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ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

萌芽落花ノート  61 鳩

2025-09-01 22:41:19 | 

   萌芽落花ノート

   61 鳩

射抜かれた鳩の胸の弾性

密やかな影像を従えた鳥類一般の

変化に富んだ野心と

叢にのべられた武器の

鳩笛のように優しい佇まい

陰と影とを引き裂きながら

先端において縫合を企図する武器の

逆立ちした意図

本当らしい 優しさ

純情な景色

炸裂に似た景色

夢に見たっけ

白い羽毛が鮮血に染められ

ぱらぱら ぱらと

散る朝の

青空の奥底に落下する鳩を

確かに水の匂いのする夜明けだった

(61終)

 


萌芽落花ノート 61 宵闇迫れば

2025-08-26 20:54:41 | 

   萌芽落花ノート

   60 宵闇迫れば

彼女は山肌を食卓に並べて青空を

占う

尾骶骨が尖った砂金を選別しながら

夕餉の匂いを指している

何者かに眠りを犯される夕暮れ

春を鬻ぐように街灯を売りに出る

豚と月は一つに溶け合い

初めて聴く律動の崩壊が

取りとめのない地下鉄の線路から伝わる

神と青空の狭間で眠りのための音楽を採譜する

違ったままで訂正されない愛の苦悩に似ている

彼女は

占う

古い縫合機の律動が桜ん坊のように停止し

長い霧笛の接近が薄桃色に輝く日を

占う

瞬きから始まった青空を見ようとして

瞑目する骨牌の挑戦を受けて

柔らかく溶ける肩甲骨が扇形に上下し

夜気の注がれてゆく炎を凝視する

あの視線を罰するために

彼女は凍えた皮膚に淡い息を吐きかけながら

占う

(61終)

 


萌芽落花ノート 59 韃靼人の舞踏

2025-08-21 00:04:37 | 

   萌芽落花ノート

   59 韃靼人の舞踏

灌漑用水が砂漠を抜けて海に注ぎかける辺り

明快な旗印が山々に向かって垂れている

女たちは大昔から暖炉の前で器用に古雑誌を広げ

意味ありげな談話に明け暮れていた

何もかも弁えた眼差しで老猫が欠伸をしたら

月とは無関係に祭りが始まる

 

ここは地の果て 見るなの街

赤でも緑でもない 鮮明な黄色

白でもない 黒でもない 危険な黄色

天使でも悪魔でもない 亜細亜の黄色

黄色の市が立つ

黄色の商品が並ぶ

黄色の貨幣が音を立てる

鳩は寺院の屋根を捨てて地に豆を拾う

鐘は眠るように揺れている

住人たちは朽ちかけた閂をそのままにして

流浪の民の行列を窓から覗く

 

誰もいないのではない

誰もがいないふりをする祭りの真昼

躍っているのは到着したばかりの韃靼人だ

住人達は見てしまった

見てはならないはずの彼の横顔を

潮の満ち引きのような

高い崖の上から流れ落ちる滝のような

韃靼人の舞踏を

黄色の樹木と黄色の空と黄色の舞踏を

だが 彼の肌の色を誰が見たろう? 

 

ここは地の果て 見るなの街

誰もいないのではなく

誰もがいないふりをする祭りの真昼

(59終)

 


萌芽落花ノート    58 幻の翼  

2025-08-14 18:32:33 | 

   萌芽落花ノート

   58 幻の翼  

男は四十七歳だが、若者のように、突然、叫んだ。

「その爪!」

女は体に巻いたタオルの端をちょこんと乳房を推すようにして差し入れながら、ゆったりと応じた。

「えっ?」

「えっじゃありませんよ。その指、どうしたんですか」

「指なの? 爪なの? どっち?」

女は煙草を銜え、マッチを探すふりをして時間を稼いだ。男は、からかわれているような気がしたが、からかわれる理由が分からなかったので、黙っていた。

沈黙は、ときとして有効な攻めなのだ。

爪が真赤だ。そして、その先端から赤い液体が垂れている。まるで血のようだ。タオルがじわじわと染まる。

「爪……」

「はい。爪」

「血か?」

「だったら、何よ」

「痛くない?」

「何が?」

「手だよ」

「今度は手なのね?」

男は、慌ててズボンを引き寄せた。

「こら。逃げるな」

「逃げやせんが……。その……」

女はパーを作って、掌で男の人差し指を押し返し、へらっと笑った。

「チョ、チョキ」

男は、鋏を出した。女は拳を握った。

「グー。ぐぐぐ」

男は負けた。

 「痛いんだろ?」

「負けたあんたはどうなの? 痛い?」

「いや……」

「あたしが痛かろうがどうだろうが、関係ないでしょ?」

女は胡坐をかいて、爪あるいは爪の抜けた痕に赤い何かを塗り始めた。赤チンか。マニキュアか。塗り終えた指先を眺めながら、女は話を続ける。

「忘れたいのよ、痛みを。思いださせないで。同情は有難迷惑よ」

「君の体を気遣ってやってるんじゃないか」

「そら、来た。遂に体だ」

痛がりながら、男を見て、くすくす、笑う。男は、ズボンを穿きかけたまま、突っ立っていたのだ。そのことに気づいて慌てて引き上げようとしたが、もたついて、また笑われてしまった。

「あんたは自分が体制の奴隷であることを否認するために、弱者を見かけると憐れむふりをして、自分をイイコイイコするんだ。このイイコイスト」

男は理解できなかった。だから、ちょっとしょぼくれた。女は男の頭を引き寄せて軽く撫でた。

「本当は優しいんだよね」

男は答えなかった。

「じゃあ、次。あんただよ」

「えっ?」

「寝なさい。そうじゃなくて、俯せ」

おとなしく言われる通りにした。女は跨った。

「何してんの?

「塗ってんのよ、爪に」

「えっ?」

「あたしの爪なんだからね、抜けても」

男は、自分の背中を想像した。肩甲骨の下に女の爪が五本ずつ、左右に生えている。まるで抜け落ちた翼の痕のようだ。

「ああ。二十年。そうか。二十年だよ、あれから。いや、もっとかな。少年航空兵だったんだ。特攻を志願した。戦後、ずっと、背中が変な感じだったんだが、君の爪のせいなのかな」

「ちょっと黙ってて」

ちょっと黙っていた。

「ねえ、君。名前、教えてくれるかな」

「忘れたの?」

「ごめん」

「アンナ」

突然、背中に激痛が走った。焼けるような痛みだ。狭い所に閉じ込められ、ベルトか何かで縛り付けられているみたいだ。握っているのは操縦桿だから、ここは操縦席だろう。操縦桿はびくともしない。背中がひりひりと痛む。空気が足りない。この体は燃えながら墜落する定めなのだろう。

ああ。そうか。自分は、まだ、若いんだ。十七歳だ。そして、今は昭和二十年なのだ。

――自分は間違っておりました。戦後は夢でありました。

「黙って!」

(58終)

 


萌芽落花ノート 57 帰省

2025-08-12 15:59:14 | 

   萌芽落花ノート

   57 帰省

誰にも言うなよ。針が落ちてんだ、畳と畳の間の細い溝に。

初めは……。はあ、何が始まりだかね。

玄関の引き戸ががらがらと開いて、御袋がちょっと驚いたような、踊りたいような顔をして、出ようとして引きながら、顔だけ残して、肩を引きながら、「おとうさん」と呼んで下がった。「おとうさん。帰って来ましたよ」

親爺の唸り声が奥からした。響かない。「うほ」

門前払いは食わなかった。どちらかというと、食わされたかった。

俺は少しためらいながらも、ためらうのは逆に変だと思い直し、いや、こうなることは予想していたから、予定通り、玄関に踏み込み、廊下に背をむけて、背を丸めてしゃがんで靴を脱ぎ始めた。

もう、止めよう。話が長くなるばかりだ。全然、面白くないよ。気になる? へへへ。そうかい。

靴紐を解くのに手間取る。そう。時間稼ぎために登山靴を履いて来たんだ。御袋が奥へ下がり、親爺の足音が近づく。ひょこひょこ。「まあ、上れ」

「お茶でも淹れましょうかね」

女たちは台所に逃げる。男たちに逃げ場はない。

誰かがゆるゆると離れる気配を感じて、俺は靴を軽く蹴って、親爺の下駄をぐっと踏みつけてから、我が家に侵入した。

天井を見上げる。初めて見たような気がした。もっと高いと思っていたんだ。低くて息苦しい。

へっ。つまんないよな、こんな話。

卓袱台に盆が載っていて、茶碗も載っていて、三つ。で、渋茶が注がれてゆく。

俺はこの卓袱台が嫌いだったのだ。これを破壊する勇気がなかった。その代りに別の何かが遠くで壊れ、俺はこの家から連れ出された。ところが、そのせいで、この家は固まった。御袋が俺を見て笑い、親爺を見ると、親爺は笑い返した。

御袋は、俺の服の鉤裂きを見つけて、裁縫箱を持ち出した。かぎ裂きの理由は訊ねない。俺は渋茶を啜った。この茶が嫌いだった。

縫い終わると、針が針山に向かった。すると、親爺が用を言いつけた。俺と二人きりになるためだ。御袋は察して、素早く立ち上がった。そのとき、針は針山に刺さらず、裁縫箱の縁を滑って畳に落ちたんだ。

親爺は賢そうな話を始めた。俺は頷いてみせた。視線が針に向かわないように気を付けていた。

親爺の声が途切れた。御袋がやってきて、腰を下ろしながら、「ねえ」と俺に言った。「はあ」と俺は受けた。

幼いころの罪を思いだした。夜、歯を磨かなかったんだよ。わざと磨かなかった。罰されるのを恐れながら眠りに就いた。翌朝、目が覚めても寝床の中でぐずぐずしていた。御袋がいつもと同じ口調で起床を命じた。卓袱台に向かうまで、罰は受けなかった。朝飯を食べ終わるまで、裁判は起こされなかった。家を出るまで、判決は下されなかった。帰宅しても、罪さえ知られていなかった。俺は却って妙に恐ろしくなった。ちょうど黴が蔓延るみたいに、借金が雪達磨式に膨らむように刑が重くなる。そんな気がしたんだよな。

針が親爺を刺せばいい。御袋を刺してくれ。針のことを忘れたら、針は俺を刺すかもしれないよな。

御袋が、昔、よく言ってたんだ。「折れた針が体に刺さると、それは血管の中をぐぐっと通って、いつか、心臓を刺すんだよ」

ふふ。

楽しみだな。

本当に黙ってろよ、針のこと。えっ? 誰か、聞いてるって? 誰? 隅っこ? いないよ、誰も。ふん。伝説のアンノンさんかい。本当はあんたなんだろう。なあ、安藤? 

(57終)