Harvard 松下村塾の仲間7人とオフィスに入ると、ジョセフ・ナイ教授は前回同様温かい笑みを浮かべながら、
「椅子は足りそうですね。皆さん、ボーゲル先生のスタディグループのメンバーなんですか?」
と言って迎え入れてくれました。メンバーの自己紹介を済ませた後、これまで勉強会で取り組んだ以下の二つのケーススタディ、
① 日露戦争講和条約(ポーツマス条約)交渉過程:交渉を日本の優位に終えるという日本の国益達成に、日本のソフトパワー(武士道)が果たした役割
② 太平洋戦争終了後: 日本の円滑な民主化というアメリカの目的達成に、アメリカのソフトパワー(民主主義、基本的人権の尊重、豊かなアメリカンライフ)が果たした役割
を資料を使って紹介。その際、「ソフトパワーの発揮」と「目的の達成」との間の因果関係を説明するために、
○ 「世論調査、新聞の風刺画、関連書籍の売上げ等によって現れるAtmosphere(雰囲気)に与えた影響」と、
○ 「当時、政策決定上重要なポジションにあった個人に与えた影響」、
との二つに分けた僕達のアプローチについて説明すると、特に後者について非常に大きな興味を示されていました。その上で、僕達が抱える大きな3つの疑問をぶつけてみました。
Q1 ソフトパワーと目的達成との間の因果関係をどうしたら説得力をもって、出来る限り客観的に示すことができるのか?
Q2 ソフトパワーの源は、例えば映画であれ、ポップカルチャーであれ、そもそも政府のコントロールの外で育ってきたもの。逆に政府が関与すれば検閲やプロパガンダとしてソフトの魅力を損ねかねない。では、政策的にソフトパワーの源を育てることは可能・妥当なのか?
Q3 日本がアジアでソフトパワーを遺憾なく発揮するためには、特に中国・韓国との歴史問題の解決が欠かせない。どのようなアプローチが有効だと考えるか?(既に「日本のソフトパワー」の記事の中で紹介したとおり、ナイ教授は、この問題が日本がソフトパワーをアジアで行使する上での障害になっていると明示的に指摘しています。)
どれも、これまで数ヶ月に亘る勉強会の中で議論を戦わせる中で、有効な答えが見出せない課題たちです。この質問に、ナイ教授は非常にどれも重要な指摘である、というコメントを添えつつ、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アフリカ、アジア等世界各地で起こった事例を引きながら、概略以下のような示唆を下さいました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
Q1について、
確かに、世論調査結果などで国の「好感度」が上がったからといって、それがある政策のアウトカム(成果)に直接結びつくとは限らない。そういう意味では、因果関係を説明するのは、個人に焦点を当てるアプローチがより説得力があるのだろう。ただ注意すべきは、政策決定権者は殆ど常に、世論調査などに現れる社会の「雰囲気」も考慮につつ判断をすると言う事実でである。よって、「個人」と「雰囲気」はお互いソフトパワーの影響を受けつつ、相互に関連しながらある特定の政策を生み出すのだろう。
Q2について、
例えば、アメリカ政府がハリウッドの中身について、アメリカのソフトパワー(魅力)を保つため、政権の都合の悪いことは書かないよう圧力を加えれば、それは裏目に出るだけだ。また、ソフトパワーが効果を発言するまでには長い時間がかかることも念頭に置かなければならない。
以上のような限界を踏まえてもなお、例えば、日本政府が実施しているJET PROGRAM(アメリカ人を日本の小・中学校の英語教師として受け入れる事業)のような人材の交流政策は日本のソフトパワー向上に長期的に見て必ず役に立つ、優れた政策と言えると思う。
Q3について、
日本は世界に「日本は1930年代、40年代とは全く違うのだ」と言うことを理解させるためにも、また、中国や韓国に日本のソフトパワーを消耗させるキャンペーンを張られないためにも、歴史問題については、論争的な言及は避け、議論のテーブルの上から外す努力をしなければならないのではないか。
中国はそういう消極的な対応では満足しないのではないか、という考えもあるが、中国当局にとっても、反日デモは放置しておくと手に終えなくなるリスクがある。また、友好的な日中関係の重要性は彼らも認識しているところであり、世論が反日的な方向に向きすぎないよう配慮するのではないか、と考える。
最後に、例えばアメリカが「自由」というブランドで世界の人々に魅力を発信しているのに対し、日本はどのようなコンセプトでブランディングすることが可能か、と言う質問に対し、ナイ教授は非常に示唆的な発言をされていました。
「日本は、欧米以外で最初に経済の近代化を成し遂げ、敗戦後もすさまじいスピードで経済復興をとげ、世界の経済大国となった。同時に、欧米には決して見られない伝統や文化を保持している。
グローバル化の波の中で、各国が経済力の強化を競い合う一方、どの国も自国の独自性の維持に苦心している現在の世界の情勢の中で、普遍性と独自性とを併せ持つ日本の“サクセストーリー”は、多くの、特に発展途上の国々を惹きつけるであろう、大いに語る価値のあるものではないか。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
対談の時間は、予定の一時間を30分近くも上回りましたが、ナイ教授は終始丁寧に、また深く、我々と議論の時間を共有してくれました。最後にナイ教授からは、
「君達のこの研究は、この分野では誰よりも掘り下げたものになっているよ。レポートを取りまとめるだけでなく、積極的に世の中に発信すべき価値のあるものだ。」という思いがけない激励のメッセージも。
ナイ教授といい、あるいはボーゲル先生といい、世の中に発言力を持つ「大物」と呼ばれる学者ですが、やはり人々に進んで耳を傾けさせる「ソフトパワー」に満ちた人物であると感じずにはいられません。
早いものでレポートの取りまとめ期限まで、残すところ2ヶ月と少々。通常のコースロードに加え負荷の高い日々が続きますが、ナイ先生のエールを糧に何とか付加価値の高い報告書を仲間とともに創り上げられれば、と思っています。
JETやそのOBのことは、(米国人に限りませんが)日米関係の文脈の中でしばしば耳にします。十分ご承知とは思いますが、ソフトパワーの源は映画やポップカルチャーに限らないのですから、JET以外にも留学生受け入れ、広報施策、時には日本の外交姿勢そのものも、政策的に源として育てることは可能でしょう。更には個人レベルですらも、例えば現在、周囲の外国人が日本人学生を通じ日本への好印象を持ってくれたら、将来のリーダーが集まるKSGのことですから、どこかで実を結ぶかもしれません。
歴史問題は何をもって「解決」とするかは極めて困難ですが、ナイ教授の発言が示唆に富んでいます。日米間でも原爆投下への認識は一致していませんが、現在両国間でそれを巡って論争しているわけではないのですから。
日本人一人ひとりが日本のソフトパワーの担い手である、というのは本当にその通りであると思っています。別に留学生だけでなく、海外旅行客やビジネスマンも含め、一人ひとりの発言や行動様式が、世界での「日本観」「日本人観」を形作っていく重要な要素なのでしょう。
留学前から念頭に置いてはいたことですが、改めて自分の中でこのことの意味をかみ締めながら、日々を送っていこうと思いました。
忘れないうちにと思ったのですが、朝日新聞の「日本の戦略」に関する連載記事で、この木曜にソフトパワー、金曜に日本外交の対外発信力等について触れていました。イェンチン図書館にあるかと思いますが、ご参考になれば。
朝日の記事、情報有難うございます。早速図書館でチェックしてみます。そういえば、ナイ先生がおっしゃっていましたが、慶応大学の教授が近々日本のソフトパワーに関する本を出版されるそうなので、そちらも注意していきたいと思っています。