イケナイ先生とイケてない先生ばかりが出てくる映画。
まぁ、そもそもイケテル先生なんて映画のなかくらいしかお目にかかれない!?
って考えると随分「新鮮」なタイプなのかもしれない。
非映画的映画。
でも、そうした目論見は映画的には余り活かされず、
だから映画的な高揚も感動も皆無に等しければ、
とはいえ何もそういった観後感だけが映画じゃないし。
オススメ映画を問われたら絶対に口にしないけど、
疲労と倦怠と虚脱な日々が続いていて、
映りの悪いテレビなおすなら断然叩く派の貴方なら、
「うん、悪くない」程度の爽快感が味わえるはず。
ただ、タイトルの「バッド」に特別な含意もなければ、
そのまま「バッド」なだけで、そのために周りに「グッド」を配置しない。
結果、相対的に「バッド」な気がしなくなる。そんな麻痺作戦。
そういった進め方、語り方が苦手な人(俺も気分次第ではこっちなときも)は、
不快なだけで終わる恐れがあるかもしれない。
性善説や水戸黄門が信条だったりする人も。
アメリカじゃR指定みたいで(日本ではPG12)、
それは使用語彙に拠るところが大きいのかもしれないけれど、
最終的に「バッド」に対する何らのエクスキューズも用意せず、
糾弾もされなければ罰が当たりもしないという展開こそが、
もしかしたらR指定相当なのかなという印象も。
どこでも軒並好評の洗車シーン以外には
映画的高揚がもたらされるシーンやシークエンスは皆無に等しく、
何より物語の骨子がふにゃふにゃで、骨抜きな断片の集合体。
だからこそ、いま目の前で起こってる断片を楽しめればそれでいい。
くらいの気楽さが快適に思える瞬間も。
ユル~イって感じの緩慢さとは一味違う、
シャキシャキダラダラな感じが好きな人にはハマると思う。
あと、DVDでも全然構わない作品をあえて大きいスクリーンで観てる事実にアガる人(私)
とか。
エリザベス(キャメロン・ディアス)は最初、
講義もせずに教室のテレビで映画を観させるだけなのだが、
私の中学高校時代にも同様の教師がいた。
英語のいわゆる「リスニング」的授業という位置づけで、
何回かに分けて『チャイルド・プレイ』(のどの作品だったかは忘れた)を観た覚えがある。
本作で登場する映画はせいぜい『スクリーム』がバッドな類だったから、
勝ちましたよ>T先生。
高校時代には自分が大好きな映画だといって
『アマデウス』を何回にも渡って見せてくれた教師もいた。
これも、英語の先生だった。
大学の時には、『七人の侍』を見せては
「元気がないときには必ず観るんですよ」と嬉しそうに語る教官
(彼は企業でずっと働いて「企業論」的な授業を担当していた気がする)もいた。
ま、今になってみれば最大の手抜き仕事だってわかるけど(笑)、
そうした時間の方が(いや、そうした時間しか)憶えられてないってのも、
先生達かわいそう・・・って、そっち!?
(まぁ、いつの時代も「生徒」は自分を責めたりしないのです。
責められるのも「先生」の大切な仕事のひとつ。)
◇プロポーションは相変わらずながら、 やはりお顔のシワはさすがに進化。
そんなキャメロンも今年はもう40歳。ジェイソン・シーゲルが7歳も年下という事実。
テイラー・キッチュといいジェイソン・シーゲルといい、
出演作同日公開は共倒れというジンクスがうまれつつある?
◇脇を固める同僚教師たちが実に魅力に溢れていた。
天敵エイミー役のルーシー・パンチは、
エリザベスを相対的に輝かすために過不足ない演技。
(終盤の頬の[メイクの]変遷が単純ながら笑えて仕方なかった)
ふくよかな年増乙女リンを演じるフィリス・スミスの独特な愛らしさも最高。
アンサンブルによる効果はさほど見込めぬが、
各々の個性を堪能するには十分なカタログ的仕上がりになっている。
ジャスティン・ティンバーブレイクは演技の幅広げるべく(?)
正しき役者修行に勤しんでいる感じが好印象。
着衣でもイケる、脱アイドル完了。
◇キメのシーンに必ず流れるメタルは空耳アワー的熱量が適量でリラックス・ヴォルテージ。
スコアはマイケル・アンドリュース(最近では『ブライズメイズ』も担当)。
こちらは随分とカラフル・ファニーにポップする。
そして何と言ってもゴキゲンなのは、
タイトルロールで流れるロックパイルの「ティーチャー・ティーチャー」。
デイヴ・エドモンズとニック・ロウが在籍したバンドの1980年のスマッシュ・ヒット。
多種多様な「教室の情景」(さまざまな時代や国のさまざまなメディアの映像)が流れる。
ま、その後の展開には全く活かされないけどね(笑)
あ、でも、この曲の冒頭に「Cheeks flushed, apple red」って歌詞がある!