ヒルネボウ

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『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告 (6/12)詭弁家

2024-05-03 00:21:13 | 評論

   『夏目漱石を読むという虚栄』第七章予告

(6/12)詭弁家

〔解答〕の「知識人」は意味不明。「高い知識・教養のある人」(『広辞苑』「知識人」)という説明では不足。「高い知識」とは何か。「教養」の高低をどうやって測るのか。

普通のとは少し違う意味で言葉を用いるのは詭弁家だろう。つまり、知識人は詭弁家の同類だ。〈詭弁家は知識人だが、知識人の全員が詭弁家なのではない〉という反論が予想される。そんな反論をする君って、詭弁家ではないのかな? 

漱石という筆名からして〈吾輩は詭弁家である〉と白状しているようなものではないか。〔1424 宮沢賢治夏目漱石を読むという虚栄 1420 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)〕参照。

「知識人」という言葉は『こころ』に出ていない。似た言葉で「思想家」(上十五)というのが出ているが、意味不明。〔1540 「覚悟」とか「主義」とか「人生観」とか〕と〔3150 いんちきな「思想家」夏目漱石を読むという虚栄 3150 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)〕参照。

プロタゴラス、ゴルギアス、ヒッピアス、プロディコスらが有名。とりわけソクラテス、プラトンのソフィスト非難があずかって、〈詭弁家〉との悪評が後世まで残るが、知識の普及者、言語批判の先駆者としての意義は大きく、ほぼ同時代の中国の諸子百家に比せられる。

(『百科事典マイペディア』「ソフィスト」)

「非難があずかって」は意味不明。

プロタゴラスとプラトンの違いを知る必要はない。私は単純な話をしている。ソフィストは二種類いて、立派な人を思想家と呼び、駄目な連中を知識人と呼ぶ。その程度の話なのだ。

(6/12終)


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