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imaginary possibilities

Living Is Difficult with Eyes Opened

無料観賞体験記(後篇)

2012-02-01 23:06:00 | コラム

 

TOHOシネマズの1ヶ月フリーパス有効期間が終了しました。

かねてからTOHOシネマズが特にお気に入りシネコンでもなかった私は、

「午前十時の映画祭」でもなければ、その悲願(笑)も叶わなかっただろうものの、

その「午前十時~」以外の作品を定期的にTOHO系で観るのはシャンテくらいだったし、

いざフリーパスを手にしてみると、これが結構「観賞生活」に支障を来す(笑)

 

例えば、拡大公開系の作品が封切られると、

大抵「いつもの」曜日や時間帯に、「いつもの(数候補のうちの)」映画館で、

まったりと観賞するのが日常だったのに、行き慣れない劇場での観賞となると、

そうしたルーティンを崩さねばならず、それはそれでちょっとした重荷@贅沢。

まぁ、タダ観にこだわらなければ好いのでしょうが、そこはやはり小市民な貧乏性。

中盤には早くも馴染みの劇場が恋しくなってきてもいる自分もいたりして、

結局最後の方は観たい劇場で観るようになってしまったので、

そこまでフル活用ってほどには至りませんでした。

 

只より高い物はない。

なんて言い回しがありますが、本来の意味とはズレるでしょうが、

そんな感覚がこみ上げたりしてきた後半戦(戦いなのか?)。

フリーパスというと、「いくらでも」観られるし、「無料で」観られる(つまり損失ゼロ)。

それは究極の《無限》観賞パスポートのようなのですが、実は逆なベクトルも孕んでる。

たとえ、《無限》に近い条件が与えられたところで、

結局一個の人間に与えられている時間も体力も変わりはしない。

おまけに、TOHOシネマズ以外の映画館もパラレルで営業してもいれば、

TOHOシネマズ以外でしかかかってない映画も続々公開されていくわけです。

つまり、結局は「無料で観られる」というメリットが与えられると同時に、

「そこで観ないと損してしまう」的感覚が足枷となるデメリットの裏表。

 

そもそも、映画に費やすお金は必要経費的位置づけ(もしくは生活費?)なので、

どんなに楽しめなかったり爆睡したりした映画だったとしても、金返せとは思わない。

映画を観るっていう「体験」が完遂できれば、そこには何らかの得るものが自分に残る。

(ただ、作り手が余りに不誠実だったり、映写に不備があったりするときは、

  「金返せ」って思う・・・というより、「金とってんじゃねぇーよ」って思う。)

それに、いくら身銭をきらずとも、自分の持ち時間は削られていくわけで、

そう考えたら、料金分がフリーになったところで、オールフリーじゃないんだよね。

むしろ、実際は金に糸目をつけぬほど完全フリーに近づくんだろうしね。

 

なんて所詮は贅沢な悩みというか、一人相撲(&セルフ行司)な日々のなか、

結局は「フリーパスならでは観賞」を思ったほど堪能できなかったのが現実でした。

 

意気込んでた前半(というより序盤)を過ぎると、

後半で「ならでは観賞」と言い切れる観賞は、3本程度。

『タンタン~』と『永遠の僕たち』の2回目観賞と、

『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』。

 

『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』は、2D字幕で観直して見直した(笑)

1回目とは比べ物にならぬほど心が始終動かされまくりで、

初見でイマイチって印象の感想書いたのを全面撤回したい気分に駆られ、

時間さえあればもう一度観たいと思ってしまったほどでした。

俺はヤヌス(・カミンスキー)派じゃないな、とか言い放ってしまった生意気かつ早計を

悔いに悔い、何処までも連れてって欲しくなる、光とカメラの狂想曲。

初見での「ここまで実写な(3D)アニメとか意義わからん」的印象は一気に霧消。

「実写でもアニメでもない第三の映像世界」的革新を確信。

新たな地平。まさしく、夢。夢世界。

 

ただ、やっぱりどうしてもジョン・ウィリアムズの音楽が苦手だった・・・。

あそこまで絶え間なく流麗な巧みスコアが延々続くのは、生理的に合わないらしい。

アカデミー会員から無暗な溺愛が生涯保証されてるほどだから、

その匠の技は一級品なんだろうけどね。

 

永遠の僕たち』は、当該記事でも付記したように、

1回目にシネコンのデジタル上映観たときから、フィルムで観直そうと思ってたから、

ちょうどシャンテで観られて好都合だった。以下、完全な余談。

シャンテ地下で観たんだけど、最近あそこで観るときに、

「姿勢のよい」方がすぐ前の列にいたりすることが続いて些かブルーな観賞デイズ。

『50/50』の時なんて、頭まるごとビヨンド背もたれ。のみならず・・・

妙な動きするんだよ・・・予告で銃をぶっぱなすシーンとかになると、

自分の手を拳銃の形にして(親指を上に立て、人差し指を前に)、

「バンバン!」とかやったり、リズミカルな音楽かかると指揮者になったり・・・

物理的にも精神的にも身に余るハイレベル修行ツアーゆえ、戦線離脱。

客のほとんどいない扉付近の席に大人しく避難させていただきました。

そんなことがあり、その次に観た『永遠の僕たち』でも、

両肩ビヨンド背もたれ級の背筋ピン子が眼前に立ち(?)はだかって・・・

こちらもガラガラだったので、速やかに横移動させて頂きました。

スクリーンが小さいくせにやや縦長なシャンテ地下では、

確かに前方じゃないと「映画観てる」感が出ないのはわかるし、

俺もそっちのタイプだけど、あのリクライニング背もたれに腰掛けて

背筋ピン子はないだろ・・・。ってか、疲れないのか?

まぁ、だから手拳銃バンバン男も、背筋ピン子(しつこい)も終始落ち着きなく、

それでなくともスクリーンを常に脅かしかねぬ存在感なのに、

そのモソモソぶりはなかなかの脅威でしたわ。

しかし、シャンテは地下に降りてきてからの方が客層は落ち着いてくるし、

場内の暗さも「1」(あそこ造りは好いんだけど)みたいに明るすぎないから、

雰囲気は地下が好きなんだけど。あの造りは指定席にすべきではないよな。

(改装後行ってないけど、指定席化したル・シネマも心配だなぁ・・・)

ま、そういうスリルも、(こうして語る分には)それはそれで面白かったりもするのだが。

(だからって、積極的に味わいたいものでは勿論ない。)

 

『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』の感想は唯一つ。

たのしかった!以上!!

これなんかは、パスがなければパスしてたかもしれない映画だったりしたし、

こういう「どーでもいい」映画を「劇場で観る」ことを逃さなかったのは貴重かも。

平日の昼間に観たので、かなり空いてはいたのだが、場内の雰囲気が好いのだよ。

何が好いって、皆が皆、自分に正直に笑ったり笑わなかったりしてる空気なの。

これ見よがしに笑ってみせたり、眉間に皺よせ「笑わせてごらん」だったり・・・

そんな空気は皆無。自分がはまったポイントで思い思いに笑える柔らか和やか劇場内。

後方に座ってる女性1名と男性1名は、随所で豪快な笑い声を響かせてくれていて、

その嫌味のない爽快な笑い声が場内に少しずつ熱気を注入。

今までムスッとした感じだった3席ほど向こうのおじさんがクスッとしだす、ほっこり感。

大の大人が平日の昼間っから、金も精力も真剣につぎこんだバカバカしさを見守るの図。

それをシュールに受け止めず、ばかサイコー!あほヤッホー!な感じでひたすら肯定。

日本にもまだ、こんなのどかさがあったのか!?これは明らかに、気休めなんかじゃない。

安らぎの報酬!寛ぎの応酬!!和らぎの観衆だぁ~!!!

 

ワーキング・タイトルの裾野は着実に広がってきていて、

ハリウッドでもインディペンデントでもない、むしろ双方のイイトコどりな賢さがある。

自分が映画観始めた頃に絶好調だったこともあり、何となく贔屓なプロダクション。

スタイリッシュと野暮なあいだを、豪勢と質素のあいだで、このまま歩んでいって欲しい。

 

というわけで、憧れの無料観賞生活を実際に味わってみてわかったことは、

自分の本当の憧れはそこじゃないんだなってことかな。

タダでいくらでも観られることよりも、

「あの作品をあそこで観られる!」の方が何倍も魅力的。

だから、これからはポイント厨に陥らず、ましてやマイル厨などに身を窶さずに、

感動体験を求めて心のままに好きな劇場に足を運びましょう!!

(まぁ、それはそれでただの劇場厨って気がせんでもないが。)

 

 


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