ヒルネボウ

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漫画の思い出 花輪和一(20) 『護法童子・巻之(一)』(双葉社)

2024-05-31 23:34:45 | 評論

   漫画の思い出

   花輪和一(20)

   『護法童子・巻之(一)』(双葉社)

「旅之九 天人様の巻」

冒頭、合体した護法童子が現れる。前作の「神なし峠の巻」で起きた男女の分離はどうなったのか。峠を過ぎたら納まったのか。不明。

ある村では、毎年、豊作を願って「天人様」に若い女を「いけにえ」として送ってきた。「天人様」は姿を見せない。実は、化け物だ。この化け物の正体は、「村長(むらおさ)」だった。いや、彼が堕落して化け物になったのか。不明。

彼が井戸に落ちて岩が塞ぐ。どういうこと? 

作者は、男の性欲について、矛盾した思いを表現しようとしているのかもしれない。

 

「旅之拾 ねずみさまの巻」

妻の死後、「ねずみさま」に犯されて、男は下半身が牝になり、子ネズミを産む。彼は「神なし峠」にちらりと出現した、女陰のある少年の変身した姿だろう。

 何が起きているのか、私にはほとんどわからない。

彼は亡妻に対する恋着のせいで、女性化したのだろうか。

作者は、〈男は女を愛してはならない〉という前提を隠しているようだ。しかも、それを隠したまま、消滅させようとしているようだ。

 

「旅之拾壱 鬼やらいの巻」

どんどん、わからなくなる。

追儺の儀式は、もとは大晦日(おおみそか)に行われていた。宮中では大舎人(おおとねり)が盾と矛とを持って鬼を追い、群臣は桃弓で蘆矢を放つことが行なわれた。後には各地の寺社でも盛んに行うようになり、日取りも節分の夜に変わった。豆撒きは本来は農村の予祝行事であったものが、追儺の行事と習合したものと考えられる。

(『合本俳句歳時記』【追儺(ついな)】鬼やらひ なやらひ 豆撒 豆打 鬼打豆 鬼は外、福は内 年男 年の豆)

豪族らしい男が追儺を行なう。そのとき、ある貧しい少年が鬼の役をやらされてきた。その代りを護法童子が演じる。少年の妹は病弱だったが、妹は元気になる。一方、豪族の娘は自殺する。自分を政治的に利用する父親に対する当て付けのようだ。

貧しい兄妹は、変身前の護法童子に似ている。

作者にとって男女の愛着は、父娘相姦として空想されるようだ。毒父は罰される。父娘相姦は母子相姦の裏返しだろう。だが、母子相姦など、想像するのさえおぞましく、だから、罰することはできない。作者は、毒父を徹底的に攻撃したことで、男女の愛着を容認できる気分に戻ったのかもしれない。ただし、それは性愛とは無関係の助け合いの精神だ。非常に複雑。

(20終)


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聞き違い ~都知事選

2024-05-28 23:45:31 | ジョーク

   聞き違い

    ~都知事選

不倶戴天 河豚炊いて

二束三文 味噌臭い芋

都知事選 頓智人生

士農工商 死の交渉

(終)


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夏目漱石を読むという虚栄 7000 「自由と独立と己れ」の交錯する「現代」7100 北極あるいは肛門 7120 「思想家」の駄々

2024-05-27 23:40:38 | 評論

夏目漱石を読むという虚栄

7000 「自由と独立と己れ」の交錯する「現代」

7100 北極あるいは肛門

7120 「思想家」の駄々

7121 エビデンス

 

メディア・リテラシーといった看板を掲げて〈情報の真偽を確かめなさい〉などを教えてくれる知識人がいる。だが、〈神は実在する〉という文の真偽を、どうやって確かめるのか。

 

新型コロナウイルスに関して、マスコミでは医師たちが「エビデンスが重要」とよく言っていました。コメンテーターたちもかなりの頻度で「エビデンスを出してもらいたい」と口にしていました。

ウイルス感染についてのエビデンスは、出せるものと出せないものがあります。医師もコメンテーターも、どのような感染実験をするかを知らないため、「エビデンスが重要」「エビデンスを出せ」と口にするのでしょう。

(宮沢孝幸『ウイルス学者の責任』「第1章 国の過ち」)

 

こうした「医師」や「コメンテーター」は知識人だ。

彼らは「感染実験」に関する無知を自他に対して隠蔽するために、「エビデンス」というカタカナ語を悪用している。

 

私は国立大学法人に勤めています。予算の多くを国家の税金に負っている大学で働いている以上、自らの研究成果を国に還元しなければなりません。

また、飲食店の方、私が趣味のピアノをきっかけとして懇意にして下さっているライブハウスや交響楽団の方々など、日頃大変お世話になっている人々が理不尽なことで困っているのは見過ごせません。それが、ウイルス学者の責任だと思っています。

人流を止めるのは、あくまで最後の手段のはずです。

(宮沢孝幸『ウイルス学者の責任』「第1章 国の過ち」)

 

この宮沢は知識人に成り下がっている。公私混同は知識人の癖だ。

ノーベル賞受賞者でも、専門外のことに口出しすると、往々にして知識人に成り下がる。

 

私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれどもその思想家の纏(まと)め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脉(みゃく)が止まったりする程の事実が、畳み込まれているらしかった。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」十五)

 

この文は検討済み。〔1542「強い事実」〕参照。

自分の体験と意見を切り離すことのできない「貧弱な思想家」が知識人だ。知識人は公私混同をしながら、そのことを長所のように勘違いしている。彼らの言説は駄々だ。

大人ぶった子供がそのまま育って子供じみた大人になったのが知識人だ。彼らの知識は贅肉のようなものだ。あるいは、見せびらかすためのボディービルダーの筋肉。役立たず。

 

7000 「自由と独立と己れ」の交錯する「現代」

7100 北極あるいは肛門

7120 「思想家」の駄々

7122 「自由のはき違え」

 

知識人のスタイルには、三つの特徴がある。

 

1 自己完結。〔1250 自己完結的〕参照。

2 自分語。〔1213 自分語と個人語〕参照。

3 不適当な比喩。〔4522 象徴と暗示〕参照。

 

所謂ワイド・ショーで、NHKの元解説者が、「自由のはき違え」という言葉を発した。すると、その場にいた政治学者みたいな人が力なく微笑し、「自由にはいろいろありますからね」と受けた。と、すぐにCM。〔5533 「たいへんなまちがい」〕参照。

 

――マスクに関しては、個人の自由をとるか、集団を守る責任感をとるかの相違だという意見もありますね。

 

個人の自由をはき違えているのではないだろうか。自分がそうしたいと思えば、左車線を運転できるのかね? アサルトライフル(突撃銃)を連射しながらモールを走りまわる自由があるのだろうか? マスクを着けずに公共の場に出るのは、それと同じことだ。人々の命を脅かしているのだから。これは個人の自由などではなく、許容できない自由だよ。

(ノーム・チョムスキー+デビッド・バーサミアン『壊れゆく世界の標(しるべ)』「第3章 スローガンを叫ぶだけでは何も変わらない」反ワクチン運動の弊害)

 

「できるのかね?」って、できるよ。「あるのだろうか?」って、あるよ。

チョムスキーは自粛警察を組織するのか。マスク不着用者を殴ってまわるのか。

この「自由」は自分語だ。伸縮自在。

逆走は認められる。さもなければ、追い越しはできない。自動車は走る凶器だ。そもそも、運転は、ピストルの引き金に指を掛けてモールを走りまわるような行為だ。突撃銃の連射の例も不適当。健康な人がマスクを着用しないで出歩くのと、感染者が人々に唾を吐きかけてまわるのは、大違いだ。

 

「話せばわかる」はつねに「問答無用」によって圧し潰されてきた。人間を理性的存在と規定した偉大な哲学者を社会は、それ自身奴隷制度という暴力の制度の上に成立していた。あらゆる人間的事態が、けっきょくは暴力に赴かねばならぬというこの冷酷な事実を前にしているからこそ、われわれは、稀に存在することもある暴力によらぬ解決を憧憬し、それを誉め称えるのではないか。例えば、名誉革命と。

(『現代哲学事典』「暴力」足立和浩)

 

このチョムスキーは知識人だ。

 

7000 「自由と独立と己れ」の交錯する「現代」

7100 北極あるいは肛門

7120 「思想家」の駄々

7123 託つ癖

 

知識人は中途半端だ。中途半端ではない人を、私は〈知識人〉と呼ばない。

 

しかし、仁礼に見込まれ、高等学校から大学まで出して貰うと、いつの間にか、練太郎のは丁稚の経験と、知識人として十分な教養とのために、一種複雑な青年になっていた。けれども、仁礼は教養が足りないだけに、商人としての練太郎をみているだけで、彼の内心深く巣喰っている、近代青年の深刻な、知識的な苦しみには、少しも、理解することが出来なかった。

(横光利一『家族会議』「発端」)

 

「一種複雑な」のは暗い知識人だ。

 

つくづく淋しい我が影よ動かして見る

(尾崎放哉「一燈園にて」)

 

知識人は「我が影」を動かすように他人を動かそうとする。〔4510 「還元的一致」〕および〔5442 女菩薩と女夜叉〕参照。

単純な思想家は他人を動かそうとしない。言いたいことが言えたら、すっきりする。

知識人は「天下を睥睨(へいげい)するような事」(下十九)を言いたがる。傲慢。猫であれ、何であれ、自分の思い通りにはならないということを、やがて思い知る。疎まれる。無視される。だから、「卑怯な人」(下一)に成り下がる。

 

 歎けとて月やは物を思はするかこちがほなる我が泪かな

(西行『千載和歌集』恋5・929)

 

知識人は託つ。

 

あまり関係のないことをむりに結びつけて理由とする。他のせいにする。口実とする。かこつける。

(『日本国語大辞典』「かこつ」)

           

思い通りにならないから託つのではない。もともと託つ癖があるのだ。

Sに付き纏う「黒い影」(下五十五)は「我が影」であり、Kの亡霊などではない。Sは「我が影」を恐れて「淋(さび)しい人間」(上七)を気取る。だが、実際には「寂寞(せきばく)」(下五十三)によって安らぐことはない。逆だ。〔1522 「寂寞(せきばく)」〕参照。

知識人は、SがKを裏切ったように、必ず人を裏切る。知識人は、村落共同体では生きられない。「越す国」(『草枕』一)はない。「東京」(下三)のような猥雑な都会でしか生きられない。マス・メディアのパラサイトになるしかない。

(7120 終)

 

 

 


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ウロシだった。~『こころ』の挫折

2024-05-26 01:11:55 | エッセイ

  ウロシだった。

   ~『こころ』の挫折

昨日、本屋で夏目漱石に関する資料集のような物を見た。新刊書。題名も著者も覚えていない。わざわざ調べに行く気はしない。

その本の『こころ』に関する記事だけ、立ち読みした。〈『こころ』を読み出して挫折する人が多い〉というようなことが記されてあった。ほっとした。ちょっとね。ちょっとだけだよ。

挫折が正解。丁寧に読むから挫折するのだ。

若い頃、私の周囲にいた人で『こころ』を読んだ人は、全員、面白がっていた。その中には、あまり小説を読まない人もいた。挫折した人は沈黙していたのかもしれない。沈黙は共犯だよ。

学校で『こころ』の読書感想文を書かされた。挫折するわけにはいかなかった。無理をして読み終え、「漱石は頑迷だ」と私は書いた。それを読んだ教師は憎々しげに私を睨み、「君はとんでもない誤読をしてるんじゃないか?」と言った。私は何も言い返せなかった。

ウロシだった。

(終)


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替え歌     オッチャンのチャチャチャ

2024-05-25 00:43:56 | ジョーク

   替え歌

    オッチャンのチャチャチャ

空に チャラチャラ お星さま

みんな グーグー 眠る頃

オッチャンは 帰る家がない

チャン チャン

(終)


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