ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

“あの日”から一年・・・

2007年03月14日 | ケネディスクール出願・合格までの道

 一年前の今日(日本時間の3月15日)・・・その日も僕は、当時日課となっていた、起床直後のメールチェックを殆ど無意識のうちにしていました。

 相変わらず続く午前様の日々。まぶたを開けるのが殊更億劫になる少ない睡眠時間。しかも、“ド近眼”の寝起きの僕は、額がコンピュータの画面にくっつくらいまで近付かないと、小さなメールの字を読むことが出来ません。

 布団の中でモゾモゾと蠢きながら、半分くらいしかない意識の中でメールアカウントを開くと、そこにあったのは、

 Congratulations!

 の文字。どんなにキツイ朝のコーヒーよりも効く、待ちに待ったこのタイトルに、いよいよ額をPCのガメンにグリグリ擦り付けながら、震える手でメールをクリックすると、

 I am pleased to offer you admission to Harvard University’s John F. Kennedy School of Government for September 2006, as a member of the Master in Public Policy (MPP) class of 2008....

 その時はもう、“Pleased”の文字と、差出人のアドレス“ksg.harvard.edu”しか目に入りませんでした。厳しい仕事と両立しながら、欠かせないリフレッシュであった週末のテニスも諦め、年末年始もひたすら部屋にこもって戦った、3年間に亘る留学準備の成果が花開いた瞬間でした。

 「あの日」までに、同じく公共政策の分野で出願していた、ジョージタウン大学院、コロンビア大学院、ミシガン大学院からは合格通知を頂いてはいたものの、「アメリカに留学したい」というよりも、「ケネディスクールで学びたい」という思いでひたすら走ってきた僕にとって、「あの日」のE-mailはことさら僕の心を躍らせ、そして身を引き締めるものでした。

 何故、そこまでケネディスクールにこだわったのか。なぜ、ケネディスクールでなければならなかったのか。発端は今から5年前、僕が社会人一年目に出会った一冊の本でした。

  

 「なぜ政府は信頼されないのか」という深遠な問いかけに、思わず足が止まった、というよりも、何かこの本に磁力のようなものがあって、僕にこの本の扉を開かせたような、そんな不思議な出会いでした。

 ジョセフ・ナイ学長(当時)を中心とするケネディスクールの教授陣によって綴られたこの本は、この問いかけと対峙すべく、米国連邦政府を中心とする様々なケースを取り上げ、政府の役割や業績、そして国民の目から見た業績について焦点を当てるとともに、「信頼」とは何かを解き明かすべく、様々な指標からのアプローチを試みています。そして、「信頼」向上、あるいは低下の背景にある要因について、考え得る限りの仮説と検証を試み、そして最終的にこの本は、なんら結論を語らないのです。

 「公共」分野に身をおく、あるいは「公共」のあり方について問題意識を持つ人であれば、一度は考えたことのある、この問いかけについて、実に様々な角度から、様々な方法で検証を試みる、そして、安直な社会科学の本にありがちな、「結論ありきで、それに都合の良い情報やアプローチを並べたてる」という内容とは程遠い、ケネディスクールを代表する教授陣の、愚直で、力強い、深く、そして謙虚な姿勢が浮かび上がる著書でした。

 「正答が用意されていない問題に、即ち社会そのものに、世界の様々な分野から集まった人々と真剣な議論を戦わせながら、向き合うことが出来たらどんなに素晴らしいだろう!」

 当時、英語がそれこそ中学生レベルにまで落ち込んでいた、職場の同期の中で、英語試験がダントツでビリだった自分が、この本を読みながら、鳥肌が経つような思いをし、遠くボストンのケネディスクールに思いを馳せ始めたのです。

 また、この本を読むことで、「公共部門を如何に“経営するか”」という発想で既存の学問領域を横断的にカバーする「公共政策」「公共経営」という修士号があることもはじめて知りました。そして、仕事を続けるにつけ、あるいは、職場の仲間とともに立ち上げた「官民協働Network Crossover21」の活動を続ける中で、この問題意識の大切さが身にしみて感じられたこともまた、僕をケネディスクールに向かわせた大きな要因でありました。

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 そして、今日で「あの日」からちょうど一年が過ぎようとしています。

 震えるような喜びと緊張感を味わった「あの日」から、自分はどれだけ成長できているのか?

 「渇望感」とも言える思いで、もがきながら無我夢中でつかんだその大きな「果実」と、逃げることなく、妥協することなく、向き合えているか?

 一日一日、一秒一秒、歩みは不器用で遅けれど、しっかり土を踏みしめ前進しているか?その足跡は残っているか?

 来年また巡ってくる「あの日」に、そして、来年の夏、成田行きの飛行機に乗り込む時に、一体、どんな自分でありたいのか?

 自分自身に問い続けなければならない問いかけ。自分が納得する答えは、おそらく、「卒業のその日」に見出すべきものではなく、ケネディスクールで戦う一日一日、そして、卒業後に社会に戻って戦う一日一日の中で、見出していくものなのでしょう。

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 今日のケンブリッヂは気温が20度近くまで上がる春日和。聞くところでは、今年もケネディスクールの合否結果が出始めたようです。

 今年の9月にケネディスクールの扉をくぐる新しい仲間はどのような人たちなのだろうか。その人たちは今、世界のあちこちで、どのような自問自答をしているのだろうか・・・

       


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2 コメント

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自問自答 (Unknown)
2007-03-25 02:14:21
「あの日」から一年経ったのですね。
それだけの思いのつまった留学生活が簡単に崩れてしまうことの無いよう、敢えて犠牲をはらってikeikeさんの「人間的な成長」を期待している人間もいるということを忘れないでほしいと心から折に願います。
自問自答 (>ikeike)
2007-04-03 16:08:54
こんにちは。
大切なコメント有難うございます。

自身が何によって立っているのか。多くを語ることなく自分を支え続けてくれている妻、両親、友人達。そして、自分の弱さ、人間的な未熟さから傷付けてしまった、それでもなお、見守ってくれている人がいるからこそ、この日をこの場所で迎えることができる。

 社会の中でどうするか、どうありたいか、なんて事を問う以前に、自分自身が人間としてどうあるべきか、どうありたいか・・・決して忘れてはならない、忘れたくない、生涯問い続けなければならない、僕の自問自答です。

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