へそ曲がりの真っ直ぐ日記

反日の韓国と中国、国内の反日マスコミを斬る

朝日が育て上げた「歴史修正主義」という反日言説

2015年01月06日 | 報道・ニュース
「なるほど」と納得する言葉を集めてみた。
安倍首相が伊勢神宮参拝後の年頭記者会見で、8月にもまとめる戦後70年の首相談話に関する基本的な考え方を示した。
<「平和へ積極貢献」強調…首相が年頭会見>
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150105-OYT1T50112.html?from=ycont_top_txt

■安倍首相は5日、三重県伊勢市で年頭の記者会見を行い、今年8月に発表する戦後70年の首相談話について、「先の大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、アジア太平洋地域や世界にどのような貢献をしていくのか、英知を結集して考え、書き込んでいく」と述べた。

 過去の反省を踏まえ、世界の平和と安定に積極的に貢献していく姿勢を打ち出す方針だ。

 首相は戦後70年を振り返り、「日本は先の大戦の深い反省と共に、ひたすらに自由で民主的な国家を作り上げてきた。アジアや世界の平和と発展のために、できる限り貢献してきた」と強調した。その上で、「次なる80年、90年、100年に向けて、積極的平和主義の旗の下、世界の平和と安定に一層貢献していかなければならない。その明確な意志を世界に向けて発信したい」と表明した。

 戦後50年に植民地支配と侵略を謝罪した村山首相談話など、過去の政府見解に関しては、「村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」と語った。政府は、歴史や外交の専門家による有識者会議で談話の内容を議論し、8月15日の終戦記念日に合わせて発表する方針だ。・・・・■

積極的平和主義とは、一国平和主義や空想的平和主義へのアンチテーゼだ。昨夜のBSフジの番組で、近現代史研究者の半藤一利氏は「不戦の誓いと積極的平和主義は両立する」と語っていた。平和ボケの護憲論者、9条信者もそろそろ目を覚ましたほうがいい。

産経の社説はこう説いている。
<【主張】戦後70年談話 積極的に未来と歴史語れ 不当な非難に繰り返し反論を>
http://www.sankei.com/column/news/150106/clm1501060002-n1.html

■・・・・・・・・・
首相は、日本の「侵略」を明記した平成7年の村山富市首相談話(村山談話)をはじめとする歴代内閣の歴史認識を「全体として引き継いでいく」と語った。

 村山談話は戦後50年に際し、自社さ政権時代に閣議決定された。与野党が合意する形での国会決議が実現しなかったため、首相談話として出された経緯がある。

 当時の野坂浩賢官房長官は有力閣僚や与党幹部らに内容を詳しく説明しないまま、「首相の気持ちなので何も言わずに了解してほしい」と根回しして決定された。

 村山談話の閣議決定では、その場にいた多くの自民党閣僚も了承した。政府の連続性を考えた場合、注目される70年の節目にあたり、歴史認識を大きく転換することも容易ではなかろう。

 首相が歴史認識などを基本的に継承する姿勢をとっているのは、そうした判断なのだろうか。しかし、ある内閣が過去の歴史を一方的に断罪し、その後の内閣が踏襲していくことの弊害は大きい。

 それだけに、未来に向けた日本の決意や、戦後の歩みへの誇りを胸を張って表明する意義や必要性は高い。

 先の大戦での日本の行動をおとしめる主張だけが内外で行われることへの懸念は大きい。とりわけ学校教育現場における偏った歴史教育から、子供たちを守ることはより重要となる。教育の正常化の取り組みに「歴史修正主義」と一方的なレッテルを貼り、偏向の是正を妨げることは許されない。

問題はやはり、「歴史修正主義」という流行り言葉だ。内外の左翼勢力が見境なく使っているレッテルだ。
<【正論】年頭にあたり 「歴史の衝突」の時代に覚醒せよ 拓殖大学総長・渡辺利夫>
http://www.sankei.com/column/news/150105/clm1501050001-n1.html

■年は改まったが鬱々として晴れない。歳のせいであろうが、そればかりでもない。中韓はもとより欧米のクオリティペーパーまでが安倍晋三首相を「歴史修正主義者」と難じて恬然(てんぜん)たるありさまである。物心ついた頃に戦争を体験し、その後70年を生きてきた人間としてはどうにもやりきれない。

 ≪大合唱の「歴史修正主義」≫
 歴史修正主義というが、歴史はむしろ恒常的に修正さるべきものであろう。つねに客観的で検証可能な歴史というものは存在しない。社会の支配的勢力がみずからの統治の正統性を訴えて歴史を編纂(へんさん)するというのはよくあることだ。中国の近現代史を貫くものが共産党の正統史観であり、韓国のそれは日本統治という「清算」すべき過去を抱えもつ史観に他ならない。日本史はそれほどあからさまではないが、イデオロギー時代の歪(ゆが)みはなお糺(ただ)されてはいない。

 残念なことに、ナチスドイツのホロコースト否認論者が自らを「歴史修正主義者」だと言い立てたために、この用語法は途方もなく否定的な歴史的記憶を呼び覚ます修辞となってしまった。中韓の政権ブレーンたちはそのことをよく知っているのであろう。安倍首相を名指しで歴史修正主義者だといい、戦前期日本のアジア侵略主義の再現者のごとくに言い募っている。

首相の靖国参拝、河野談話にいたる経緯の政府検証、集団的自衛権行使容認に関する閣議決定、朝日新聞による従軍慰安婦についての吉田清治証言取り消しなどが相次いだ。日本の国際的孤立化を狙う中韓が、これら一連の動向を日本の「右翼化」「軍国主義化」の論拠とし強く反発している。過剰な平和主義、自衛の構えにさえ抑制的に過ぎたことへの自省を少し形に表しただけで、歴史修正主義者呼ばわりの大合唱である。
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問われるべきは欧米メディアの安倍政権に対する反応である。欧米の有力紙が安倍首相を歴史修正主義者だと繰り返し批判している。自由と民主主義、法治と市場経済を価値信条とし、これを共有しているはずの欧米のメディアがどうしてそんなに条理にかなわぬことをいうのか。

欧米のメディアに日本の戦前史のネガティブな記憶を甦(よみがえ)らせたものは、歴史教科書問題、首相の靖国参拝、従軍慰安婦問題について、1980年代の前半期以降、主として朝日新聞が張ったキャンペーンであった。これに力を得た中韓が猛烈な反日外交に転じ、その結果、教科書検定基準における近隣諸国条項、首相の靖国参拝中断、河野談話、村山談話という著しい成果を手にすることができた。この成功体験が反日増悪の直接的な契機となった。日本政府は中韓の対日外交に「倫理的優越性」を与えてしまったのである。・・・・・・・・・・
今年は戦後70周年である。9月3日は中国の「抗日戦争勝利記念日」とされ、同日は「世界反ファシズム戦争と中国人民抗日戦争70周年」とすることが中露間で合意されている。日韓基本条約50周年でもある。

 冷戦後の世界を「文明の衝突」として描いたサミュエル・ハンチントンの予見力は確かなものであったが、今後の日本は「歴史の衝突」の時代をも生きていかざるをえまい。日本人の歴史意識のありようが徹底的に問われる時代がやってくる。新年である。このことに覚醒しようではないか。(わたなべ としお)■

「歴史修正主義」という非難の原因も、元をたどれば朝日の報道だったのである。諸悪の根源はやはり朝日新聞なのだ。

「安倍叩き」のためなら、何でもありの朝日新聞

2015年01月06日 | 報道・ニュース
低劣な新聞である。「安倍叩き」のためなら、何でもありなのだ。
もちろん朝日新聞のことである。
<サザン「ピースとハイライト」は政権批判? 解釈で波紋>
http://www.asahi.com/articles/ASH155SJLH15UTIL02G.html?iref=comtop_6_04

■31年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場したサザンオールスターズ。そこで披露した歌が反響を呼んでいる。どうしてなのか。

 昨年の大みそか、ちょびひげを付けた桑田佳祐さんがテレビ画面に映し出された。横浜での年越しライブ会場から中継で登場した桑田さんが歌ったのは「ピースとハイライト」だった。

 世界各国の言葉で「平和」という文字が映し出された映像が流れる中、桑田さんは少しおどけたように歌った。

 ♪都合のいい大義名分(かいしゃく)で

 争いを仕掛けて

 裸の王様が牛耳る世は……狂気

 この「都合のいい大義名分」を、集団的自衛権行使容認のための憲法解釈変更に重ね合わせて聴いた視聴者らがネットで反応した。曲名を「平和(ピース)と極右(ハイライト)」と読み替えたり、「裸の王様」を安倍晋三首相への揶揄(やゆ)と受けとめたり――。

 ツイッターなどにはこの歌の「解釈」を巡って賛否の投稿が相次いだ。■

まともな批判ができなので、「ネトサヨ」の噂話まで持ち出してきた。保守系の意見は「ネトウヨ」と貶める一方で、同類の「ネトサヨ」を持ち上げるのである。醜い新聞である。かつての「クオリティー・ペーパー」の看板はどこへ行ったのか?自らの慰安婦虚報のせいで、社説にも説得力がないため、文学的な修辞でお茶を濁してばかり。今回は下卑たネタで、新手の「安倍叩き」に出たのだろう。恥ずかしい新聞である。

こんな新聞に「再生」などあるはずがない。すべてが「外部」「第三者」任せなのだ。
<「朝日」慰安婦報道で検証終了宣言「不明な部分が残ったとは考えていない」…会社再生への行動計画>
http://www.sankei.com/entertainments/news/150105/ent1501050008-n1.html

■朝日新聞社の渡辺雅隆社長は5日、東京都内で記者会見し、編集部門から独立した立場で報道内容を点検する「パブリックエディター制度」を今春に新設するなど一連の問題を受けた行動計画を発表した。過去の慰安婦をめぐる記事の作成経緯については「不明な部分が残ったとは考えていない。第三者委員会にしっかり議論していただいた」と述べ、これ以上は検証しない考えを示した。

 慰安婦報道をめぐる第三者委の検証では、朝鮮人慰安婦を「強制連行した」とする吉田清治氏の証言を初めて報じた昭和57年の記事の筆者は特定できなかった。また、第三者委に「議論のすりかえ」と指摘された平成9年の特集記事をめぐっては、関係者間で証言の食い違いがあった。

 同社役員と社外有識者でつくる「信頼回復と再生のための委員会(再生委)」での議論を経て、同社は行動計画をまとめ、一連の問題を「過剰な使命感によって読者がどう受け止めるかという視点を見失い、公正さや正確さを軽視した」と総括。社内外の数人で構成するパブリックエディター制度に加え、訂正記事を集めるコーナーを紙面に設けることも公表した。

 渡辺社長は会見で、慰安婦報道や東京電力福島第1原発事故をめぐる「吉田調書」報道など、それぞれの問題の原因について「(行動計画に)あるものが私たちの考えだ」と繰り返し、各論への言及は避けた。社外有識者を加えた再生委での議論を「火消しでは」と疑問視した質問に対しては「火消しをするための委員会では全くない」と、強い口調で語る場面もあった。

これで幕引をり、また先の記事のように、陰険な方法も用いて、戦後70年の節目に向けて左翼反日報道を続けていくのであろう。第三者委の委員の一人が「また同じような誤報をやったら、次は廃刊しかない」と、テレビでコメントしていたのがせめてもの慰めか。

この男もスタンス不明の解説者である。無色透明を装ってはいるが、やはり赤系統の色がうっすらと見える。決して自分の見方を明らかにしないヌエのようでもある。
<「朝日」池上彰氏のコラム「新聞ななめ読み」再開へ >
http://www.sankei.com/entertainments/news/150105/ent1501050009-n1.html

■朝日新聞社は5日、休載していたジャーナリスト池上彰氏のコラム「新聞ななめ読み」を30日付朝刊から再開すると明らかにした。

 池上氏は、昨年8月29日付朝刊で、朝日新聞の従軍慰安婦報道の検証記事を批判しようとしたが、朝日が掲載を見送ったため、池上氏が連載中止を申し入れた。
 その後、朝日は見送りが誤りだったと認めた。池上氏は連載を再開するか検討してきた。■

持論を持たぬ(言わぬ)男は、結局、マスコミの左傾潮流に寄り添い、流されていくしかないのである。