来るもの拒まず的(一時期の三池崇史に通ずる)職業俳優、ニコラス・ケイジ。
日本でも人気があるんだかないんだかイマイチつかめぬ、ニコラス・ケイジ。
大作であっても気づかぬうちに公開終了ってほどの空気っぷり扱いかと思えば、
『バッド・ルーテナント』とか『キック・アス』とか、一部から熱狂的支持を得ちゃったり。
まぁ、本作は明らかに前者に属するわけだけど(決定!?)、あの暑苦しさは或る意味、
「映画観た」感を与えてくれるしなぁ~と、好みでない顔(失礼)がアップになるたび
自己暗示かけながら観ておりました。
物語も演出も、「午後のテレ東」以上「木曜洋画劇場」未満な雰囲気で、
頭空っぽにしてハシゴ観賞の中休みには絶好の逸品(一応、限定的に褒めてます)。
ただ、観る順序とか期待値とかに誤算があると、とんでもない脱力感が待ち受けますので、
要注意。
本作は、ストーリーとか映像美とか感動とか、
そういうスタンダードな娯楽映画の醍醐味を期待して観ると赤点確実なので、
ひたすら脇役の頑張りっぷりに目を見張るよう心がけましょう。
なんせ、なかなか粋なキャスティングではありますから。
脇役というにはニコラス共に前面に出ておりますが、
ロン・パールマンの安定っぷりはいつみても頼もしい。「ついていく」気にさせてくれる。
おまけに、何、この仕事量・・・どんだけ信頼されてるんだ!?
とりあえず、今年のカンヌで監督賞受賞の『Drive』はむちゃくちゃ楽しみ。
一部で話題になってたGackt出演の『BUNRAKU』(ジョシュ・ハートネット主演)にも
出ているようなんだが、そういえばこの作品って日本公開未定のままなのだろうか。
スティーヴン・キャンベル・ムーアはなぜか観てる間ずっと
「なんかエドワード・ファーロングに似てる」とか思ってしまい、
一度そう思い出すとそうとしか思えず、しかもそう思ったのもおそらく
WOWOWで観た「CSI:NY」にエドワード・ファーロングが最近二度も出てたからで、
その役がまた憎らしかったりするものだから、スティーヴンの役どころも当然好きになれず。
(って、本作とまったく関係ないし・・・)
スティーヴン・グレアムなんて、『THIS IS ENGLAND』や
『くたばれ!ユナイテッド~サッカー万歳!~』(トム・フーパー、『英国王~』の前作)に出演。
大作系への出演も経験しながら(本年度マイ食指不動度No.1の『パイカリ』にも出演)、
TVシリーズにも出演したり、マドンナの『ワンダーラスト』なんかにまで顔を出していたり。
いま、最注目のイギリス人俳優といっても好い存在かもしれない。
おまけに、そんなイギリスからは若手注目株ロバート・シーハン(アイルランド出身)も出演。
ハリウッドデビューは本作になるが、子役時代からキャリアをスタートさせているようで、
イギリスでは人気ドラマにも出演し・・・って、ニコラス・ホルトと似た推移。
ニコラスは、「Skins」というテレビドラマでブレイクしたようで、それがハリウッドでの活躍に
つながっている模様。(『アバウト・ア・ボーイ』の少年が『シングル・マン』に出てるらしい、
と聞いて実際に再会したときの、驚きといったら・・・) 今や大作にもひっぱりだこだし。
で、ニコラス・ホルトのフィルモ眺めてて更に吃驚!なんと、彼は『The Weather Man』で
ニコラス・ケイジと共演しているではありませんか!?劇場公開はなかったものの、
スタチャンとかでよく放映していた、あの『ニコラス・ケイジのウェザーマン』ですよ。
とか書きながら、未見が悔やまれる。監督は、パイカリ・シリーズのゴア・ヴァービンスキー。
ますます、ロバート・シーハン、「ニコラス・ホルトに続け!」って感じだな。
ちなみに、ロバートに関しては、今年のスターチャンネルで放映していた英国テレビドラマ
『レッド・ライディング』三部作に、いずれも(確か)出演している(出番僅少ながら)重要な
役どころを見事に演じ切っており、独特な顔立ちと共に非常に印象深かったもので、
『Cherrybomb』や「Misfits」なんかも観てみたりしたが、今後要注目の俳優だと確信。
今年は、『Killing Bono』にもメインどころで出演していて、そちらも是非観てみたい。
ボノと同級生の高校生バンドがU2と音楽性かぶりまくってんのに、明暗分かれまくり・・・
で、「ボノなんて殺っちまえ!」って感じの映画らしいから(実話がベース)、観たいでしょ?
デンマークのウルリク・トムセンは、『セレブレーション』(トマス・ヴィンターベア)で注目され、
スサンネ・ビア(スザンネ・ベアで記憶しちまってるんですけど・・・)の『ある愛の風景』や
もうすぐ公開の『未来を生きる君たちへ』にも出演し、いまやデンマークを代表する男優。
おまけに、ハリウッド仕事では、『キングダム・オブ・ヘブン』でリドリー・スコットと、
『ザ・バンク 墜ちた巨像』でトムティクヴァと、『デュプリシティ』でトニー・ギルロイと、
といった具合に、俺がとりわけ好きな監督たちと仕事してる。
ま、いまいちノレなかったショーン・エリスの『ブロークン』や、『キリングミー・ソフトリー』や
本作のような「オシゴト」仕事もあるだろうが、今後もデンマーク仕込の渋さとスマートさを
スクリーンで堪能させて頂きたいもの。
とまぁ、圧倒的に男優陣に関する情報確認でこの記事は終ろうとしているわけだが、
本作の中心であるはずの魔女(原題は『Season of the Witch』)役のクレア・フォイが
何とも残念な扱いだから仕方がない。いや、彼女はかなりイイ!のだが、
ドミニク・セナ(監督)には、彼女を堪能してもらおうという志向がほとんどない。
彼女がレイプされたと思しき事実も、「語られる」のみ。(見せろよ・・・いや、見せるべき)
ラストで折角、愛しい表情で裸体(といっても、こちらも見せません)をさらすも、え?終わり!?
というわけで、紅一点の貴重な資源を明らかに有効活用するつもりなく、
クレア・フォイのブレイクは又の機会といった結果に。
テレビの仕事が中心のような彼女だけれど、今後は舞台の仕事も控えているようだし、
本作の繊細な表情なんか観てると今後は映画でも好い仕事してくれそう。
そんな、「魔女の季節」(?)といった原題とは裏腹な男ばかりの悪魔祓い映画な訳ですが、
かといって漢エキスたっぷりな興奮と感動が盛り沢山かといえば、全くそんなことはなく、
結局何がやりたいんだかよくわからずに、テキトーに撮って、「はい、あとお願い(>CG班)」
って光景が目に浮かぶような内容でした。しかし、そんな作品であっても、真摯に演じる
キャストの皆さんの涙ぐましい役者魂を感じながら、本当の自己犠牲は彼らのなかに!?
脚本的に、ちょこちょこ面白いところはあったんだけど。
例えば、魔女の護送をしながら、「女は結局、(誰でも)魔女だ[魔性を持ってる]よな」
「ってか、おまえの心が弱いだけだろ」みたいな会話をニコラス&ロンがしてて、
自分が理性的存在であることを信じたい男のために、
女が虐げられてきたかのような現実社会とリンク。
『監獄の誕生』(フーコー)じゃないけれど、
邪悪ゆえに牢に閉じ込めるのか、牢に閉じ込めたから邪悪なのか。
彼女(クレア・フォイ)が何者なのか、それを護送する男たちは常に自問自答し、
それを観客にも体現させるために有効な装置として、「牢屋」の存在が時折機能する。
牢屋から出た彼女が我々にどのように「映る」のか、牢から出た手は何をするのか、
牢の外にいる限りにおいて(彼女が牢にいる限りにおいて)保障される安堵とは?
ま、そんな思考も結局何も最後には結びつかないんですけどね。
ラストで、ベイメン(ニコラス・ケイジ)が「敵」をはりつけにするかのように抑えつけながらも、
自らがズタズタにされる描写は、「磔」を無償の犠牲として完結させたキリストへの敬意!?
つまり、磔にする者に攻撃を加える存在=敵、ゆえに打倒すべき。及び、その裏返し!?
そして、ペンは剣より強し的決着!?でも、それって結局また・・・
そんな余計な思考に逃げなきゃならなかった(笑)のも、ラストで出てくるCGが、
ゼロ年代の日本映画屈指の悪夢を呼び覚ますかのようなヴィジュアルで、
「だから、この邦題なのか!?」なんて妙な合点がクライマックスどころじゃなく、
「このデビルなんちゃらも、あそこまで壊滅的ならネタにもなったのになぁ・・・」
といった感慨を引きずりつつ、「せめてここが新宿なら」などと慰め求め、
開館早々迷走気味の角川シネマ有楽町のラインナップに先行き不安。
劇場自体は好きなんだけどなぁ・・・