ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

「日本のソフトパワー」

2007年05月25日 | 日々の出来事

 

 「Harvard松下村塾」にてエズラ・ボーゲル ハーバード大学名誉教授の指導のもと、日本のソフトパワーについて昨年11月から約半年間、8名のメンバーで行ってきた研究を取りまとたレポート、「日本のソフトパワー -日本が発信できる価値とは何かー」が今日ついに完成しました。

 A4判で55ページ、約5万字にもなったレポートは、大きく4つのパートに分かれます。

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・第一パート:レポートの目的、ソフトパワーのコンセプトの整理、そして事例研究にあたっての視座の提示。

・第二パート:事例研究の内容と考察
   ①「日露戦争講和条約の交渉過程で米国に対して発揮された日本のソフトパワー」、
   ②「米国の対日占領政策の実施過程で日本に対して発揮された米国のソフトパワー」
   ③「米国の対日占領政策企画・立案過程で米国に対して発揮された日本のソフトパワー」という3つの事例研究の内容と考察。

・第三パート:現在日本がもつソフトパワーの客観的分析   
   ① 日本食、アニメ、非核・平和主義、ものづくり、環境技術、公衆衛生、教育の7つのソフトについてSWOT分析(ソフトが持つ強み(Strength)と弱み(Weakness)、ソフトを活用する上で外部に存在する機会(Opporutunity)、驚異(Threat)を考察する手法)
   ② Korea Japan Trip2007の参加者アンケートの結果
   ③ ジョセフ・ナイ教授、エズラ・ボーゲル先生との対談内容

・第四パート:研究を経て浮かび上がった日本全体の国家像の提示と、日本政府や日本人一人一人が日本のソフトパワーの可能性を最大限活かし育てていくために今後取り組むべき課題の提示

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 様々な角度から日本のソフトパワーに光を当ててきた半年間の研究の最大のキーワードは「個人」です。そして僕たちはこの半年間の「日本のソフトパワー探しの旅」の中で、様々な日米の歴史的群像と出会いました。
 
 例えば、今から約120年前にハーバードロースクールで学んだ外交官、金子堅太郎(1878年卒)。

           

 ハーバード大学の同窓生だったセオドア・ルーズベルト大統領(1880年卒)とも、1889年の訪米時以来、文通による親交を重ねた金子は、日露戦争の過程でルーズベルト大統領と度重なる直接会談の場を持つ以外に、米国世論や知識人に日本の立場や考えを理解してもらうべく、ハーバードのメモリアルホール内にあるサンダース・シアターやニューヨークのカーネギーホール等で、積極的な講演活動を行ったことは既にこのブログでも紹介したとおりです。

 流暢な英語や話術で、理論的に日本の大義名分論や武士道精神を説く金子の講演は人気を博し、例えば、ロシア海軍の名将マカロフが戦死した際に、敵将の死に哀悼の意を述べ、その名誉を重んじたことは参加者を感動させただけでなく、ニューヨーク・ヘラルド紙、ザ・サン紙等主要メディアにも採り上げられ反響を呼んだそうです。また、日本の捕虜に対する処遇や、ロシア軍死者の葬儀をキリスト教の形式で行ったことなども紹介され、聴衆と世論を惹きつけることとなりました。
 
 また、「米国の対日占領政策の企画・立案過程で米国に対して発揮された日本のソフトパワー」の事例では、一人の米国の政府高官、具体的には当時国務省内で知日派として知られたヒュー・ボートン(Hugh Borton)に焦点を当てました。

            

 20代後半の時、初めて訪日して以来、日本の文化や社会にすっかり魅了され、また新渡戸稲造らとも親交を深めたボートンは、太平洋戦争中、日本語や日本文化を解する数少ない知日派であるという立場を活かし、GHQによる対日占領政策の「原案起草権」を握ることとなります。

 例えば対日占領政策の最大の焦点であった天皇制継続の是非をめぐる議論。なぜボートンはアメリカ世論や国務省内多数派の猛烈な反対にも関わらず、当初から一貫して象徴として天皇制維持を唱え続けたのか。その答えは、彼が若き日に経験した日本での経験にあります。

 「私は天皇が君主として国民から深く尊敬される点や非常時に重大な役割を果たす点を高く評価していた。それは日本に滞在したときの経験に基づくもので・・とりわけ即位の礼・・二二六事件の後反乱軍に投降を命じたこと(筆者注・双方とも滞日中)が強く心に残っていたからだ」(1943年)

 (「戦後日本の設計者―ボートン回想録」より)

 また、対日占領政策のもう一つの大きなポイントであった直接軍政と間接統治のいずれを取るべきかという論点についても、ボートンは回顧録の中で、日本に滞在していた折、

 「戦前の日本には必要な政治改革を実行し、戦後処理の最終条件を確実に遵守できる資質を備えたリベラルな人々が十分いた」

 ことに触れています。日本を実際に見て日本人が信頼に足りる人々だと考えてたボートンは、より日本人自身の意思を尊重した占領政策を立案することになります。

 このようにレポートでは

 「① ソフトがいかにキーパーソンに影響を与え、→ ② そのキーパーソンがいかに政策決定に影響を与え、→ ③ 政策決定が自国(ここでは日本)の利益にどうつながるか」

といういわばソフトパワーが発揮されるまでの三段階を論理的飛躍をできるだけ抑えながら、また国内・国際世論の動向やハードパワー(軍事力や経済力)との関係も踏まえつつ検証することに努めました。

 というのも、世論、キーパーソン、ハードパワーと複眼的な視点でソフトパワーについて研究することで、以下のような「ソフトパワー論をめぐる陥りがちなワナ」を避けることができると考えたからです。

 ① 日本のソフト(例えばアニメや日本食)が如何に海外で人気があるかという統計や日本の好感度調査などのアンケート結果を多数紹介することをもって、日本にはソフトパワーがあると結論でづけてしまうというワナ。ソフトが如何に人気でも、それがパワーとして国益の実現に結びつくかは別問題。

 ② ある政策の実現とソフトパワーの関係を分析する際、ソフトパワーを過大評価するあまり、ハードパワーについて無視、ないし軽視してしまうというワナ。
 
  このように、キーパーソンに焦点を当てるという、ジョセフ・ナイ教授著の「Soft Power」には必ずしも詳述されていない僕たち独自のアプローチを取ることで、ソフトパワーのより正確な分析が可能となった訳ですが、個人的には、研究を通じてかつて米国で学んだ歴史の群像達と、ある意味で血の通った出会いを経験できたことが非常に印象的でした。

 金子堅太郎や小村寿太郎、高木八尺(やさか)など、今回の研究で僕たちがフォーカスを当てたキーパーソンたちは皆、若かりし日に遠く母国を離れ、そしていつの日か自分を送り出してくれた日本に尽すべく、慣れない異国の地で右往左往しながらも日々自己研さんに励んでいた…そんな彼らの若き日の生き様に出会うことができたのです。

 こうした歴史上の巨人たちと、未熟な僕たちとを同一視することは「誇大妄想」もいいところなのですが、しかし、日本に育てられ、日本に送り出された一若者であり、そして日本の未来と自らの将来を重ね合ながら、異国の地で日々格闘する一人の日本人であるという意味で、僕たちは彼の偉人たちと同じ何かを、この「Harvard松下村塾」でつかんだ気がします。それはつまり、自分たち一人一人が日本の魅力の発信源であり、日本の魅力に磨きをかける担い手であるということです。

 もう一つ重要なこと。

 3月半ばにジョセフ・ナイ教授と対談をした際、教授は温かい笑みを浮かべながら僕たちが持ち寄った自著「Soft Power」の本にこう書き綴られました。

 「Best wishes to your Soft Power」

 日本国の魅力の担い手を目指す前提として、自分自身のソフト(魅力)に磨きをかけ、一人の人間としてソフトパワーに溢れた人物を目指すこと。ソフトパワー論の生みの親であるナイ教授が僕たち向けて発信したメッセージは、我々が常に行動の指針として持つべき原則を示す叱咤激励でした。

 僕たちが限られた時間と能力の中で、しかし全力で取りまとめたこのレポートは、日本という国、日本人自身が何者であるかを問い直す旅の軌跡であるとともに、僕たち自身の今後の行動に大きな示唆を与えるものとなりました。


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2 コメント

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Unknown (mabuchi)
2007-06-04 23:48:53
素晴らしい成果ですね。レポート、ぜひぜひ送ってください!
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>mabuchiさん (ikeike)
2007-06-06 14:46:59
コメント有り難うございます。いよいよ卒業間近ですね!レポートは色々な写真やら図やら表やらがついているので、メールでお送りするにはちょっと重すぎます。
なので、KSGのメーリングリストのウェブにアップしますので、そこからダウンロードをしてもらえればと思います。
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