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ケネディスクールに集まった約100人の聴衆の前で自らの痛ましい経験を、時に涙しながら語られたのはYong-Soo Lee(リ・ヨンス)さん。今年79歳になるそうです。
「私は韓国の子ではなく、朝鮮の子です。」という自己紹介で始まった悲痛な体験談。一つ残念だったのは通訳が極めて限定的だったこと。彼女が張り裂けるような声で語るストーリを3分の1か、時には4分の1くらいに“要約”して淡々と語る通訳には、周りの韓国人の友人たちも戸惑いを感じていたようでした。
以下にリ・ヨンスさんのメッセージを紹介しますが、内容はそうした通訳と、イベント終了後に韓国人の友人たちから聞いた補足説明を通じて受け取った“継ぎはぎ”なものなので、必ずしも彼女の韓国語の説明と一致しない個所があるかもしれません。
なお、リさんは今年の2月15日に米国議会で証言をされているほか、ケネディスクールでの講演の模様は朝鮮日報でも報じられています。
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「16歳のある日、貝を取りに川岸に友人と出ていた時でした。
日本人の軍人と初老の男が手招きをしていました。その時は不安を覚え一人で家に走って帰ったのですが、数日後、家で目覚めると、その友人が窓越しに、「家族には黙って私について来て」と呼びかけたのです。そして彼女についていくと、待っていたのは例の日本人の軍人と初老の男でした。」
リさんが暮らしていた家はテグ(大邱)という町だったそうですが、そこから汽車に乗せられて平壌まで連れて行かれ、そこから南に戻って釜山へと移動し、船に乗せられて遠く台湾へと移送されたそうです。
それからリさんは、その後2年間近く続いた地獄のような日々について、涙を流しながら叫ぶような声で僕たちに伝えました。
「私は慰安所で着物に着替えるよう言われました。慰安所で私は一番若かったと思います。
初めて日本兵に慰安婦としての務めを果たすことを求められた時、私は強く拒絶をしました。すると慰安所の管理者は私を電気ショックで散々痛めつけた後、逃げられないように足をナイフで深く傷つけました。その傷は今でもここに深く残っています。」
「私は慰安所で“とし子”という名前で呼ばれ、毎日4、5人の日本兵の相手をさせられました。性感染症にかかってしまいましたが薬を飲んで働き続けるよう言われました・・・」
次第に米軍による空襲も度重なるようになり、ついには慰安所そのものが破壊され多くの仲間が巻き添えになって亡くなったそうです。何とか難を逃れた彼女ですが、その後は、壕のような場所で引き続き慰安婦として働くよう命令されたそうです。
そんなある日、彼女はある日本兵との会話で自分がいる場所が台湾であり、その慰安施設が特攻隊のものであることを知ることになります。
「特攻隊とは何?」と尋ねる彼女に、その日本兵は、
「特攻隊は敵の戦艦に体当たりして散るのだ。そして私は明日出撃で二度と帰ることはない・・・ この戦争はもうすぐ終わるだろう。そうしたら君は故郷に帰れる。私は敵艦に体当たりした後、星になる。故郷への道のりは長く厳しいかもしれないが、僕は星になって君のことを空から見守っているから大丈夫だ。私は一人で死ぬのは寂しいが、幸い君からもらってしまった性病がある。だから一人ではないね。」
と笑顔で答え、彼女に歌を贈ったそうです。彼女が静かに語るその特攻隊員との会話は、戦争そのものに対する怒りと悲しみが込められているようでした。
そして、
静まり返った聴衆を前にイさんは韓国語と日本語で、その特攻隊員が彼女にくれた歌を美しい声で歌ったのです。
終戦後、リさんは手渡されたわずかなお金で故郷のテグにたどり着きますが、慰安婦として働いていたことが噂として広まったため、結婚もできず、両親だけを頼りに長く苦しい人生を生き抜いたそうです。
約1時間にわたる体験談を彼女はこう締めくくりました。
「私は朝鮮の子です。人生を奪われ、親(祖国)を殺されました。しかし、この悲劇は日本と朝鮮の間の話だけではない。日本とアジアの話だけでもない。世界中で今なお起っている女性の人権蹂躙の問題なのです。こうした非人道的な悲劇を止め、繰り返さないためにも、日本政府は過去から目を背けるべきではありません。日本政府に公式の謝罪と賠償を求める米国議会の「決議121」の可決に向けて協力を是非お願いします!」
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会場の人々は立ち上がってリさんに拍手を送っていました。僕は打ちのめされたような思いと、それでもなお晴れない葛藤の中で拍手を送っていました。
「一体どのような謝罪が求められているのか?」
「徹底した誠実な謝罪とは何なのか?」
思い出したくもないであろう痛ましい過去を語り終えたばかりのリ・ヨンスさん本人にまさか質問する訳にもいかず、僕はしばらく馬鹿のように会場近くで突っ立っていました。
「そうだ、韓国人の友人に思い切ってこの思いをぶつけてみよう。」
そう思って周りを見ると、Korea Japan Tripを一緒に企画した韓国人の友人ヒョンミンが視界に飛び込んできました。
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僕:「ヒョンミン!今日は企画してくれて有り難う。直接被害者の声を聞けて色々な意味で本当によかった。」
ヒョンミン:「ううん。来てくれて有り難う。」
僕:「ところで一つ質問があるのだけれど、(外務省のホームページから打ち出した河野談話(英語版)を示して)ヒョンミンはこれを知っている?」
ヒョンミン:「何これ?Kono Statement?知らない。」
僕:「これは日本政府が1993年に出した慰安婦問題に対する公式の謝罪だよ。慰安婦の強制収容への当時の日本政府の関与を認め、心からのお詫びと反省の気持ちを公式に表明したものだよ。」
ヒョンミン:「このKonoっていう政治家が個人的に出したものでしょ?」
僕:「違う、違う。これは政府全体の公式見解として位置づけられているんだよ。その後、歴代の総理大臣もこの見解を踏襲しているし・・・」
ヒョンミン:「じゃあなんで安部首相は、その内容を否定するようなことを言うの?どうせこんな談話なんか、法律の裏付けもない、何の拘束力もないものなんでしょ?」
ヒョンミンの顔が明らかに曇っているのに気付いたので、僕はあわてこう言いました。
僕:「いや別に・・・僕は慰安婦の問題を否定しようなんて全く考えていないし、君とこの件について議論しようというつもりでもないんだよ。ただ単に・・・
単に、日本政府は既にこうして何度も謝っていること、その事実を韓国の人々が、今日のリ・ヨンスさんが知らないのか、それとも知っているけど不十分だと考えているのか、あるいは何か別な理由があるのか、それが知りたいだけなんだ・・・」
二人の間の空気を心配したのか、韓国の外交通商部出身のジョセフが会話に加わりました。
ジョセフ:「河野談話ね。知っているよ。この時河野さんは確か官房長官だったんじゃないかな?直接確認した訳ではないけれど、リ・ヨンスさんや他の元慰安婦の方々は、間違いなく河野談話の存在を知っているよ。それに、現在議論になっている米国議会決議121も、明示的に河野談話について触れている。」
僕:「では、やっぱり謝罪が“不十分”だと言うことなのかな。それならそう言えばいいのに・・・」
ジョセフ:「いや、不十分だということではないと思うよ。問題なのは謝罪の一貫性だよ。慰安婦問題を否定する考えが日本を代表しているとは僕は思わないけれど、謝罪している一方で、それを否定する発言が、しかも日本の政治リーダーの口から発せられるのでは、被害者の立場からしたらやりきれないよね。
それに、リさんも言っていたけれど、この件は別に日本を悪者にして叩こうということではないんだよ。どの国だって、韓国だって日本だって、アメリカだって、目を背けたくなるような過去の過ちがあるものさ。僕たち一人一人だってそう。人間は間違いを犯してしまうもの。でも、同じ過ちを二度と繰り返さないように胸に刻んで成長することが大切だよね。
残念ながら残酷な人権蹂躙は今も世界中で起っている。これは日本の問題だけでない、世界が僕たち一人一人が克服しなければならない問題なんだと思うよ。」
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過去を胸に刻むこと。
一貫した謝罪。
戦争責任の取り方についてしばしば日本と比較されるドイツでは、ユダヤ人の大虐殺(Holocaust)を否定する内容の発言や書籍の出版が法律で禁じられています。
一つの民族の絶滅を標榜したナチス・ドイツのユダヤ人の迫害と、日本政府が戦争中に犯した過ちとを同列に論じることには違和感を感じる人が多いと思います。僕も、その一人でした。
また、「無条件の“平謝り”の連続では、政治的、経済的な利害が錯綜する国際政治の中で、中国・韓国に良いように利用されるだけだ」と考える人もいるかもしれません。
しかし、
ワルシャワの街で突然ゲシュタポに拘束され収容所に送られ虐殺されたユダヤ人の少女と、
テグの街で突然日本兵に拘束され慰安施設に送られ一生を踏みにじられた韓国人の少女と、
広島の街で突然原爆の熱風と放射能に焼かれた日本人の少女との間で、
その痛みと悲しみ、苦しみに一体どんな違いがあるというでしょう。
昨晩、ケネディスクールの日本人学生のメーリングリストで、慰安婦問題についての見解が飛び交いました。中には、イ・ヨンスさんの証言の中で、日本兵に連れ去られた際の内容にブレがあることを指摘するサイトを紹介した友人もいました。また、日本として「物議を醸すようなことは言わず、ひたすら“風化”を待てばよい」という意見もありました。
“風化”とは、ある事件が皆の“記憶”の中から消滅し、一つの史実として歴史教科書の片隅の記述となることを指すのでしょう。
しかし、それを事の当事者が求めるとしたら、その人は過去の過ちから学ぶことができるのでしょうか?
新潟で中学校の部活動の帰りに理不尽にも拉致された横田めぐみさんのご両親やご親族が必死になって事件の「風化」を食い止めようとしている姿をどのように考えるのでしょうか?
僕自身が1月にハリケーンカトリーナの爪痕が色濃く残るニューオリンズの復興ボランティアに参加した際、荒涼としたLower Ninth Wardに立ち尽くしながら感じたことを思い出します。
理不尽な苦しみ、悲しみを被った人々の怒りや悲しみに対して自分が人間としてすべきこと、
理不尽な悲しみや苦しみが繰り返されないために自分が人間として考えるべきこと、
それは、忘れないこと、忘れないために共有し語り継ぐこと。
今、自分の中で、長らく燻っていた葛藤が次第に薄らいでいくのを感じています。
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追伸:記事を読んで頂いた皆さんへ
毎回1つの記事を書くのには平均1、2時間かかるのですが、今回のテーマはこれまでで最も長い時間がかかりました。
ちなみに、今日の実際の日付は5月9日です。リ・ヨンスさんのお話を伺い、韓国人・日本人の友人と語り、妻と問答をし、そして自問自答を繰り返した、そんな一週間の思考のプロセスがこの二つの記事の土台となっています。
相変わらず冗長な文章となってしまいましたが、最後まで読んで下さった方がいらっしゃったら感謝です。そして、もしこの記事を読まれて何か感じるところがあったら、違和感でも何でも構いません、コメントを頂けるとうれしく思います。
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私はドイツに来て1年弱ですが、日本とドイツの歴史認識の違いについて、考えさせられることがよくあります。
この点については、ドイツ在住のジャーナリスト(元NHK記者)である熊谷徹さんのHPにあるこの記事が、とてもよくまとまっていると思います。
http://www.tkumagai.de/Koen%20Minshu%2006.htm
私も、ドイツと日本が過去に行った残虐行為を単純に比較することはできないと考えていますが、それでも、ドイツが戦後長い時間をかけて近隣諸国との間に築いてきた協力関係と、日本のそれを比べると、愕然たる違いを感じずにはいられません。
ただ、ドイツでも、過去の問題が完全に解決されたわけではありません。先月も、バーデン・ビュルテンベルク州首相という有力なポジションにいる政治家が、歴史認識にかかわる問題発言をして謝罪するという事態が起きました。詳細は以下の記事を参照して下さい。
http://www.tkumagai.de/Doku%20Ettinger.htm
しかし、A級戦犯が祀られている宗教施設に参拝しておいて、「戦没者を哀悼して何が悪い」という内輪の論理で突っ張る政治家は、少なくともドイツにはいません。ドイツのような徹底的な謝罪を日本もするべきだ、という結論に飛びつくには、私は躊躇を感じます。上述のように、ドイツと日本の過去の行為は単純に比較とはできないと考えるからです。しかし、少なくとも歴史認識に関する限り、「内輪の論理」は外国に相手にされない、ということを日本はもっと自覚するべきなのではないか、かつての加害者側の立場として、「内輪の論理」で満足していていいのか、と感じるようになりました。
論考としては甚だ不十分ですが、以上がドイツに住んでいる一個人の感想です。ike様の参考になれば幸いです。
確かに、規模あるいは方法という観点から見た時に、ナチスのホロコーストと日本の戦争犯罪は同列に論じるべきではないと思います。
しかし、僕が記事の中で強調したかったのは、一人ひとりの被害者の視点に立った時に、その人生を何の理由もなく踏みにじられ奪われたという点で、そこに本質的な差異はないということです。
また、ドイツのような「徹底的な」謝罪についてですが、僕は長い間「徹底的」の意味するところが正直わかりませんでした。
表現の自由との間でConflictを生じるドイツのような「ホロコースト否認罪」を日本で設けるべきとは思いません。また、謝罪の「量」を問題にするのであれば、日本政府もこれまで多くの謝罪を表明してきました。
今回の一件で気づいたのは、「徹底的な」謝罪とは「一貫性のある」謝罪であるべきということ、そして教育の場等を通じて、共有し、語り継ぐことの重要性です。
何事も、内輪の論理が跋扈する「島」を出て、外国で様々な意見を聞いていると、ようやく物事の本質が見えてくるように思っています。
では、引き続きお互い色々がんばろう!
日本の政治も行政も歴史的史実もみなさんほどよくわからない若者としての感想ですが、風化させるという意見にひどく疑問を感じます。周囲や相手が忘れてくれるのを待って自分は反省も努力もせずにほおって置くというのはいかにも良心や'武士道’に反する考え方ではないでしょうか。
私は国立高校を卒業しましたが、そこでの必修であった1年間の世界史の授業はいわゆる歴史の重要事項をさらう一般的な世界史ではなく、教科書問題、靖国参拝、慰安婦問題、南京虐殺などの時事的なトピックを主に習いました。このような教育の場による"風化”の防止は非常に大切だと私は強く思います。
こちらは,被害者の証言のみに依存しているわけではありませんし,客観的に明らかですからね。
被爆者の日本人が,アメリカで訴訟をわざわざ提起したという話は聞きませんが,「偽善」ではなく,真の「正義感」にあふれたあなたなら,きっと成し遂げてくださると確信しております。
ご指摘の通り、また、この前の記事で書いているとおり、アメリカ議会が日本に謝罪を求める議決を出そうとしてる動きについては、僕も今尚違和感を覚えています。
また、ご提案の内容については、僕も含めケネディスクールの日本人はこれまで、大勢のアメリカ人を広島に連れて行き、実際に被爆者との対話の時間を用意するKorea Japan Tripの企画を実行しています。その際の模様もブログで紹介していますので、もしよかったら「Korea Japan Tripその6」の記事をご覧ください。
また、
「他国もやっているのになぜ日本だけ…」「日本も被害者である…」「反日教育も含め韓国・中国の歴史問題の政治利用化は明らか…」「元慰安婦の証言は矛盾だらけ…」
こういった主張に関する本やブログは僕もこれまで沢山読んできまし、「その通りだ!」と思っていた時期もありました。正直、このイベントの場にすら、日本政府がこれまで多々行ってきた謝罪に関する文書や、韓国側の主張の矛盾点を裏付ける資料を「客観的な証拠」として持ち込んでいたくらいです。
ただ、この記事にも書いたとおり、実際に話を聞き、また様々な考えを持つ友人や書籍を通じて考えてきたこと踏まえて気付いたことは、これまでの日本国内での議論は、個々の被害者の視点が抜け落ちているのではないか、ということです。
そして、「日本はもう“十分に”謝罪をしてる」という意見については、問題は謝罪の「量」ではなく「一貫性」なのだということにも気付かされました。
また、頂いたコメントで「正義感」とは何なのか改めて考えさせられました。
大切な言葉である一方でやや危険な言葉だとも思います。というのも、人は「これが真の正義だ」と考えると、得てして自分の都合の良い「証拠」や意見にばかり目を向け、耳を傾け、そうでないものについては、「とるに足らないもの」「信頼できないもの」として片付けてしまう傾向があるように思うからです。
そういう意味では、この件に対して感情的に反発したくなる我々の心の奥にこそ、日本の「正義」を固持したい、信じたいという意識的、無意識の「正義感」がある様に思います。
僕のところは、おそらく他の多くの日本の中学・高校の歴史の授業と同様、縄文時代・弥生時代から始まって、三学期に近代史にたどりつく頃には時間がなくなってしまい、先生から「よーし、期末試験の範囲は近現代史、教科書●ページから●ページ。よく読んでおくように!」って言われておしまいでした…
慰安婦の問題をはじめ、近代史については、教科書や歴史の授業でより多くの時間・ページ数を割き、いったい何が論点になっているのか、という点等について皆で考え、問題意識を持たせるための工夫をすべきであると考えています。
これに尽きるでしょう。
残念ながら、ライシャワー大使でさえ、戦争被害の拡大を防ぐためには、原爆投下もやむなしという立場でした。
中国人でアヘン戦争のことをイギリスに言う中国人はいないでしょう。
現代は、第2次世界大戦が世界的な価値観となっているのも仕方ないことです。
そして、その価値観とは、勝者のものです。
それが戦争です。
それに対する対応に正解はないと思います。
ただ一つだけ言えるのは、戦争には負けてはならない、ということだと思います。
様々な価値観や解釈を学校で教えるのには限界があるでしょう。その教師の一方的視点のみ教えられる可能性もあります。更に、歴史から派生する現在の問題(靖国、慰安婦決議、日中・日韓関係等)は、もはや歴史授業の域を超えてしまいます。授業で扱うのみならず、授業で扱わないことにも関心を持つような、社会問題への成熟した態度も必要なのだろうと思います。
現在の世界秩序や価値観が第二次大戦の勝ち負けによってある程度形作られているというkinkinさんのお考えはうなずけます。
ただ、欧州に関して言えば第二次大戦の勝者も敗者もなかったのではないでしょうか。そして戦後残った価値観は勝者のそれを敗者に押し付けるものではなく、戦争そのもの、人道に対する罪そのものに対する深い反省であり、だからこそ、欧州、特にフランス・ドイツは何百年のもわたる憎悪と殺しあいの歴史を乗り越えて、欧州連合の設立までこぎつけているのだと思います。
そういう欧州の状況と比較して、未だ双方が双方の見方に固執しつつ、感情的な対立を乗り越えることができない極東アジアの状況は残念に思います。
中国・韓国の姿勢に問題がないとは言いませんが、人のアラを探し批判をする前に、自分自身について見つめなおし行動する精神年齢の高さ、余裕を日本という国、日本人自身が備えてもよいと思います。
「授業で扱わないことにも関心を持つような、社会問題への成熟した態度も必要」とはまったくその通りですが、では、どうやってそれを培うことができるのかと考えてみると、やはり学校の役割は大きいと思います。
もちろん、子供の問題意識を鋭くする上で親の果たす役割も大きいと思いますし、旅行などを通じて新しい問題意識が芽生えることもあると思います。
いずれにしても、今の日本の歴史教育における近代史のウェイトの低さは改善すべき問題だと思っています。