ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)11日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日) |
パルミラ博物館は、日本の援助で昨年大改築を行い、とても綺麗な博物館に生まれ変わった。
でも、写真撮影が禁止されている上、きちんとしたパンフレットが無いのは、アンマンの博物館と同じである。
なぜか、東京新聞出版局の『パルミラの遺跡』(アドナン=ブンニ、ハレド=アル=アサド著、小玉新次郎訳、1988年)という冊子が1000円ほどで売っているので購入したが、内容の古さは否めない。
館内でひときわ目をひくのは、アッラート女神の像である。かなりデカく、造形も良い。しかし写真は撮れなかったし、先述の小冊子にも写真は無い。なんとかならないものか?
アッラート女神は、ジャーヒリヤ時代(イスラーム以前のアラビア)で信仰されていた3女神のうちのひとりである。
イスラーム以前は「アッラーの娘」とも言われており、クルアーンの第53章では、「唯一の神に娘がいるなどというタワゴトはいかんよ」という口調で、当時の風潮が批判されている。ちょっとだけ抜粋。
【第53章:星章・第19節-第20節】
أَفَرَءَ يْتُمُ اللَّـَتَ وَالْعُزَّىَ وَ مَنَوَةَ الثَّالِثَةَ الأُخْرَىَ |
19.アファラアイトゥム・ッラータ・ワ・ル・ウッザー 20.ワ・マナータ・ッサーリサタ・ル・ウフラー |
19.あなたがたは、アッラートとウッザーを(何であると)考えるか。 20.それから3番目のマナートを。 |
いろいろな本の内容を総合すると、3女神の素性は以下の通り。
アッラートは、高原の町ターイフの岩を聖所とした、太陽の女神。
ウッザーは、メッカ近郊の町ナフラに聖所を持つ、金星の女神。
マナートは、メッカとメディナの間に聖所を持つ、運命を司る女神。
ウッザー(アル・ウッザー)が、ペトラではアロウザ女神となったのは、以前にも書いたとおり。
パルミラでは、ギリシア神話のアルテミス(豊穣と月の女神)や、アテネ(戦いと芸術の女神)、さらにシリアのアタルガティス(豊穣の女神)なんかと習合されて信仰されいたようだ。
そして、マージャン族(楽しそうな部族ですね)のシャラマラートさんが、アッラート神殿を寄進したとか。
そんな風に、昔はアラビアのほうでも女神が信仰されていたわけだが、イスラーム時代に入り、多神教の否定とともに女神信仰も否定された。
こうして、「いけない女神」の時代は過ぎ去ったのである。
今は、博物館に当時の名残が残るのみ。
もしかしたら「いけない女神の時代」というサブタイトルから、なにか妙な想像をしたり、背徳の香りを感じて、このブログに迷い込んだ方もいるかもしれないが、「想像と違っていて残念でしたね」としか言いようが無い。
良かったら、懲りずにまた来てください。