日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

刺激を与えてくれてありがとう

2005年11月20日 23時21分01秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)17日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)

 いろいろな人々からの刺激に支えられながら、前へ進んでいる。


 名古屋の友人アマーニと、その夫ヘシャムはオリエンタルダンス教室と公演で頑張っている。生徒さんも増え、今までの努力が花開いているようだ。


 昨日は、知人の女の子が、テニスの全日本大会で15歳で優勝した。史上3番目の若さだそうで。


 そして昨晩、自分の主宰する空手道場に久しぶりに顔を出したら、高校生たちが頑張っていた。道場を閉鎖し、空手から足を洗おうと思っていたが、そうもいかなかくなった。


 「また動き出さなきゃ」


 みんなに背中を押されたような感じだった。久しぶりにトレーニングをした。健康上の理由から、まだハードなことはできないけど。


 運動した後の方が、頭の働きも良い。


 気持ちがすっきりして、クルアーンの章の名を一通り暗記することができた。ただし日本語だけど。アラビア語だと半分くらい。


 はでぃじゃねーさんやスマイヤさんのアドバイスも大きな刺激となり、第99章から以降の「修復作業」も終わった。それ以外にも多くの人に、さまざまな形で刺激を受けている。


 「まだまだ行けそうだな」


 今、そんな気持ちがあふれている。刺激を与えてくれてありがとう。多くの人々に感謝!! 

イラクまで152キロ

2005年11月19日 09時13分26秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)16日 ヤウム・サブティ(土曜日)

一番右側に「イラクまで152km」の表示がある。

 パルミラからダマスクスへ戻る幹線道路の分岐点に立ち寄った。


 この道の152キロ先に、混乱のイラクがある。
 かつては、多くのイラク難民が、この道を通ってシリアに入ってきたそうだ。
 そんな所を呑気に旅行しているのが不思議な気分だった。



 沙漠のど真ん中の道路には誰もいないし、車もほとんど通らない。たまに吹く風の音くらいしか聞こえない。
 ところどころオアシスがかなたに見える。今はとても静かな沙漠が広がるだけ。いつまでも静かな方がいいのだろう。

改めて思い知る、ハーフィズへの遠き道のり

2005年11月18日 23時56分30秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)15日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

 昨日、クルアーンの音読がなんとか終了したけど、覚えたはずの章を結構忘れていて愕然。


 第2章の暗記で苦戦している間に、後ろの方の章を忘れてしまうのではないかという不安が的中。


 そこで作戦を変えて、まず全ての章の名前を暗記することにした。そうすると、なんとなく全体像を掴んだような気になって、精神的に少しばかり余裕ができるのではないか? という目論見である。


 そんなコトは既にやっている方がいたり、もしかしたらフツーの方法なのかもしれないけれど、とにかく試行錯誤である。


 はるか以前にもブログに書いたけど、改めて、みなさんはどのような方法でクルアーン暗記に取り組んでいるのか、教えていただけるとありがたい。よろしくお願いします。

ついに音読完了。そして、このブログに驚愕のミスを発見

2005年11月17日 19時28分52秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)14日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

 やった!!


 ようやくクルアーンの音読が終わった。Basma Fatimahさんに送って頂いた「完誦のドゥアー」も唱えた。


 なんとも言えない達成感と、あふれ出るアッラーへの感謝の気持ち。


 ラマダーン中に読み終えることを目標としていたが、読むのが遅い上、実際に読み始めたのは、ラマダーン10日目くらいからだったので、タイムアウトになってしまった。
 でも、とにかく途中で辞めるのはイヤだったので、遅れながらもなんとか読了できた。


 自分の意思の弱さはよく知っているので、何の信仰心も無いまま「クルアーンを最後まで音読しろ」と言われたら、絶対にできない。
 実際、クルアーンと同じくらいの厚さの本を全て音読した経験など、生まれてから一度も無かった。本当に信仰の力はスゴイ。


 いやあ、ラマダーン2度目にしては自分なりに満足だ……


 ????  アレッ?


 計算が合わない。

 
 私がムスリムになったのは、西暦でいうと1月だぞ。このブログのタイトルの下の文に「2003年にイスラム教に改宗した、日本人男性のつぶやきです。日本社会でのイスラムライフをつづってみました。」と書いたけど、2003年1月に入信していたなら、ラマダーン3度目じゃないか? おかしい。


 イスラミックセンタージャパンで発行していただいた「ムスリム証明書」(考えてみるとスゴイ証明書だね)を確認すると「2004年1月」と明記してあった。


 はっはっはっ!! 

 
 入信した年を1年間違えちゃったな。そうだよ、確かにムスリムになってからまだ2年経っていないじゃないか。
 フツー間違えるか? 頭悪いんじゃないか、俺!?
 というわけで、‎タイトルの下の文を修正しました。


 以前、自分の定年を間違えちゃった同僚(翌年定年のつもりでいたら、翌々年だった)がいたけど、他人のこと笑えないな…

あと一歩

2005年11月16日 23時07分30秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)13日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)

 だらだらしていても仕方ないので、クルアーン音読を一気に終わらせることにした。

 
 現在、第82章:裂ける章が終了。残りは第83章から第114章までだが、すべて短い章。第30ジュズウ(最後の区切り)にも入ったので、あと一歩。
 今晩は、このまま最後まで突っ走ろうかと思っている。


 いろいろやることはあるけど、とにかくひとつずつクリアしてゆこう。

足踏み…

2005年11月15日 21時08分16秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)12日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)

 いかんなあ。


 いろいろなことがスランプで足踏み状態だ。


 ラマダーン中に達成できなかったクルアーン読みは、現在、第59章:集合章を読み終わったところ。第28ジュズウの前半あたり。


 クルアーンの暗記は、第2章:雌牛章の第45節までと、第81章:包み隠す章、第82章:裂ける章、第98章:明証章~第114章:人々章まで。


 7月5日にチェックしたときと比べて、第2章が15節分増えたのと、第98章から第101章が増えただけだ。
 しかもまた「抜け」がありそうだし。
 


 アラビア語文法は、動詞の活用(完了形・未完了形・動名詞・能動分詞・受動分詞など)を10形まで覚えたまま立ち止まっている。


 単語も増えていない。数えていないからわからないけど、クルアーンに出てくる単語や、文法書に出てくる単語、その他覚えた単語など、すべてあわせても、2000語くらいか。
 でも、単数形を覚えていても複数形は忘れてしまったということも珍しくないから、「完全にマスターした単語」となると、ぐっと減るんだろうな。


 アラビア書道も、ルクア体で大苦戦。
 そういえば、先週の土曜のレッスンでは、ベテランのSさんが、モロッコの一流書家の作品を持ってきたけど、美しかったなあ。


 それに、マグレブ書体なので、ف の点が上ではなく下にきていたり、ق の上の点がひとつで、ف みたいに見えたり、なかなか興味深かった。 


 「いつかあんな風に書けたらいいなあ」などと思うが、現実は厳しい。比較的簡単と言われるルクアで苦戦だもんなあ。


 もうひとつのブログ「イスラム関係ニュースの倉庫」も11月11日分で止まっている。
 ただストックするだけでなく、ニュースごとにまとめようともくろんでいたが、それどころではない状態だ。


 こうやって見ると、いろいろなことに手を出して中途半端になっているよなあ。やっぱりB型だな。最後はいつもどおり血液型に行き着くのであった。

デッカ&マッカ

2005年11月15日 05時56分38秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)12日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)

 gooのトップページの「検索で知るコトバ」に「デッカ&マッカ」とあるので、「聖地マッカ(メッカ)に関係のあることか?」と思ったら、全然違った。

 大阪弁だったんだね。


Excite Bit「デッカ&マッカ」って知ってまっか?



「デッカ&マッカの上町台地」


本当にコネタだけど、ちょっと気になったので。

ああ憧れのパルミラ遺跡⑧ いけない女神の時代

2005年11月14日 21時15分57秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)11日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)

パルミラ博物館の前のライオン像。アッラート神殿内で発見された。

 パルミラ博物館は、日本の援助で昨年大改築を行い、とても綺麗な博物館に生まれ変わった。
 でも、写真撮影が禁止されている上、きちんとしたパンフレットが無いのは、アンマンの博物館と同じである。


 なぜか、東京新聞出版局の『パルミラの遺跡』(アドナン=ブンニ、ハレド=アル=アサド著、小玉新次郎訳、1988年)という冊子が1000円ほどで売っているので購入したが、内容の古さは否めない。


 館内でひときわ目をひくのは、アッラート女神の像である。かなりデカく、造形も良い。しかし写真は撮れなかったし、先述の小冊子にも写真は無い。なんとかならないものか? 


 アッラート女神は、ジャーヒリヤ時代(イスラーム以前のアラビア)で信仰されていた3女神のうちのひとりである。
 イスラーム以前は「アッラーの娘」とも言われており、クルアーンの第53章では、「唯一の神に娘がいるなどというタワゴトはいかんよ」という口調で、当時の風潮が批判されている。ちょっとだけ抜粋。


【第53章:星章・第19節-第20節】

أَفَرَءَ يْتُمُ اللَّـَتَ وَالْعُزَّىَ

وَ مَنَوَةَ الثَّالِثَةَ الأُخْرَىَ


19.アファラアイトゥム・ッラータ・ワ・ル・ウッザー
20.ワ・マナータ・ッサーリサタ・ル・ウフラー


19.あなたがたは、アッラートウッザーを(何であると)考えるか。
20.それから3番目のマナートを。


 いろいろな本の内容を総合すると、3女神の素性は以下の通り。
 アッラートは、高原の町ターイフの岩を聖所とした、太陽の女神。
 ウッザーは、メッカ近郊の町ナフラに聖所を持つ、金星の女神。
 マナートは、メッカとメディナの間に聖所を持つ、運命を司る女神。


 ウッザー(アル・ウッザー)が、ペトラではアロウザ女神となったのは、以前にも書いたとおり。

 
 パルミラでは、ギリシア神話のアルテミス(豊穣と月の女神)や、アテネ(戦いと芸術の女神)、さらにシリアのアタルガティス(豊穣の女神)なんかと習合されて信仰されいたようだ。

 
 そして、マージャン族(楽しそうな部族ですね)のシャラマラートさんが、アッラート神殿を寄進したとか。


 そんな風に、昔はアラビアのほうでも女神が信仰されていたわけだが、イスラーム時代に入り、多神教の否定とともに女神信仰も否定された。
 こうして、「いけない女神」の時代は過ぎ去ったのである。
 今は、博物館に当時の名残が残るのみ。


 もしかしたら「いけない女神の時代」というサブタイトルから、なにか妙な想像をしたり、背徳の香りを感じて、このブログに迷い込んだ方もいるかもしれないが、「想像と違っていて残念でしたね」としか言いようが無い。
 良かったら、懲りずにまた来てください。

ブッシュ大統領が聖クルアーンを引用

2005年11月13日 07時04分55秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)10日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)

 昨日、ネットでニュースを見ていたら、こんなニュースがあった。長くなるけど、全文引用しておく。

イスラム社会に連帯呼び掛け=コーラン引用し過激派非難-米大統領

 【ワシントン11日時事】ブッシュ米大統領は11日、ペンシルベニア州の米軍施設で「テロとの戦い」をテーマに演説した。大統領はヨルダンの同時爆弾テロに関し、「イスラム過激派の殺人思想は今世紀の重大な挑戦だ」と非難。その上で「今こそ責任あるイスラムの指導者は、高貴な信仰を汚す思想を糾弾する時だ」と述べ、イスラム社会に対テロ戦争への連帯を呼び掛けた。
 大統領は「無実の人を殺すのは全人類を殺すようなことだ」と説いたイスラム教の聖典コーランの一節を紹介し、「過激派のイデオロギーは、イスラム教の教義とまったく異なる」と指摘。イラクとアフガニスタンの民主化やパキスタンの災害支援に取り組む米国は、善意のイスラム教徒の味方だとの立場を強調した。(時事通信)


 たぶん、第5章:食卓章の第32節の一部ではないかと思う。節の文すべて記載しておくけど、ブッシュ大統領は、赤字の部分を引用したのではないかと思う。

مِنْ أَجْلِ ذََ َلِكَ كَتَبْنَا عَلَىَ بَنِىَ إِسْرَ َءِيلَ

أَنَّهُ,مَن قَتَلَ نَفْسَا بِغَيْرِ نَفْسٍ

أَوْ فَسَادٍ فِي الأََرْضِ فَكَأَ نَّمَا قَتَلَ النَّاسَ جَمِيعًا


وَمَنْ أَحْيَاهَا فَكَأَ نَّمَا أَحْيَا النَّاسَ جَمِيعًا

وَلَقَدْ جَاءَتْهُمْ رُسُلُنَا بِالْبَيِّنَـَـتِ ثُمَّ إِنَّ كَثِيرًا مِّنْهْمُ

بَعْدَ ذَ َلِكَ فِي الأَرْضِ لَمُسْرِفُونَ



ミン・アジュリ・ザーリカ・カタブナー・アラー・バニー・イスラーイーラ

アンナフ、ミン・カタラ・ナフサー・ビガイリ・ナフスィン

アウ・ファサーディン・フィ・ル・アルディ・ファカア・ンナマー・カタラ・ンナーサ・ジャミーアン


ワ・ミン・アフヤーハー・ファカア・ンナマー・アフヤー・ンナーサ・ジャミーアン

ワ・ラカドゥ・ジャーアトゥフム・ルスルナー・ビ・ル・バイイナーティ・スンマ・インナ・カシーラン・ミンフム

バアダ・ザーリカ・フィ・ル・アルディ・ラムスリフーナ


そのことのためにわれはイスラエルの子孫らに対し、掟を定めた。
人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。
人の生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである(と定めた)。
そしてわが使徒たちは、かれらに明証をもたらした。
だが、なおかれらの多くは、
その後も地上において、非道な行いをしている。


 昔のこととはいえ、「十字軍発言」をしてイスラム社会のヒンシュク買ったり、「多少の犠牲はやむをえない」などと、罪の無い人を殺すことを認めていた人が「いまさら何を」という感じもするが。
 アメリカのムスリムや、イスラム諸国が、この発言をどうとらえたんだか、載っていないのが気になる。
 アメリカ国民からの支持率も下がる一方だし、「また偽善かよ」という感じで、軽く無視されたのだろうか?


 久しぶりにアラビア語を打って、マジメなこと書いたら少々疲れました。

ああ憧れのパルミラ遺跡⑦ 飛ばし屋ジョニー

2005年11月12日 07時04分27秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)9日 ヤウム・サブティ(土曜日)

この人が「パルミラの飛ばし屋ジョニー」。シリアでは伝説のドライバー(ウソ)。

 このブログは思いつくままに綴っているので、時系列はかなりテキトーである。
 ということで、話は突然、アラブ城観光に戻る。

 
 アラブ城に向かうために、ゼノビア・ホテルの前からチャーター・バスに乗った。
 南アジアから西アジアにかけてよく見られるような、デコレイティブなのに、チープな感じのバスである。


 そして、これまたよくあるようにドライバーが「飛ばし屋ジョニー」である。
 「なぜジョニーなのか?」と言われても、私の心の中では「飛ばし屋といったら、もちろんジョニーだろう」と昔から固定観念が出来ているので仕方ない。
 最近では、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー(だっけ?)」などという商品名の豆腐も売られているし、ジョニーは永遠である。


 ジョニーは登りでは歌いながら飛ばしていた。他の車とぶつかりそうになっても気にしない。さすがアラブ圏。


 ガツッ!


 実際に、他の車とぶつかっても気にしない。やはりアラブ圏。


 下りはさらに飛ばした。ジェットコースターというより、スキーの直滑降に近い感覚。


 前方にアラブ人らしき人たちがたくさん歩いている。ブレーキを緩める様子は無い。クラクションも鳴らさない。轢いてしまうではないか。


おいおいおーーいっ! 



 と思っていたら、歩いていた人たちが素早い身のこなしで流星号をよけた。むむ、あの動き…アラブ人恐るべし。


 次なる関門は反対方向から飛ばしてくるバス。またもやスピードを緩めない。よける気配も無い。ぶつかるじゃないか。


おいおいおーーいっ! 




 間一髪で相手がよけてくれた。


 思わず「オー!! ベリー・デンジャラス!!」と叫んだ。


 ジョニーはこちらを見て笑いながらひとこと言った。


 「イン・シャー・アッラー!」


 うーむ、こういう使い方で本当にいいのか? ぶつかったら、アッラーの意思ではなく、あなたのせいだと思うぞ。


 というか、こっち見て話していないでいいから前を見てくれ。ああっ! また対向車だあ!


 大変スリリングな時間を体験させていただいた。ああ、無事でよかった。

愛車の「流星号」。勝手に命名。すごいスピードで坂を下る。スリル満点!