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imaginary possibilities

Living Is Difficult with Eyes Opened

トライアングル(2009/クリストファー・スミス)

2011-08-11 00:47:15 | 映画 タ行

(本編未見の方は、予告編観ない方が本編観賞をより楽しめるはず。)

 

サスペンスやスリラーといったジャンルの醍醐味は、謎解き。

それはそうだが、謎を「解く」よりも「味わう」ことが出来たとしたら、

解けた後にも広がる余韻はきっと、底を知らない奈落の謎を、脳にお見舞いしてくれようぞ。

 

『トライアングル』(原題同じ)という響きから、人はさまざまな現象や状態を想起するだろう。

プライベートでは恋愛の三角関係もあろうし、パブリックにおいては三権分立が機能する。

エジプトのピラミッドなんかも浮かぶだろうし、現代にはヒエラルキーのピラミッド。

人間社会に限らず、自然界の法則(生態系)にだって見えてくる、ピラミッド。

三角形という形状は、時空を超越した一つの宿命となっている。

 

タイトルがタイトルなだけに、

「三角形」が何らかの象徴をもって描きこまれているのではと邪推していると、

冒頭からトミー(主人公の息子)の玩具のヨット(三角形の帆)が

庭の簡易プールで「転覆」している。(ループの始まり?[※])

戸外に出たジェスと隣人をとらえるショットには、三角形の屋根が映りこむ。

おぉっと、息子トミーのシャツには「トライアングル(三角形の絵柄)」が!

港に行けば、大きな三角形(帆)が並びに並び、乗り込むヨットはトライアングル号。

船上の男女には、三角関係の予感あり。

 

出帆すれば、そんな浅薄(船舶?)観察もほどほどに、いよいよストーリーにのめりこむ。

人間関係をいちいち回想やら言動やらで説明するような「野暮」はいたしません。

爽快なほど「あ、これ今、説明してんのね」的会話であっさり片付ける(褒めてます)。

そうです、そんなところで余計な時間も体力も浪費したくないですからっ!

しばらくはクルーズでしょ、なんて思って観客が最初の休憩に入ろうとするや否や・・・

なんだ、あの雲は!? えぇ、嵐!? て、て、転覆かい!? もう一人脱落!?

うぉーーーー、なんだこの(CGが)「チープ」な「豪華」客船は・・・。

ただ、このトホホ感の漂い方は、尋常じゃない不穏さだ。

いや、待てよ。この脱力って、ヤバイぞ・・・

うわっ、船内めっちゃ「普通」じゃん。しっかりバッチリ不可解客船内。

この数分間で、この映画の捉えどころを完全に見失う。まさに、アット・ア・ロス状態。

 

海洋上の無人客船内というシチュエーション萌えは、異様。

地面じゃなくて海の上ってだけで既に不安の真っ只中なのに、

そもそも「船」という素人には構造把握不能な設計空間。

おまけに、豪華客船という「住空間」でありつつ「移動手段」でもあり、

内は止まっていても、外は動いていたりするという、キメラ的存在の妙。

地上(現実)を離れ、水上を漂う泡沫(夢)で展開されるかのような世界。

スクリーンのなかが重層化するたびに、観るもの混迷、トランス状態。

客席にある肉体、スクリーンに映し出される物語、双方彷徨する精神。

ここにも新たなトライアングル。

 

緩急のつけかたが実に巧妙で、前述の通り一気に物語に没入させ牽引したかと思えば、

時折かかる急ブレーキ。シートベルトを締め忘れた観客は、車外へ放り出されてしまう。

しかし、気づくとフルスピードの車に乗っていて、シートベルト締めようとすると急ブレーキ・・・

そんな感覚に陥れるのは、単なる反復ではないから。「歴史は繰り返す」のループ感と、

タイムマシン的「歴史の書き換え」法則が見事に絡み合い、奇妙な螺旋構造動き出す。

そのズレがやたら理詰めじゃつまらない。かといって、理に適わなければ置いてけぼり。

もはや理屈じゃ説明できない世界の話なのに、必死で理屈で割り切ろうとする観客。

理屈抜きで楽しんでるくせに(笑)

 

本作が本来かかるべき映画館は、入替がない劇場。

映画館が入替制になったことを怨むこと必至。

シアターNではループ割引なるものを実施しているが、

レイトショーのみのそれって、或る意味拷問?(笑)

そりゃぁ、繰り返しみたいのは山山ですが。

できれば1日4回くらい上映して、当日に限り観るたび半額!

とかって割引あれば、かなりの人が利用すると思うけど。

3杯もとい3回まではいける人、結構いると思うけど。

それか(大盛、何分以内に完食なら無料!的展開で)、

1回目の観賞で「〇〇(かなりの難問)がわかった人は2回目無料」

みたいなキャンペーンとかあれば、1回は観る気満々になろうもんなら・・・

1回観ただけじゃ判らずに、口惜しくて2回目もいっちゃうかも。

(その場合は、2回目でわかったら3回目は無料とか・・・だったら、2回目確実に観るわな)

 

という訳で、クリストファー・スミスなんて在り来たりな名前の監督が、

驚くほど在り難い、いや有り難い映画を撮ってくれとります。

2年も経ってからの日本公開には、それなりの重みがあればこそ、

それなりの旨味も折り紙つき。(今秋公開の『ゴモラ』なんて3年以上かかってます・・・)

レッツ・トライ・アングル!(意味不明)

 

 

(これより先、ネタバレ上等による詳細感想)

 

※リピート合図の「錨を上げて」が、終盤でもリピートを示唆するかのように

   ブラスバンドの演奏で聞こえてくる、ベタながらも(一回でも楽しめるような)配慮は粋だね!

 

◆CGが安っぽいと書いたけど、その安っぽさは「現実味」をうやむやにする効果もあって、

   その辺も計算ずくなのではと思わせる巧妙さ。雷雲とかも同様に。

 

◆豪華客船の名前は「AEOLUS」。劇中でも簡単な説明があったけど、

   ギリシャ神話でアイオロスはシーシュポスの父親にあたる。

   (船名って女性の名前がよく用いられてる印象だったから、

    そこにも少し違和感というか不穏さを感じたりしたけれど・・・)

   シーシュポス(シシュフォス)は、その狡猾さゆえにゼウスの怒りに触れ、

   地獄におとされて尚、大石を山頂まで押し上げる罰を受けた。

   しかし、その大石はあと一息のところで必ず転げ落ちたという・・・って、

   これはまさに、ジェスのことでは? で、そのジェスが乗り込む船が、

   シーシュポスの父の名であるアイオロスという皮肉。

   と考えると、ラストに出てくる「罰を受ける(?)」前のジェスの息子に対する態度からしても、

   ジェスが無間地獄に陥るにはそれなりの因果があったのだろう。

   だからこそ、彼女は「悔やんでも悔やみきれない」表情を終始見せている。

   それは、何度繰り返しても何度も息子を失うから。(虐待し、そこから救えば事故死・・・)

   まさしく神からも見放され、地獄をさまようインファナル・アフェアだ。

   ジェスの夫(トミーの父親)は彼女に言わせれば「ろくでもない」奴だったらしいが、

   彼と同類だといって罵る息子の不幸を案ずれば、息子を救うための戒めだったのか!?

   だからこそ、船名は「シーシュポス」ではなく父親の「アイオロス」と名づけられていたとか?

 

◆したがって、ジェスが船を止めようとするというのも、「世界」を止めて「終らせる」

   といった意味合いと同時に、不幸の源泉を絶とうとするかの如き運動に思えてくる。

 

◆本作の裏(?)テーマは、確実に「アイデンティティ」なのではないだろうか。

   劇中何度も繰り返される「Who are you?」。それは「自分」自身に向けられることも度々で、

   「自分」に向かって叫ぶ「You're not me ! 」。

   自分が誰なのか。それは大昔より人類最大の謎のひとつ。

   それを理解も証明も容易にするアイデンティティ、自己同一性。

   自己とは統一できて、統御でき、常に一貫したものだという「物語」。

   しかし、それは何によって判断されるのか。何がそれを確実なものにし得るのか。

   たとえば、IDに記載された情報がすべて同じなら、それは同一人物か?

   姿形が全く同じなジェスと「ジェス」は同一人物か?あるいは、他の人物も。

   近代社会では、主客の明確な分離が求められ、それはときに自己内においても起こる。

   つまり、主体としての自己(自身の実感のみで確信できる自己)と

   客体としての自己(他者から承認される必要のある自己)の別。

   そして、それらの統合がスムーズにいって、あるいは「自然」に思えて初めて、

   安定した自己意識が可能となるのだろう。だから、いつ自己分裂してもおかしくないほど

   実は厄介な感覚を求められるようになったのが近代人(現代人)なのだとも思う。

  (三面鏡に「3人」のジェスが映るシーンとか、ベタ過ぎようがそれでもワクワクしちゃうから)

   そして、「You(客体) are Not Me(主体) ! 」とは一見当然な命題のようではあるが、

   常に「自己」を「他者」化する眼を持つようになった近代人にとって、

   「I(主体)」としての自己が自己を「Me(客体)」として捉えることもあるのではないか?

   ヘーゲルのいう「自己意識」的な解釈にまで到達し得るかのような

   複雑なテーマも潜在しているようにすら思える。

   とまぁ、そんだけ考えさせてくれる(考えてる気にさせてくれる?)充実作ってこと(笑)

 

◆アイデンティティがらみでいうならば、「眠り」による意識の断絶っていうのも、

   自己認識においては結構深いテーマな気がします。

   本作でも、序盤の船内で転寝することで、ジェスは「アイデンティティ」が断絶するし。

   そう考えると「夢現(ゆめうつつ)」なんて言葉がある通り、もしかしたら本作の構造も

   (決して「夢オチ」とかというのではなく)現実と夢の入れ子構造をもっているのかも。

   そんな仮説も味わってみたくなる気がする。序盤の船内転寝はもちろんのこと、

   漂流後のビーチでの失神(?)、クラッシュ後の昏睡(実はあそこで死んでいたとか)など。

   まぁ、大いに考えすぎなだけだとは思うけど、そんな発想まで許してくれる(許してない?)

   想像力を豊かに、そして逞しく鍛え上げてくれるかのような作品です。

 

◇ヴィクター役のリアム・ヘムズワースは、

   観てる間じゅう「あれぇ~、こいつ観たことあるよなぁ」って思ってて、後で調べてみたら、

   先日観た『マイティ・ソー』の主役クリス・ヘムズワースの弟かぁ!!というわけではなく、

   先日WOWOWで観た『ラスト・ソング』でマイリー・サイラスの相手役やってたのだ!

   ちなみに、その作品のモロ「ケータイ小説」的内容には驚愕しつつも、若年層の文化には

   結構「世界潮流」みたいなものがあるのかしらん、なんて思えてみたりもした次第。

   それより俺は、「マイリー・サイラスがハンナ・モンタナ役だった」って事実に唖然とした。

   なぜなら、俺はずっと「ハンナ・モンタナ」っていうタレントがいると思ってから・・・

   最近、サブカル情報に疎くなってる自分に危機感。って、余談過ぎ。

 

◇余談ついでに。多くの人も思っただろうが、劇中に出てくる鏡に血で書いた

   「 GO TO THEATER 」は、予告編ラストにもってくるべきだろっ!

 

◆いま、公式サイトの「PRODUCTION NOTES【美術】」読んでたら、

   船内の廊下は『シャイニング』を参考にし、オマージュ込めて船室番号は「237」号室に

   したんだと。それには気づかなかったけど・・・たしか、ジェスの家の住所「237」だったよ!

   やべぇ、どんだけネタ仕込みやがっているんだ、この野郎・・・ループ観賞したくなる・・・

 

 


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