか、いなかったとか。

 

 さあ、桜の季節は無事終わった。

 今度は学生である。

 京都には修学旅行の学生が、日々入れ替わって訪れる。

 ようこそ京都へ。

 ここは歴史のテーマパーク。

 

 昭和34年というから、今から54年前になるが、その4月20日、つまり今日、国鉄(現JR)がとある電車を走らせた。

 その名も「ひので」と「きぼう」、用途は、修学旅行専用電車。

 とにかく収容人数を優先した作りで、なおかつ、急病人が出たときに簡易ベッドに替わる座席の設置や、トイレの増設など、修学旅行用に特化されたつくりになっている。

 おりしも高度経済成長期真っ只中、戦後生まれが中学生になる、子供の多い時代。

 修学旅行の生徒の数も、ぐんと多くなってきたのだろう。

 やがて5年後に開通する東海道新幹線等にその役目を奪われ、昭和50年代には、ほぼ消滅してしまうという、短い命。

 嗚呼、儚きものへ抱くはノスタルジー。

 年配の方々は、それに乗った記憶もあるだろう。

 ちなみに、修学旅行という言葉が初めて世に出たのは、教育関係の雑誌だという。

 それの発行されたのが、明治20年、これもちょうど4月20日のことだというのは、偶然か。

 いずれにしても、120年以上の歴史のある、学校行事ということだ。

 

 日本人の多くが、一度は修学旅行で京都を訪れている。

 ここで思い出を作り、後にまた訪れて、その思い出を回収するという楽しみが、そこにはある。

 今から修学旅行で京都へ来る人たちには、多くの思い出を作ってほしい。

 かつて修学旅行で京都へ来た人たちには、その思い出を回収するために、また京都を訪れて欲しい。

”あいらんど”