制御屋の雑記

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【正論】大陸とは一線画す台湾の歴史教科書、日本統治も冷静で客観的な記述

2006-02-09 | 海外関連

 日本の社会も教科書も、日本人として正しかったことや間違っていたことなどを包み隠さずに、正確な史実を後生に教え伝えるべきだと思います。
 我々の世代でもそうですが、あきらかにちゃんとした史実を教わってはおりません。調べてみると、なんじゃこりゃー、みたいな話が山ほどありますね。無知は罪なりだと思いますし、これでは過去から学ぶということが出来ません。海外で、自国の国歌や簡単な歴史すら知らないというのは恥さらし以外の何者でもありません。
 日本国政府は愚民政策でも取っているのか? と小一時間。

 
 『台湾の声』
 産経新聞(2006年2月5日)より転載。
                      拓殖大学教授・藤岡信勝
≪日本の郷土史から示唆も≫
 第二次世界大戦後、台湾では国民党支配の下で長い間、学校教育で教えられる歴史は中国大陸の歴史だった。台湾の子供は、自分たちが生まれ育った台湾の歴史や地理を、それ自体として系統的に学ぶ機会を与えられなかった。

 李登輝氏が台湾人初の総統として登場してから、状況は大きく変わり始めた。教育の「台湾化」の流れの中で、国民中学一年の教育課程に「認識台湾」(台湾を知る)という科目が導入された。その歴史編で、台湾史が初めて系統的に学べるようになった。

 この科目が導入される背景について、私は六年前に台湾師範大学の王啓宗教授から話を伺う機会があった。王教授は一九七四年、同大で「台湾史」の授業を初めて開講した先駆者である。当時の政治状況では、清朝末までが扱う限度だったというが、「認識台湾」という科目の成立には、意外にも日本の郷土史が関係しているというのである。

 王教授は台湾の文化財保護の審査委員を委嘱され、日本に視察旅行をする機会があった。そこで、日本の各地で小中学生用の郷土史の副読本が盛んに編纂されていることに気づく。これは王教授に一つのヒントとなった。

 台湾でも郷土史としてなら台湾史を学校教育の中に取り入れることができるのではないかと。

 台湾がまだ名実ともに独立国家となり得ていない政治体制の下では、首都はいまなお南京であるという建前が残っている。そうした中で「台湾史」を系統的に教える方法は、郷土史として教育課程の中に導入することだった。

≪存在感大きい『認識台湾』≫
 事実上初めての台湾史教科書とされる『認識台湾(歴史編)』の編集責任者となったのは、王教授の指導学生だった呉文星教授である。同書の序文にあたる「編集大意」には、次のように書かれており、王教授の証言を裏付けている。

 「本書の主旨は生徒に各エスニックグループの先人による台湾開発の史実を認識させ、団結協力の精神と、愛郷愛国の情操、世界観を具えた抱負を養うよう指導すること、そして生徒の台湾の文化資産に対する理解を強化し、それを大切に守ることを知らせることにある」

 『認識台湾』は日本統治時代の歴史を冷静、客観的に評価する記述が話題となり、日本語にも翻訳された。この教科書に、台湾総督以外でただ一人登場する日本人の名前がある。それが「八田ダム」を建設し、十五万ヘクタールの耕地を造成して、「嘉南大●(たいしゅう)の父」とも呼ばれる日本人技師・八田與一である。

 私は昨年の暮れ、自由主義史観研究会の台湾研修旅行の一環として台湾師範大学を訪問し呉文星教授と面会した。呉教授によれば、『認識台湾』には大陸との統一を目指すグループからの批判もあった。しかし、教育現場からの批判の声はほとんどなく、台湾の教師たちはこの教科書を受け入れたという。

 『認識台湾』は、一九九七年から二〇〇一年までの五年間、国定教科書として全国の中学生が学習した。その後、台湾では検定教科書制度に変わったため、現在は民間会社が発行する六社の教科書が使われている。しかし、それらはいずれも『認識台湾』の記述をベースとしている。『認識台湾』は過渡的な役割を十分に果たしたのである。

≪歴代総督の顔写真も掲載≫
 十二月初めには「台日民主教育交流訪問団」と「新しい歴史教科書をつくる会」の役員との懇談が東京で開催された。この席で、台湾教授協会会長の戴寶村団長は、今年の九月の新学期から使用される高校段階の「台湾史」教科書九冊を検定中であり、その中には、十九代にわたる台湾総督の全員の氏名と顔写真を掲載しているものがあるという事実を明らかにされた。

 戴氏は、日本統治時代の記述見直しが中学校用の『認識台湾』のころよりさらに前進していることを日本の関係者に知ってほしいと強調した。

 年末の台湾師範大学での場面に再び戻る。会合の途中で、呉教授は席を立ち、面会リストになかった方を伴って現れた。何と六年前にお会いした王教授だった。

 王教授は定年退官された後も、非常勤で大学院生のための上級日本語クラスを担当しており、扶桑社の『新しい歴史教科書』をテキストに使用しているという。

 私たちは、大判になった改訂版を王教授に贈呈した。王教授は大変喜んでくださった。そこには日本の教科書で初めて『認識台湾』に触発された八田與一の人物コラムが掲載されていたからである。
 (ふじおか のぶかつ)

          ●=土へんに川

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