『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告
(8/12)「馬鹿」
〔設問〕を読み返そう。「作者がどんな人間像を与えようとしているのか」ということだった。遠藤らは「作者」に「どんな人間像を与えてようとしているのか」なあ。
ところで、「作者」って何者? 〔1230 作者と作品と語り手夏目漱石を読むという虚栄 1230 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)〕参照。
私が批判しているのは、ことあるごとにウンチを垂れ、もとい蘊蓄を傾けて悦に入る知識人どもだ。また、勿体ぶった意味不明の作文を有難がる編集者、研究者、評論家、教員、記者、コラムニスト、コメンテーターなどだ。彼らは道化師と区別できない。
実際、テレビでは、お笑い芸人がコメンテーターをやっているよね。芸人は無責任でいい。むしろ、無責任の方がいい。だが、無責任な芸人と一線を画すことが出来ない人は、自分が無責任であることを表明しているようなものだ。
自尊心がないのか。虚栄心が強いのか。いや、逆か。どっちでもないのか。
自尊心と虚栄心のごちゃ混ぜ。ことあるごとに虚勢を張る。威張れないとき、不能を苦悩に偽装する。要するに「馬鹿」(下三十)だ。〔2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」夏目漱石を読むという虚栄「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」 2410 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)〕参照。
知識人の共通点は「馬鹿」の一言で表すことができる。
(8/12終)