日下家の由来
日下家は、代々にわたり大内郡の大庄屋と引田村及び馬宿村の庄屋を務めてきた家である。
初代は寛永7年(1630年)没の日下彦右衛門であるとされ、十四代七郎左衛門の明治2年まで続いている。
当家文書によると、当時は庄屋の下に町頭を置き、文政10年(1827年)には90余軒もの商店を取り締まっていた事や、また浦には浦年寄を置き、出入の船や回船の取り締まりをした事など、海に面した村の庄屋の様子がうががえる。
屋敷、建物は、江戸時代の庄屋としての格式を随所に残しており、長屋門、母屋、蔵が配置よく並び、それらを囲む土塀も残っている。
土塀は更に東へ五、六間、北へ十間伸びていて、戦前はそこまで屋敷が続いていた。
長屋門には使用人の部屋もあり、母屋の土間には大きな「クド」があった。
江戸期を示す「かんじょう場」などの間があり、庭もこの時代の特色を持っている。蔵は四部屋あったが、今は三部屋で江戸期の風情がうかがえる。
当家から近年発見された江戸期の絵図を見ると現在の屋敷の前に土塀続きの広大な屋敷が描かれている。この事から後になって現在の場所に移築したことがわかる。
それまでは近くに浦番所、台場、藩の米蔵があった事から藩関係の施設があったものとみられている。
以上、案内板より。
平成25年3月撮影。
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重要有形民俗文化財 山本醸造場醤油蔵、麹室1【東かがわ市引田】四国村
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