ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

ウロシだった。~『こころ』の挫折

2024-05-26 01:11:55 | エッセイ

  ウロシだった。

   ~『こころ』の挫折

昨日、本屋で夏目漱石に関する資料集のような物を見た。新刊書。題名も著者も覚えていない。わざわざ調べに行く気はしない。

その本の『こころ』に関する記事だけ、立ち読みした。〈『こころ』を読み出して挫折する人が多い〉というようなことが記されてあった。ほっとした。ちょっとね。ちょっとだけだよ。

挫折が正解。丁寧に読むから挫折するのだ。

若い頃、私の周囲にいた人で『こころ』を読んだ人は、全員、面白がっていた。その中には、あまり小説を読まない人もいた。挫折した人は沈黙していたのかもしれない。沈黙は共犯だよ。

学校で『こころ』の読書感想文を書かされた。挫折するわけにはいかなかった。無理をして読み終え、「漱石は頑迷だ」と私は書いた。それを読んだ教師は憎々しげに私を睨み、「君はとんでもない誤読をしてるんじゃないか?」と言った。私は何も言い返せなかった。

ウロシだった。

(終)


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笑うしかない友 ~フランケンシュタイン

2024-03-25 00:12:59 | エッセイ

   笑うしかない友

    ~フランケンシュタイン

ニンゲンガクサルって、どういうこと? 

人間は猿の仲間ってことだね。

猿じゃなくて、腐るんだよ。

腐乱死体か。

いやいや、死体じゃない。

フランケンシュタインの怪物は腐乱してないな。

死体から作ったけど。

生ける屍? 

死に体? 

五体不満足? 

寝たきり? 

腸が腐るとは言うね。

性根が腐るとも言う。

味噌が腐るとも言うか。

じゃあ、脳味噌が腐るんだ。

脳生理学者なら、何か知ってるかも。

脳整理がクシャクシャ? 

マッド・サイエンティストだろうか。

(終)


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モロシになりそう。~納税の義務

2024-03-16 20:55:27 | エッセイ

   モロシになりそう。

    ~納税の義務

疲れる~ 

もう、いい加減にしてクレヨン。

税金は国民のためにあるんじゃないんだよ。権力者のためにあるんだよ。

国民の租税負担を理念的に確認し、日本国憲法(30条)が基本義務として掲げたもの。納税の義務は、明治憲法(21条)にもみられるように、兵役と並ぶ古典的義務の一つであり、既定の有無にかかわらず、国を維持する費用の分担として、国民は当然有するものと解される。当初のマッカーサーの草案にこのような規定はなく、議会における審議の時に、人権宣言中の権利・義務のバランス保持という考えから挿入された経緯は、このことを証している。そのため、この規定の重点は、納税の義務が財産権に対する一種の制限でもあり、公平に「法律の定めるところにより」課されるとする点(租税法律主義84条)にあるととらえる人もいる。

(『日本大百科事典(ニッポニカ)』「納税の義務」)

「納税の義務」の根拠は不明ってことだろう。

「権利・義務のバランス」って何? 

(3)認識論的・存在論的根拠 権利・義務を人為や慣習の所産とみる主観主義と自然権のように客観的存在と考える傾向とが対立する。後者は独断だが、規範一般が論理的整合性としての客観性を主張できるという点では、極端な主観主義も独断である。

(『現代哲学事典』「権利と義務」権利の根拠と性格)

議論の前提を共有しないなら、議論は罵り合い、殴り合い、殺し合いに発展する。発展しないのなら、国民は奴隷と一緒だ。殺し合いを避けるのが選挙だが、投票する前に「権利と義務」の項を通読してよね。

GOTO『夏目漱石を読むという虚栄』3550 「義務」と「権利」夏目漱石を読むという虚栄 3550 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

(終)


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ウロシだった。 ~動物物語3

2024-02-03 23:13:53 | エッセイ

   ウロシだった。

     ~動物物語3

「ものがたる」は「物語る」と書くのに、「ものがたり」は「物語」と書いて、「り」がない。「浄瑠璃語り」には「り」がある。

1959年(昭和34)、それまでまちまちであった送り仮名法に対して、初めての公的な基準「送りがなのつけ方」が内閣訓令・告示をもって定められた。これを改定して、73年に「送り仮名の付け方」が内閣訓令・告示をもって公布された。これは七つの通則からなり、本則のほか例外、許容を設けている。改定前のものに比べて、例外、許容を大幅に認めるとともに、その運用は個々人の自由な選択にゆだねるようになっている。

(『日本大百科全書(ニッポニカ)』「送り仮名」)

59年から73年の間、つまり、「個々人の自由な選択」が制限されていた頃、六年生の担任が送り仮名についてうまく説明できず、独り笑いをしながら、〈「受付」は「受け付け」と書いてなくても「うけつけ」と読む〉と言った。私は抗議した。「受付」は「ジュフ」としか読めない。すると、教師は「ジュフという言葉はない」と反論した。私は再反論した。でも、「ジュフ」と読むべきだ。教師は呆れて沈黙し、嘲笑した。

「ジュフ」という言葉があるとか、ないとか、どうやって知るのか。辞書には載っていない。〈だから、ジュフはないのだ〉と断言することはできない。辞書になくても、巷にはあるかもしれない。今はなくても、将来、そんな読み方ができるかもしれない。

たとえば――

「自民」という言葉は戦後にできた。これを「ジミン」と読むことは、誰かが勝手に決めた。「ジミン」に意味はない。〈おのずからたみ〉と読むのか。

「文科」は、普通、「ブンカ」としか読まない。だが、「文科省」の「文科」は「モンカ」と読む。二十世紀にこんな読み方はなかった。

「動物語」は何と読むか。「ドウブツゴ」か。「ドウブツがたり」か。「動く物語」か。「ドウブツゴ」は『ドリトル先生』に出てくる。「ドウブツがたり」は、動物が語り手の『黒馬物語』とか。「動く物語」には詩的な意味がありそうだ。つまり、適当な文脈があれば意味が生まれそうだ。

私は、どうやったら完璧に漢字を読めるようになるのか。

答えはない。

規則と常識が相容れないとき、どうしたらいいのか。笑って済ませるようなことではない。

法律と慣習。ルールとマナー。知識と印象。これらが矛盾するとき、どうすればいいのか。

私は非常識な規則を批判しているのではない。子供に規則を押し付けておきながら、その当人が規則を軽視する。そんな大人の狡さ。これに苛立っていた。

大人は信用できない。

ウロシだった。

(動物物語 終)


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ウロシだった。~動物物語2

2024-02-03 00:46:31 | エッセイ

   ウロシだった。

     ~動物物語2

思いつくまま並べる。

色紙 シキシ・いろがみ

三月 サンガツ・みつき

五月 ゴガツ・さつき

一夜 イチヤ・ひとよ

十六夜 ジュウロクヤ・いざよい

行人 〔6411 嫉妬妄想〕参照。夏目漱石を読むという虚栄 6410 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)

下下 ゲゲ・しもじも

勝負 ショウブ・かちまけ

大人 タイジン・おとな

北国 ホッコク・きたぐに

白鳥 ハクチョウ・しらとり

上方 ジョウホウ・かみがた

足跡 ソクセキ・あしあと

山間 サンカン・やまあい

来年 ライネン・くるとし

明日 ミョウニチ・メイジツ・あした・あす

上下 ジョウゲ・ショウカ・うえした・かみしも

前後 ゼンゴ・まえうしろ

左右 サユウ・ソウ・ひだりみぎ

大雪 ダイセツ・タイセツ・おおゆき

煙管 キセル・エンカン・けむりくだ

盛土 もりド・もりつち

法面 のりメン・のりづら

思惑 シワク・おもワク

白夜 ハクヤ・ビャクヤ

西方 セイホウ・サイホウ・にしかた・にしがた

関西 カンサイ・カンセイ・カンゼイ

女性 ジョゼイ・ニョショウ・ニョセイ

装束 ショウゾク・ソウゾク

重複 チョウフク・ジュウフク

仏語 ブツゴ・フツゴ

入水 ニュウスイ・ジュスイ

図画 ズガ・トガ

図書 トショ・ズショ

妄想 モウソウ・モウゾウ

手斧 ておの・ちょうな

行先 ゆきさき・ゆくさき

行方 ゆくえ・なめかた・なめがた

雑木 ザツボク・ゾウボク・ゾウモク・ゾウき

読み方は前後の文脈によって決まる。けれども、必ずしもそうとは限らない。同じ読みでも違う意味の場合がある。

どうしろと言うのか! 

ウロシだった。

(終)


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