漫画の思い出
花輪和一(20)
『護法童子・巻之(一)』(双葉社)
「旅之九 天人様の巻」
冒頭、合体した護法童子が現れる。前作の「神なし峠の巻」で起きた男女の分離はどうなったのか。峠を過ぎたら納まったのか。不明。
ある村では、毎年、豊作を願って「天人様」に若い女を「いけにえ」として送ってきた。「天人様」は姿を見せない。実は、化け物だ。この化け物の正体は、「村長(むらおさ)」だった。いや、彼が堕落して化け物になったのか。不明。
彼が井戸に落ちて岩が塞ぐ。どういうこと?
作者は、男の性欲について、矛盾した思いを表現しようとしているのかもしれない。
「旅之拾 ねずみさまの巻」
妻の死後、「ねずみさま」に犯されて、男は下半身が牝になり、子ネズミを産む。彼は「神なし峠」にちらりと出現した、女陰のある少年の変身した姿だろう。
何が起きているのか、私にはほとんどわからない。
彼は亡妻に対する恋着のせいで、女性化したのだろうか。
作者は、〈男は女を愛してはならない〉という前提を隠しているようだ。しかも、それを隠したまま、消滅させようとしているようだ。
「旅之拾壱 鬼やらいの巻」
どんどん、わからなくなる。
*
追儺の儀式は、もとは大晦日(おおみそか)に行われていた。宮中では大舎人(おおとねり)が盾と矛とを持って鬼を追い、群臣は桃弓で蘆矢を放つことが行なわれた。後には各地の寺社でも盛んに行うようになり、日取りも節分の夜に変わった。豆撒きは本来は農村の予祝行事であったものが、追儺の行事と習合したものと考えられる。
(『合本俳句歳時記』【追儺(ついな)】鬼やらひ なやらひ 豆撒 豆打 鬼打豆 鬼は外、福は内 年男 年の豆)
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豪族らしい男が追儺を行なう。そのとき、ある貧しい少年が鬼の役をやらされてきた。その代りを護法童子が演じる。少年の妹は病弱だったが、妹は元気になる。一方、豪族の娘は自殺する。自分を政治的に利用する父親に対する当て付けのようだ。
貧しい兄妹は、変身前の護法童子に似ている。
作者にとって男女の愛着は、父娘相姦として空想されるようだ。毒父は罰される。父娘相姦は母子相姦の裏返しだろう。だが、母子相姦など、想像するのさえおぞましく、だから、罰することはできない。作者は、毒父を徹底的に攻撃したことで、男女の愛着を容認できる気分に戻ったのかもしれない。ただし、それは性愛とは無関係の助け合いの精神だ。非常に複雑。
(20終)