漫画の思い出
藤子・F・不二雄
『オバケのQ太郎』
男の子が好きそうな冗談でいっぱいだった。ただし、石森の絵の場面は、くどい。
アニメ化される一週間前に、前夜祭と称して、舞台で声優たちがドタバタを演じた。大人が子供の恰好をして、捕虫網を担いで走り回る。オバQは半球に白いシーツを被せた物だ。安っぽいのが、いくつも出て来て、その中に誰かがいて、あっちから出ては、こっちから出る。そのたびに、子供のふりをする大人が、あっ出た、あっ消えた、と騒ぐのだ。子供を馬鹿にするのもいい加減にしろ!
後から知ったのだが、アニメの制作が遅れていたので、やむを得ず、前夜祭をやったのだそうだ。
『ドラえもん』
少年の私は藤子不二雄に騙されたような気がして、不愉快だった。作品ごとに画風が変わり、物語の雰囲気も変わるからだ。少し大人びてくる頃、シニカルなのが好みだったのに、次作はまた幼稚になる。藤子不二雄が二人いることを知らなかった。
『ドラえもん』は成人後に読んだ。歯医者の待合室に並んでいた。それらは手垢塗れで、端がぼろぼろになっていた。さぞかし子供達に愛されているのだろうと思って、ページを捲ると、すぐに引き込まれて、あの45巻を買い集めた。大長編シリーズの、著者の生存中の物は全部見た。カラー版も買った。学習漫画も、ほとんど読んだ。ただし、アニメ映画は見ていない。自分の印象を壊されたくないからだ。
一番有名なのは、第1巻の最終回だろう。ドラえもんが未来に帰って行く話だ。泣けるよね。
私のコーヒー・カップには、ドラえもんの顔が描かれていた。だが、割れた。
GOTO 『夏目漱石を読むという虚栄』1113 Sはスネ夫のS夏目漱石を読むという虚栄 1110 - ヒルネボウ
GOTO 書評『ドラえもん0(ゼロ)』(小学館)23・0709(書評) 藤子・F・不二雄『ドラえもん0(ゼロ)』(小学館) - ヒルネボウ
(終)