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夏目漱石を読むという虚栄 1230

2021-01-27 14:30:18 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1200 語り手は嘘をつく

1230 作者と作品と語り手

1231 読者に擬態

 

私は、〈生きて死ぬ個体としての作家〉と〈作品に付随する虚構の作者〉を区別する。作家は、自分の信念に反する文章を書くことができる。だが、作者は、できない。

 

<作品を書いた人は、誰ひとり、作品のそばで生き、作品のそばにとどまることは出来ぬ。作品とは、彼を、解雇し、除去し、彼を、生残りに、無為の人(désoeuvré)に、なすべきことなき人間に、芸術が何ら依存するところなき無力な人間にする決定そのものだ。

(モーリス・ブランショ『文学空間』)>

 

個体としての作家は、自分の作品を改変したり廃棄したりすることができる。だが、虚構の作者に、そんなことはできない。作品が消滅すると同時に作者も消える。逆に、バージョンが増えると、作者も増える。

劇映画の作者を、たとえば監督と決めるのは無理だ。関係者が多数いるからではない。全然違う。自撮りの個人映画もある。そうした楽屋の事情を、観客は知らない。何となくだが、〈映像作家〉という人格があって、それが一個のように思えるわけだ。音楽でも同様。

たとえば、『ブレード・ランナー』(スコット監督)には、バージョンが複数ある。だから、作者も複数いることになる。言うまでもなく、映画の作者は、原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(ディック)の作者とも違う。

 

<要するに、作者は享受者に完成さるべき作品を提示する。

(ウンベルト・エーコ『開かれた作品(新版)』)>

 

「さるべき」は〈されるべき〉と解釈する。

ある「享受者」にとっての真の作者は、個体としての「享受者」自身だ。たとえば、シュミレーション・ゲームやRPGなどの物語の作者は「享受者」つまりプレーヤーだ。

 

<ロマン派時代には社会に対立する孤高の〈天才〉という作者概念が登場。20世紀には無意識的な衝動に左右される作者像、システムとしての言語に操作される受動的作者像が登場し、〈作者の死〉が問題となる。現在では作者の存在を歴史と社会制度から再考する動きもある。

(『百科事典マイペディア』「作者」)>

 

一般に、ある情報を理解するためには、〈この情報は誰に対して発信されたのか〉という問題が解けていなければならない。宛先の知れない手紙を読むとき、人は受取人の姿をこしらえる。童話を読むとき、大人も子供になる。少女漫画を読むとき、男も女になる。神話を読むとき、無神論者も信者になる。人は、作者が想定しているらしい読者に、いわば擬態をしながら読む。その作者は、勿論、個体としての読者自身の空想の産物だ。

「遺書」を読むとき、私はPに擬態する。P文書を読むとき、誰に擬態しよう。

(付記)『ブレードランナー ファイナルカット』の作者はファンかもしれない。

 

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1200 語り手は嘘をつく

1230 作者と作品と語り手

1232 鶏と卵

 

〈作者〉と〈作家〉を区別する理由の一つは、〈『こころ』を書いたのはNだ〉という証拠を私が握っていないからだ。

『坑夫』を書いたのはNか。文体がNの他の小説と違う。

『虞美人草』は漢文だらけで意味不明だ。

PがSの「遺書」を書いたのかもしれない。「遺書」の文体はP文書のそれと似ている。

芥川龍之介は『トロッコ』を書いたのか。『きりしとほろ上人伝』は盗作に近い。

太宰治は『斜陽』を書いたのか。作者が二人いるみたいだろう。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は未完成だから、作者も未成熟だ。

〈作品〉と〈作者〉は、鶏と卵のような関係にある。鶏が先か、卵が先か。卵が先だ。鶏ではない二羽の鳥が番ってできた卵から孵ったのが、世界で最初の鶏だ。卵を産むのは作者だが、それを孵して鶏に育てるのは読者だ。

『ミザリー』(キング)の作中で執筆される小説の作者は確定しない。映画の『ミザリー』(ライナー監督)では、作者と読者の微妙な関係が描かれていない。

語り手と作者は混同されることがある。

 

<作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。

(芥川龍之介『羅生門』)>

 

この「作者」は、『羅生門』の作者ではなく、語り手だ。「書いた」と書いてあるから〈書き手〉と書くべきだろうが、区別するのは面倒だから、〈語り手〉で通す。

 

<作者は此所(ここ)で筆を擱(お)く事にする。実は小僧が「あの客」の本体を確かめたい要求から、番頭に番地と名前を教えて貰(もら)って其処を尋ねて行く事を書こうと思った。

(志賀直哉『小僧の神様』)>

 

この作品は、「此所(ここ)」から先も続く。語り手である自称「作者」が擱筆を宣言しても作品は終わっていない。この「作者」は、私のいう〈作者〉とは違う。語り手だ。『小僧の神様』の語り手は、この後、異本を語り始める。それは「此所(ここ)」までの物語の不備を補うものだ。

 

<そう質問された時、私はただ両方とも事実であったのだから、事実として貴方に教えて上げるというより外に仕方がないのです。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」十二)>

 

語り手Sは、彼の空想する「貴方」つまり聞き手Pに「質問され」て逃げている。Sは、自分にとって都合のいいはずの聞き手からも逃げるのだ。彼が空想の問答を続けない理由は不明。実際に問答から逃げているのは、語り手Sではなく、作者だろう。作者の能力不足を、語り手Sが庇ってやっているわけだ。

 

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1200 語り手は嘘をつく

1230 作者と作品と語り手

1233 作品と異本

 

私がまず解いておくべきなのは、〈作品とは何か〉という問題だろう。しかし、どうも解けそうにない。

谷啓の「ガチョーン」は作品か。田原総一朗の「いや、だから」は作品かもしれない。

「ダンスがすんだ」が作品でないのなら、「談志が死んだ」も作品ではなかろう。作家を立川談志と特定できたとしても、作品のようではない。しかし、『軽い機敏な仔猫何匹いるか』(土屋耕一)や『わたしかすみそう うそみすかしたわ』(石津ちひろ)などは作品集だから、これらに収められた個々の回文は、それぞれ、作品だろう。

「酒のない国へ行きたい二日酔い」は、「また三日目には戻りたくなり」と続かなくても作品だろうか。川柳は作品だが、余韻のある俳句は作品だろうか。余韻なるものの感じが人によって違っていていいとしたら、俳句は作品と呼べるのだろうか。

教訓のない教訓譚は作品だろうか。Sの「遺書」から抽出すべき「生きた教訓」(下二)は「遺書」に含まれていない。だから、「遺書」は教訓譚として失敗しているはずだ。ただし、「生きた教訓」は意味不明。『こころ』が教訓譚なら、未完だろう。つまり、尻切れ蜻蛉だ。

タモリは、赤塚不二夫の遺影を仰ぎ見て、「私もあなたの作品です」と語りかけた。

これでいいのか。

〈作品〉とは、文芸に限らず、あるまとまった情報のことをいう。しかし、誰がある情報を〈これはまとまっている〉と見なすのだろう。個体としての享受者だ。発信者が〈作品〉として発信したものを、享受者が〈これはまとまっていないな〉と思うことがある。その場合、〈まとまっていないように思う自分がおかしいのかもしれない〉と反省する。そして、発信者が想定しているらしい受信者の像を思い描き、それに擬態しようとする。擬態できない場合、享受者は、〈この作品なるものには余分な情報が混じっている〉と思い、そこを削る。逆に不足を感じる場合、〈ここにあれを加えるとまとまりそうだ〉と思い、〈あれ〉を加えてみる。このような場合、享受者は異本の作者になっている。

あらゆる文章は、読み終えるまで、情報が足りていないように思えるものだ。あるいは、余計な情報が混じっているように思えるものだ。享受者は〈この先、ああなるのか、こうなるのか〉と考えながら読み進む。期待通りだと安心する。予想通りだと退屈する。期待外れだと不満だが、予想外の面白さがあれば楽しい。あれこれ考えながら読むとき、享受者は異本の作者になっている。読後、〈余計なものもなく、不足もなかったな〉と思ったとき、つまり、入手した情報を作品として認めたとき、享受者は異本の作者でなくなる。〈作者の想定する読者に擬態できた〉と思うわけだ。同時に、作者の像を思い浮かべることができるようになっている。この作者の性格と生身の作家の性格は違っていていい。

ところが、文豪伝説では、こうしたプロセスが逆さまになっているらしい。〈文豪N〉という作者の像が予めどこかに用意されていて、享受者はその作者が予想しているらしい読者に擬態した後、おもむろに本を開く運びとなるらしい。こうした態度は、宗教の信者が経典などを読むときの態度に似ているようだ。とにかく、〈感心しよう〉という構えで読み進む。〈有名だから、面白くて、ためになりそうだ〉などと期待するのとは、まるで違う。後者は文豪伝説の信者で安直だが、前者は硬直している。前者を〈夏目宗徒〉と呼ぶ。

(1230終)


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