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讃州菴

讃岐善通寺周辺のちょっと昔を探検してみよう。
善通寺・旧陸軍十一師団・琴平参宮電鉄など。

栄町 その1

2010-07-11 | 町並(善通寺市)
善通寺市 栄町の町並


地図上の赤いラインが栄町
善通寺市 栄町


善通寺市片原町から北西方向に望む。手前の太い道が片原町。
旧朝日湯(銭湯)の西を通り、中通りに抜け、更に皇子の森を通って本郷通りに至る道。

平成16年撮影。

栄町 その2
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷6


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3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷6(平成22年)

2010-07-10 | 遺跡・古墳
善通寺市 国指定史跡有岡古墳群 野田院古墳 平成22年

善通寺市、国指定史跡有岡古墳群、野田院古墳(3世紀後半築)を前方部から望む。
後円部近くに展望台が設けられ、古墳を一望できる。



平成22年3月撮影。

栄町 その1
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷5



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3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷5(平成22年)

2010-07-09 | 遺跡・古墳
善通寺市 国指定史跡有岡古墳群 野田院古墳 平成22年

野田院古墳(3世紀後半築)の全景である。
前方部は盛り土で、後円部は積石で築かれている。
平成6年当時は、まさかこんな立派な前方後円墳とはつゆ思わなかった。


平成22年3月撮影。

3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷6
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷4


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3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷4(平成11年)

2010-07-08 | 遺跡・古墳
善通寺市 国指定史跡有岡古墳群 野田院古墳 平成11年

野田院古墳が築かれた3世紀後半といえば、中国の魏呉蜀の三国時代末期、日本の卑弥呼死後の倭国大乱の時代。どちらにせよ野田院古墳は、前方後円墳が出現して間がない頃に築かれたのだから凄い。

平成11年2月撮影。

3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷5
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷3



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3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷3(平成11年)

2010-07-07 | 遺跡・古墳
善通寺市 国指定史跡有岡古墳群 野田院古墳 平成11年

善通寺市、国指定史跡有岡古墳群の野田院古墳(3世紀後半築)の整備事業が始まったのは平成9年からだったと思う。
野田院古墳は、善通寺市デジタルミュージアムによると「全長44.5mの前方後円墳です。前方部は長さ23.5m×最大幅13m×高さ約1.6mで、盛り土をした後に表面に石を置き、後円部は直径21m×高さ約2mで石だけを積んでつくった「積石塚」になっています。」


平成11年2月、後円部撮影。

3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷4

3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷2



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3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷2(平成6年)

2010-07-06 | 遺跡・古墳
善通寺市 国指定史跡有岡古墳群 野田院古墳 平成6年

善通寺市、野田院古墳(3世紀後半築)の石室内部である。今では古墳周辺に柵が廻らされており、直接触れたり、内部を見ることはできない。


3世紀後半築という前方後円墳発生期の古墳であることに興味を惹くと共に、ここが弘法大師空海の氏祖讃岐佐伯氏の本貫地であることから関心は尽きない。


平成6年6月、後円部石室内撮影。

3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷3
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷1


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3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷1(平成6年)

2010-07-05 | 遺跡・古墳
善通寺市 国指定史跡有岡古墳群 野田院古墳 平成6年

善通寺市には国指定史跡である有岡古墳群がある。
王墓山古墳・磨臼山古墳・宮が尾古墳・鶴ヶ峰四号墳・野田院古墳・丸山古墳の計6基が国指定を受けている。

野田院古墳(のたのいん)は、讃岐平野の最高峰大麻山(おおさやま、616m)の中腹(405m)に位置する。テラス状平坦部の非常に高地にある古墳として知られている。香川県一であるのはもちろん、四国一高所にある前方後円墳である。

今でこそ、古墳公園として整備されているが、つい最近まで墳丘上に雑草が生い茂っていた。
因みに「野田院」とは、中世この辺りにあった寺院の名と謂われている。


平成6年6月、後円部撮影。


3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷2(平成6年)へ
重要文化財 金刀比羅宮旭社(旧金光院松尾寺金堂)


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重要文化財 金刀比羅宮旭社(旧金光院松尾寺金堂)

2010-07-04 | 近代建築物(琴平町)
重要文化財 金刀比羅宮旭社(旧金光院松尾寺金堂)

金刀比羅宮旭社、弘化2年(1845)築、重要文化財。旧金光院松尾寺金堂
もとあった薬師堂を弘化2年に金堂として再建したもの。
慶応4年に出された神仏分離令により金光院松尾寺(金毘羅大権現)は、松尾寺と琴平神社(金刀比羅宮)に分離させられた。明治2年、松尾寺の金堂は金刀比羅宮旭社と名を変え、仏壇を廃して神座に改めた。松尾寺境内の堂宇は次々と神式の社殿に改めた。

旧金光院松尾寺金堂は、文化10年(1813)起工式、天保8年(1837)上棟式、弘化2年(1845)入仏式(竣工)と32年かけての事業だった。

以前紹介した土佐燈籠は、旧金光院松尾寺金堂(旭社)の両脇に建っているが(当写真には写っていない)、土佐燈籠の奉納年が弘化2年だったのは偶然ではなく、入仏式に併せてのことだったのだ。竣工時に土佐燈籠も2基、重みを感じるなあ。

関連記事:才谷屋助十郎~こんぴらさん常夜灯(2010-06-18)
関連記事:才谷屋家とこんぴらさん(2010-06-25)

平成22年6月撮影。

3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷1(平成6年)
帆立瓦・鬼瓦(善通寺市 瀬川酒店)




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帆立瓦・鬼瓦(善通寺市 瀬川酒店)

2010-07-03 | 近代建築物(善通寺市)
帆立瓦(国登録有形文化財 瀬川酒店主屋)
帆立瓦 善通寺市 瀬川酒店

鬼瓦(国登録有形文化財 瀬川酒店東蔵)
鬼瓦 善通寺市 瀬川酒店

国登録有形文化財、瀬川酒店主屋(大正6年築)にも帆立瓦がある。
帆立瓦については、山下酒店のところで述べたとおりである。(2010-05-21参照)

国登録有形文化財、瀬川酒店東蔵(大正6年築)の鬼瓦は何だか波のような形。鬼瓦とは言わないのかも。詳しい方、教えて下さい。

平成22年4月撮影。

重要文化財 金刀比羅宮旭社(旧金光院松尾寺金堂)
千當丸(千当丸)就航記念碑【坂出市与島町】
国登録有形文化財 瀬川酒店東蔵



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千當丸(千当丸)就航記念碑 【坂出市与島町】

2010-07-02 | 近代建築物(坂出市)
千當丸(千当丸)就航記念碑【坂出市与島町】
千当丸(せんとうまる)とは、大正13年~昭和63年まで運行していた定期連絡船。瀬戸大橋開通まで坂出市内の島民の足として利用された。航路は坂出港~下津井港で、途中、櫃石島・岩黒島・与島・瀬居島に寄港した。記念碑は平成21年7月2日に除幕し、今日でちょうど1年になる。千当丸は千当海運所属。


「備讃商船、坂出・與島・下津井線時刻賃金」表(昭和5年~16年のいずれか)によると、一日往復4便ずつ、坂出~下津井間が1時間で、60銭。備讃商船も櫃石島・岩黒島・与島・瀬居島に寄港する。→「備讃商船」というのは会社の名前か?備讃地区で操業していた船舶会社の総称?


平成22年4月撮影。

帆立瓦・鬼瓦(善通寺市 瀬川酒店)
国登録有形文化財 瀬川酒店東蔵



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