京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

これでもか!!

2013-04-04 | インポート

Sakura

いよいよ最後の桜見物になりそうな今日です。

でも、これでもか!!って一生懸命に咲いている桜の力強さに感動をもらいました。

(写真は平安神宮から疏水沿いの桜です。)

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八重の足跡

2013-04-04 | 旅行記

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新島八重の生涯は、大きく分けて三つの時代に分ける事ができると云われている。

 「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれた第一期。

 ・女性でありながら、銃を手に会津藩を守り抜こうと奮闘した時代。

 

「ハンサムウーマン」と題された第二期。

 ・会津藩の敗戦後、京都へ移住し、女紅場に勤める中で、新島襄と出会い結婚し、

 同志社英学校の創立と運営に没頭する襄を、陰に陽に支えた時代。

 

「日本のナイチンゲール」と称された第三期。

 ・夫・新島襄が、齢47歳にして永眠の後、44歳にして未亡人となった八重が、

日本赤十字社の看護婦となって日清・日露戦争の負傷者の看護に尽力した時代。

 

 

明治・大正・昭和、という激動の時代を生き抜いてきた新島八重の生涯は、

さぞ、波乱に富んだ人生であったであろうと想像するに至る。

 

そんな八重の第二期「ハンサムウーマン」時代、つまり新島夫妻が、

京都で過ごした時代の史跡を巡る旅に、参加して来ました。

 

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<↑新島旧邸。和洋折衷のコロニアルスタイル。今見ても斬新な意匠です。↑>

 

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<↑会津藩・京都守護職 本陣跡の金戒光明寺。殉難者を慈しむように春を告げる。↑>

 

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 <↑真正極楽寺(真如堂)を抜けて、暫し東へ歩めば、哲学の道。↑>

 

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 <↑大豊(おおとよ)神社は梅・桜だけでなし、京都有数の「椿の名所」也。↑>

 

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 <↑あ、なんとも愛くるしい、狛鼠(コマネズミ)が目印です。簪にも椿が。↑>

 

 

その後、立ち寄った熊野若王子神社には、「おみくじマッチ」なる物が売ってました。

 

マッチの先端部分にいろんな色がついてて、振ると一本出てくるシステムのアレですね。

 

ええ、買いましたとも、はい。  結果ですか??ええ、勿論、アレでしたとも、、、はい。。

 

熊野若王子神社より山道を徒歩25分ほど登ると、「同志社墓地」があります。

 

新島襄はじめ、八重や、兄の山本覚馬らが、眠っている場所なんですね。

 

哲学の道へ来られる機会が御座いましたら、立ち寄られてみては如何でしょうか。

 

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 <↑最後に立ち寄ったのが、京都府庁旧本館。窓越しに観る庭園は絵画のよう。↑>

 

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 <↑嘗て幕末に置かれた江戸幕府の要職・京都守護職の上屋敷跡にあたります。↑>

 

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 <↑小川治兵衛によって作庭された中庭の枝垂れ桜が、咲き誇っておりました。↑>

 

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 <まとめ>

 

八重の辿った足跡を、ゆっくりと散策することが出来た有意義な一日となりました。

 

写真で巡る「八重の足跡」、長文乱筆にお付き合い下さり有難うございました。

 

新島旧邸(要予約)や女紅場跡碑などは、当館から大変アクセスしやすい場所に

ありますので、いしちょう・松菊園へお越しの際は、是非にお立ち寄り下さい。

 

<↓おまけ↓>

 

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 <↑アフロ仏様。皆様も来京の際は、この御方を見つけてあげて下さい。↑>

  金戒光明寺内、静謐な佇まいで鎮座される、五劫思惟阿弥陀仏像。(関〇)