日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

新説発表:琉球語の起源はアラビア語だった!

2006年06月05日 06時08分01秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)9日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)
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 さて、昨日の続きです。『ダ・ヴィンチ・コード』の追随本を読んでいたら、「琉球語の起源はアラビア語である」という説を思いついたという、他愛無い話です。構想30分程度のわりに、実際に打ってみたらやたらと時間がかかってしまいました。こんなことやっているから時間の使い方が下手なのでしょう。

【琉球語の起源はアラビア語】

1.「3母音収斂の法則」

 琉球語とアラビア語はどちらも、母音が「ア」「イ」「ウ」の三種類だけです。もちろん「エ」「オ」を発音できないわけではありませんが、普通は「エ」は「イ」に、「オ」は「ウ」に吸収されます。
 たとえば琉球語発音では、「蜘蛛(くも)」は「くむ」に、「壁掛け(かべかけ)」は「かびかき」となります。
 このような現象を「3母音収斂の法則」と名付けます。別に「3母音吸収の法則」でもなんでもいいのですが、難しい漢字が入っていた方がアカデミックな感じ(要するにエラソーな感じ)がします。


2.「動静変化/代替の法則」

 琉球の人の言語感覚では、「動きを表す言葉」が「状況・場所」など静的な内容の言葉を代替する場合があります。
 この言語感覚は現在にまで生きていて、太平洋戦争後、アメリカ支配下に置かれたとき、独特の「琉球英語」が生まれました。
 例えば、(タイヤの)パンクのことを「グッバイ・エアー」などというのはこの例です。
 このような、言語変化・言語代替現象を「動静変化/代替の法則」と名付けます。
 

3.重要語句の共通項

 二つの言語を比較する場合、どのような語彙に注目するかも重要なポイントのひとつとなります。
 琉球語とアラビア語の場合、宗教的側面の語句に注目するのが良さそうです。琉球王朝は政教一致の体勢でしたし、アラビア語を使用するイスラーム圏も本来は政教一致だからです。
 そこで琉球語の中から次のような語句について語源をでっちあげて調べてみました。すると、なんということでしょう! アラビア語起源の言葉が思いの他多いことがわかりました。

①「メンソーレ(ようこそ、こんにちは)」

 挨拶は重要な要素です。まずは琉球語の定番のこの言葉から考察してみます。  「3母音収斂の法則」により、厳密には「ミンスーリ」となります。これはアラビア語の「ミン・スーラティ」が語源です。
 「ミン」は前置詞で「~から」、「スーリ」は「スーラティ」の変形です。「スーラ」とは、クルアーンの「章」のことです。
 前置詞の後では名詞は所有格(属格)になりますから、「スーラ」は「スーラティ」となります。
 しかし、書き言葉では「スーラ」の厳密な読みは「スーラトゥン」になりますが、話し言葉では「スーラ」ですから、「スーラティ」が「スーリ」と変化したと考えても不自然ではありません。 
 そこで「メンソーレ」の本来の意味は「クルアーンのスーラ(章)から〔何事も始めるようにしましょう〕」という、クルアーンに対する深い信仰を表したあいさつということになります。


②「御殿(うどぅん)」

 これは、聖なる場所、禁忌なる場所を表す言葉です。アラビア語の「ウドゥー(洗浄)」が語源であり、元々はモスクを表していたと思われます。
 「動静変化/代替の法則」により、「洗浄」という動きのある言葉が、場所を表す言葉になりました。
 通説では御殿は王の聖所や居所ですが、それは後に日本に征服された際に歴史が書き換えられたからです。本当はモスクだったのです。 
 ここで、「城(グスク)」の語源もモスクである…などと主張すると、「アラビア語ではモスクはマスジドだろ?」などという反撃を受けて、「あちゃ、しまった!」と頭を抱えるハメになります。でっちあげ調査にも注意深さが必要です。
 
③「祝女(ノロ)」

 女性の神官、巫女などを表す言葉です。「3母音収斂の法則」により「ヌル」となります。当然アラビア語の「ヌール(光)」が語源です。「信仰の光」を意味し、宗教的儀式を執り行う女性の役名にふさわしいと言えます。


④「御嶽(うたき)」

 聖所を表す言葉です。祝女(ノロ)が就任式や儀式をおこなった場所で、語源はアラビア語の「ウトゥキヌ(習得する、熟達する)」です。「ウトゥキヌ」は「アトゥカナ」の未完了形です。
 この場所で祝女(ノロ)たちが、聖なる力を「習得した」から「ウトゥキヌ」で、後に「うたき」に変化しました。
 「動静変化/代替の法則」により、「ウトゥキヌ(習得する)」→「うたき(霊力を習得する場所、聖所)」と変化したというわけです。
 なお、「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」は、王と同等の権力を持つ女法王「聞得大君(きこえおおきみ)」の就任式をおこなった、最高の聖所でした。
 

⑤「那覇」

 アラビア語の「ナハー(禁じる)」という動詞が語源です。この地が、一般の人が立ち入ることのできない聖なる地であったことを示しています。
 この語にも「動静変化/代替の法則」が見られます。
 元々はそのような禁忌所のみを表していましたが、後に差す範囲が拡大し、現在の那覇を表すようになりました。


⑥「按司(あじ)」

 各地を支配する役人、総督を表す言葉です。アラビア語の動詞「アズィナ(許可する)」が語源と考えられます。いろいろなことを許可する権限の大きさを表しているようです。これは「動静変化/代替の法則」のバリエーションで、動きのある言葉が、人を表すようになった例です。

 
4.沖縄はイスラーム圏だった!

 海洋貿易国、沖縄は実は昔はイスラーム国でした。12世紀あたりにインドネシアのマジャパヒト王国からイスラームが伝わったと考えられます。
 では、沖縄がイスラーム圏だったとすると、なぜ「アッラー」という言葉すら残っておらず、イスラームの痕跡が残っていないのでしょうか? 
 それでころか、豚肉消費量が日本一などという反イスラーム的現象が見られます。これについて考えてみましょう。

 琉球は日本・中国の両方と交易をしていましたし、この両国に朝貢するなど、2国の間のバランスで成り立っていました。
 宗主国のひとつ日本は神道の国でした。琉球に派遣された日本の役人が「アッラー」を、神道の「荒神(あらぶるかみ)」と勘違いしました。
 どうやら「アッラーの神」という誤った表現が「あらぶるかみ」と聞き間違えられたようです。
 農業国日本の神道では、「荒神(あらぶるかみ)」は農業を破壊するような恐ろしい神ですから、見過ごすわけにいきません。
 キリスト教を禁止したように、イスラームも禁止されました。それとともに「アッラー」という言葉を消し去るための犠牲が払われました。
 琉球の人々に改宗を迫り、それとともに、イスラームの食物禁忌だった豚を必要以上に人々に食べさせることによって、イスラームの痕跡を流し去ろうとしたのです。

 これ以上書くと、いくらタワゴトとはいえ、各方面から怒られそうなのでこの辺でやめておきます。

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 でも世の中には、これと大してレベルの変わらない内容の「研究成果」を綴った書籍が結構出回っていたりして驚くことがあります。

 何の根拠もないのに、「12世紀あたりにインドネシアのマジャパヒト王国からイスラームが伝わったと考えられます」などと、さらっと書かれると「ああ、そうなんだ」と思ってしまう場合があります。

 本を読む際には、きちんとした根拠・証拠を積み重ねた上で論理的な体系を作っているかどうか注意したいものです。

 最後になりますが、この記事に刺激を受けて「琉球語の起源はアラビア語だった」などという説を真剣に追求しないようにお願いします(そんな人いないか)。そんなことは絶対にありませんので悪しからず。