日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

きのう書きたかったこと

2006年06月08日 06時35分33秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)12日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)
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 昨日、クルアーンの第75章第14節を取り上げたところで出勤時間になってしまいました。

 なんだか最近、自分の意志の弱さを思い知ることが多く、「こんなことでいいのか、俺は?」と自問自答する毎日です。

 今まではなんとなく、「ムスリムになったからクルアーンを暗記するぞ!」とか「よっしゃ、今日は仕事休みだからモスクに行くぞ!」など、どちらかというと「形」にこだわっているような部分(もちろんそれも重要なのですが)が強かったのですが、自分の日常にイスラームが浸透しているかどうか自問自答したときに、「はい」と答えられない自分を発見してしまいました。

 というわけで、昨日とりあげた「第75章(復活章) 第14節」を読みながら「最後の審判のときもそうだけど、日常生活でも自分の行為の証人は最終的には自分だよなあ。たまには自分の言動について自問自答しないと」などと思った次第です。

 ジャン・ジャック・ルソーは『エミール』の中で、「知人の家に遊びに行ったときに、その家の奥さんの大切な櫛がなくなった」というエピソードを紹介しています。

 ルソーは櫛を盗んだりしていないのに、困ったことに状況からしてルソーがうたがわれざるを得ず、さらに困ったことにその家のみなさんが疑っているのがミエミエなのに、何事もなかったようにルソーに接してくれるものだから、弁解もできずにかえって気まずいぞ、おい…というお話です。

 ルソーは「周りに理解されない真実もある。結局自分のことを一番わかっているのは自分なんだから、自分の行動については自分自身で責任をもっていくしかないなあ。ああ人間って孤独!」という結論を出します。えらくテキトーな要約ですが。

 アッラーには見られているにしても、「人間は自分自身に対し証人である」という言葉は「その通りだよなあ」と納得する今日この頃という次第です。