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imaginary possibilities

Living Is Difficult with Eyes Opened

Flipped (2010/ロブ・ライナー)

2011-07-17 14:05:46 | 日本未公開

 

世界で最も『スタンド・バイ・ミー』を愛する日本において(憶測独断)、

なぜ本作が劇場公開されないのだ!?

監督のロブ・ライナーはじめ、撮影のトーマス・デル・ルース、編集のロバート・レイトン、

おまけに『スタンド・バイ・ミー』でプロデューサーを務めていたアンドリュー・シェインマンが

ロブ・ライナーと共に脚色を手がけているという、スタンド・バイ・ミー組再結集の本作なのに!

これがトホホな出来ならまだしも、傑作とは言わないまでも十分佳作な仕上がりなのに!

 

原題(といっても邦題すらないけど)にも使われている「flip」には、

ページやカードなんかを素早くめくる、裏返しにするといったような意味があるのだが、

本作も、主人公の二人の視点から交互に語られると共に、さまざまな表裏一体が描かれる。

 

映画の冒頭、少年ブライス(カラン・マコーリフ)の家族が、

少女ジュディ(マデリン・キャロル)の家の向かいに引越してくる。

その瞬間から、周りを気にせず積極的なジュディを空気読み屋なブライスは煙たがり、

ジュディはファーストキスの相手はブライスにと心に決めるコントラストから物語が始まる。

 

蛇が卵をのみこみ破壊された卵の殻が出てくる場面を見てブライスが凹めば、

卵のなかに潜む生命に魅せられて卵を孵化させる装置で科学フェア表彰を受けるジュディ。

 

ジュディの父には、出産の際のアクシデントで脳にハンデを抱えた弟がいて、

その彼の施設滞在費に(より快適な環境を考慮して非政府系のところに入ってるので)

相応の費用を捻出せねばならず、経済的にはそれほど余裕もない。

しかし、家族は円満で、各々が各々を思いやる様子が具に描かれる。

実は、ブライス出産の折にも同様のアクシデントに見舞われたものの、

医師の技量によって回避されたという事実が明かされる。そして、「健全」そのものの

人生を歩み、家族も中流家庭のオーソドックスな暮らしを維持。

しかし、いつも苛立ちが垣間見られる父親の言動で、

家庭に殺伐とした雰囲気が漂うこともしばしば。

 

そんな幾重にも積み重ねられていく光と影の作用反作用。

二人の視点が切り替わるだけでなく、人生には常に裏があることで表があることを知る。

そして、表だけを見ていては、光だけを見ていては、世界の豊饒さを知るには至らない。

風景画を描く父が、娘に次のように語るシーンがある。

 

  You have to look at the whole landscape.

  A painting is more than the sum of its parts.

  A cow by itself is just a cow.

  A meadow by itself is just grass, flowers.

  And the sun peeking through the trees is just a beam of light.

  But you put them all together...

  ...and it can be magic.

 

ジュディは、スズカケノキのてっぺんまで上り、広く遠くまで町を見下ろしたとき、

父の言葉の意味がわかった( moved from my head to my heart )と語る。

しかし、その木は無残にも切り倒されることになる。

ブライスと共に世界の美しさを共有することも叶わぬまま。

木そのものに拠って見ることを許された彼女の世界は、

質量あるものに立ちはだかる「time」をのりこえられなかった。

そこから彼女が見ていた世界もまた、未完であったのだ。

彼女の説得に父は「It's time.」という言葉を語ったが、

そんな父はスズカケノキのpaintingを彼女に贈る。

そこには、「time」をも凌駕する、そして木そのものだけではうまれない「magic」があった。

 

物語は《 flipped 》 しながら進んでいくわけだが、

そこには単純な反転や倒錯が反復されるわけではない。

主人公二人の(実は周囲の家族にも同様のことが言えるのが本作の秀逸さだが)成長は、

彼ら自身では為しえなかった成長が、他の視点や視線が自らと混ざり合うなかで可能となる、

そんなさりげない《 magic 》のささやかな積み重ねが丁寧に描かれてゆく。

そこには、単純な対立や二極があるわけではなく、より有機的な永久運動が働いていく。

本作で最も憎らしい言葉や態度を見せ続ける父親にも彼なりの葛藤があり、

それは彼が光をつかんだ瞬間に彼の人生に影を落としたかのような表裏一体に起因する。

それゆえに、彼は(道を挟んで反転しているかのような)向かいの男の人生に嫉妬している。

そして、そんな横柄で偏見の塊のような父親にも、反転したところを知っている息子は、

父親の中に見る光と影に人間の複雑さを垣間見、自らの内なる光と影を受け容れる。

ブライスと同居している祖父もまた、経験した時間の長さの分だけ広い世界を見た眼から、

ブライスに、そしてジュディに、示唆に富んだ語りで接する。

同時代の多様な視点を二家族を中心に描きつつ、そこに普遍なる視点としての祖父の眼は、

主人公二人の視点に幽閉されがちな物語に俯瞰可能な語りを授ける。

 

ジュディが木のうえから眺めた世界は、父の語った豊饒な世界に欠けるものがあった。

だから、失わねばならなかった。だから、父は一枚のpaintingを彼女に贈った。

木のうえに昇った彼女は、確かに世界のあらゆる関係性から世界の豊かさを知った。

紫とピンクの混ざり合った鮮やかなオレンジの夕陽をながめながら。

(ジュディの父が弟の誕生日に風車を送るのだが、それは赤と黄の羽でできており、

風を送ることで「オレンジ」になる・・・心にくいディテール)

しかし、そのとき、Judy by herself was just a girl.

彼女の一点座標は、その純粋さゆえに壊れやすかった。

そんな彼女が新たなスズカケノキに昇るとき、その隣にはブライスがいるのだろうか。

たとえブライスでなかったとしても、そこに誰かがいて、誰かと見る夕陽は、

スズカケノキがなくなろうとも、永遠に見続けられる「夕陽」となろう。

そこには、ただの少女として見る夕陽だけではなく、

友人であり恋人であり母親でありもする彼女の眼から、

友人であり恋人であり父親でありもする彼の眼との共有が、

想い出すたびに鮮やかさを増す《 perpetual motion 》を展開してくれるだろう。

 

 

◆主演の二人は、今後要注目な若手だろう。

  ジュディを演じたマデリン・キャロルは、今後も様々な作品へ出演が決まっている模様。

 ジュリエット・ルイス的な悪戯っぽい笑顔の魅力以上に、コメディエンヌとしての才能を

   多分に秘めていそうな気がしてならず(無根拠)、そのうちラブコメの主演もイケそうな感じ。

   ブライス役のカラン・マコーリフは、本作で見せる繊細さが絶品で、現在公開中の

   『アイ・アム・ナンバー・4』でもイジメられっ子を見事な「それっぽさ」で演じきっており、

   まだテレビの仕事が主なようだが、今後の映画界での活躍も楽しみ。

     [追記]カラン・マコーリフは、バズ・ラーマンが再映画化する『The Great Gatsby』で

               ディカプリオ演じるギャッツビーの少年時代を演じる模様。

               ちなみに、トビー・マグワイアがキャラウェイを演じるらしいのだが、

               親友(トビーは売れるまえに、用もないのにレオ来日時に一緒に遊びに来たらしい)

               が出世して共演するっていうドラマからして既に感動作の予感。

               但し、3D撮影との情報があり(なぜ!?)、そこにはかなり不安を覚える・・・

   脇役のキャスティングは、一瞬映るだけの子役から近所のおばさんや伐採業者まで

   しっかりと適材適所で、ロブ・ライナーが本作に魂込めてる意欲がひしひし伝わってきた。

   エンドロールに「Inspired by NICK REINER」という文字が出てくるのだが、

   ロブ・ライナーのインタビュー記事によると、NICKとはロブの息子らしい。

   その息子が11歳の時に学校の課題図書となっていたのが本作の原作らしい。

   それで一緒に読んでいるうちに魅了され、本作の映画化につながったとか。

   ちなみに、原作では現代を舞台にしているので、50年代から60年代にかけての

   時代設定は映画オリジナル。『スタンド・バイ・ミー』の時代背景と同じ頃。

   本作には、ジュディの兄たちが組んだバンドの練習風景で「スタンド・バイ・ミー」の

   イントロが演奏されるといった粋な一場面が挿入されていたりもして、ニヤリ。

 

◆本作の湿っぽくなりすぎずカラッとし過ぎぬ絶妙な空気をほんのりアシストしているのが、

   マーク・シャイマンのスコアだと思う。本作を観ながら(その時代設定やBGMゆえか)

   どことなく『サイモン・バーチ』を思い出したりもしていたが、それも彼のスコアのせいかも。

 

◆本作を観るきっかけは、知人が機内上映で観て好かったという話が発端。

   今年の2月には悲願の初劇場観賞を果たした『スタンド・バイ・ミー』。

   昨冬亡くなった大学時代の恩師は、彼の大学時代の友人を

   『スタンド・バイ・ミー』のクリスに似たような状況で亡くしたことを、

   憤りと悲しみを綯交ぜに、想起した映画と共に語っていた。

   そんな想い出を想起せずにはいられぬなかで観た『スタンド・バイ・ミー』。

   今やもう確実に大人視点のゴードンで観ることとなった『スタンド・バイ・ミー』。

   かたや、マイケル・ベイ印のポップコーン・ムービーに登場したカラン・マコーリフから

   ようやく観る契機を得た本作『Flipped』。

   やはり人間は、そして人生は、あらゆるピースが重なり合って綴られる、

   豊かな関係性が織り成す PAINTIGS なんだと、あらためて思ってみたりもした。

 

 

 


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