桜を観て寺を見ずでは忍びないので、福成寺を…。
本堂に「当山沿革」あり。以下はその要約。
浄土真宗本願寺派梵音山真興院福成寺と称す。
開基は、聖武天皇の頃、行基の開山と伝えられる。
嘉承元年(848)真言宗に、応永28年(1421)、中興の祖、了圓により、真宗に改宗す。
後小松天皇の応永元年(1394)、長尾大隅守の執権職である幡多惣左衛門正家が68歳の時、出家し了圓と号し、この地に福成寺を再建した。了圓の後、長尾元高の第9子、高乗をその嗣とし、乗高と号し、当山第2世となった。以後、法灯連綿今日迄及ぶ。
諸堂宇も整い大いに盛んであったが、天正の兵火で焼失。以後再建。天正14年には、羽柴秀吉から京都大仏殿供養に命ぜられている。
長尾氏は、聖武天皇の子、橘諸兄の子孫が讃岐国三野郡筥御崎(現三豊市詫間町箱)に住み、海崎(みさき)氏と称し、その26世孫海崎豊前守元村に至り、鵜足郡長尾に移り、長尾氏と改めたもの。
戦功により、長尾炭所・岡田・栗熊に封を受けた。
福成寺は、古くから讃岐院家寺院の五ヶ寺の一つに数えられる。
讃岐院とは、保元の乱で讃岐に配流となり崩御された崇徳上皇のこと。
以上、要約。一部補筆。
長尾氏との関係は詳しく書いてあったが、崇徳上皇とのゆかりについて、もっと知りたいなあ。
平成23年2月撮影。
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福成寺の桜2【丸亀市綾歌町栗熊西】
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