poliahuの旅日記

これまでに世界42ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

マレーシア篇 その4

2024年09月29日 | アジア
いよいよマレーシア篇も最後です。この記事では、以下の地図の➍と➊を訪れました(なお、プトラジャヤはクアラルンプールに近いため➊にまとめています)。
また、後の下線部の数字にも対応しています。

4・1 ジョージタウン ⇒クアラルンプール (2020年1月1日)

前夜は夜ふかし
カウントダウン・パーティーの音が1時過ぎまで聞こえていたので、日記を書いて過ごした。
自前のビールが尽きた後はcomplimentaryのジン、そしてウオッカをトニック・ウォーターで割りながら

8時ころ目覚め、まず窓を開けてみる。ん~ 朝の陽光がさわやか


朝食をとるため、新館(victory annex)のSarkiesへ向かう。白い廊下はピッカピカに掃除されている。



会場の様子などさすがに撮れないので魅力を伝えきれないのだが、たぶんこれまでの人生で最も贅沢な朝食ビュッフェだった
中華料理コーナーでは麺類をオーダーできるみたいだったし、パンや果物も種類が豊富、インド料理コーナーも充実。マレーシアの朝ごはんの定番、ナシッ・ルマはおにぎり2個大の米を葉で包んで蒸してあった。さすがに多すぎるのでパスして、中華式お粥を2杯いただく(画像は撮っていない)。非パン党の自分にとって、お米にありつけるのはホントありがたや~


朝からキッシュ

左端のモルタデッラは柔らかい舌触りに えもいわれぬ香り・・・


部屋に戻りがてら、前夜のパーティー会場の横をかすめる。

椰子の木の合間、道教の赤い祭壇がここはオセアニアじゃないよと主張している

このホテルに滞在した著名人たちの写真が飾られているコーナー(鏡にチラ写りする自分にモザイクをかけた)。
不勉強で大半が誰やら分からないのだが、孫文とチャップリンは認識できた。

ドリアンとマンゴスチンは禁止とな。カンボジアの部屋でドリアンを食べた翌朝、下水道の不調かと思ったら種が異臭を発していたのを懐かしく思い出した。面白すぎる 
てか、マンゴスチンもそうなのか 知らんかった・・・

この日は、夜までにクアラルンプールに戻ればよいという緩~いスケジュールだった。なおもこのペナン島を歩きまわることもできたが、それまでの2日半で充分満ち足りたという思いが強かった。
よって、チェックアウトの12時まで部屋でのんびり過ごすことにした。詰め込み魔の自分にしてはかなり稀有なパターン
前日は全く気付かなかったが、ベッド横の壁に何かを発見。

なんと、呼び鈴 在りし日の宿泊者たちの様子を勝手に妄想する・・・が、人を意のままに操るなど自分には縁遠すぎる異世界

紅茶を淹れて飲みながら、荷物をパッキング ←のんびりソファに座って堪能できないあたりが貧乏性
部屋備え付けのお茶缶たち。ラインナップに煎茶があるとは心憎い。
なお、売っていないかと後で館内のショップに行ってみたが同じのはなかった、残念 (それもそのはず、この記事を書くにあたり調べたところアメリカはニューヨーク生まれのメーカーだった


部屋を出る前、最後に再び窓に近づく。そう、旧館(heritage wing)にはベランダがないのだ。


前日の夕方から刻々と異なる表情を見せてくれたアンダマン海に別れを告げる。

ロビーにはクリスマス感が漂う。

ツリーの奥はこんな感じ。

チェック・アウトを済ませ、フロントにタクシーを呼んでもらう。待つ間も館内をキョロキョロ
その昔このホテルで使用していたと思われるお皿が展示されている(ガラスに写る自分にモザイクをかけた。通常はショッキングピンクで塗りつぶしているが、雰囲気を損なうと思い茶色にしてみた)。

下の画像、右に見ゆるは旧式のエレベーター。

アップで撮るとこんな感じ。

欲を言えば、ユニークなサファリ制服に身を包むベルボーイさんをカメラに収めたかったけど、勇気が出ず

フェリーターミナルへ向かう道中、タクシーのドライバー曰く 正月休みの人々が都会へ戻るから今日は混んでるよ、と。クアラルンプールへ向かう人が多いのかと尋ねると、他にもイポーやジョホール・バルへ行くのだという。日本と同様に、年末年始は帰省する習わしがあるのね。鉄道のチケット取れないはずだよ~
橋が架かる前の島民よろしく、フェリーでバタワースに渡ってクアラルンプールへ向かう。鉄道じゃないのが一抹の心残りではあるけど、古めかしい行程に準じてみた。
混雑の情報を聞いて、ふとマラッカへのバス便を待った数日前の記憶がよみがえる。1~2時間レベルで待たされるのかと思いきや、10分後の便から選び放題だった。供給が潤沢なようでラッキー
30分後発の便をチョイスし、待つ間にバスターミナル併設のショップでお土産のお菓子を購入。シャレで職場向けに買ったドリアンチョコ、さっそく鞄の中でかほりが漂っている感じ
(フラ仲間に買ったスタンダードなチョコは先生がいたく気に入ってくださった。ドリアンのは同僚からさして反応がなく、可もなく不可もなくなのか もし興味を持たれた方がいらっしゃったら、Beryl’sのチョコレートをお試しあれ)

クアラルンプールまでの数時間、この日の夜と翌日の行き先を考えながら過ごす。
なんとなく車窓に高層ビルが増えたなと思ったら、もうバスステーションの近くだった。結局バタワースから所要4時間40分、17時40分に到着。
この当時は19時半くらいが日没。明るいうちの到着でホッ
往きにKTMの遅さに懲りたので、迷わずKILA transitをチョイス。本日から2泊する宿の最寄りはKLセントラル駅。巨大な駅ゆえ反対側に出てしまうとサイアクなのだが、「ヒルトンホテルの反対側」を目指してあっさり解決。NU Sentralという大きなショッピング・モールの中をすり抜けてKLモノレール駅への道の途中で外に出ると、かなり高層のホテルが遠目に見え、いとも簡単に到着。やったね
ネット予約の画面を見せるまでもなく、パスポートのみでチェック・インが完了。
と、そう広くもないロビーで日本語が聞こえてくる。中学生らしき生徒たちを引率している教員が何がしか喋っているようだった。日本から比較的近くて海外経験を積むことができる、修学旅行先にはいいかもなぁ・・・時代だから仕方ないけど、20歳が初海外の自分にとってはうらやましすぎる
この旅最後の部屋は超シンプル。日本でいうなら東京駅付近に泊まるようなもの、狭いのはやむをえない。が、ダブルベッドなので専有面積がハンパない。どうやらこの国ではダブルが基本のようで、1人泊で予約してもシングルやツインの部屋に通されることはなかった。
そしてまた、この国でスタンダードな固定のシャワーヘッドだったが、すぐにお湯に切り替わる。率直に言ってホテルの外観は古びていたが、実利あれば良し

18時半過ぎ、ホテルを出る。マレーシア滞在もいよいよ大詰め、食事もカウントダウンが始まっている。チャイナタウン南のニョニャ料理店を選び、クラナ・ジャヤ・ラインで1駅のパサール・スニで下車。6日前に泊まっていたとはいえ足を踏み入れていないエリアにあるお店に向かう途中、ややさびれている感じがした。暮れかかっていることもあり、時折後ろを振り返りながら慎重に歩く。
遠目にお店はつぶれたのかと思ったほど、アピールはゼロ。でも近づくとopenの札が出ている。恐るおそる扉を開くと、あっさり通してくれた。19時で先客は3組。
店内にはレトロな冷蔵庫があったり、昔の写真が飾られていたり。


迷いつつチョイスしたニョニャ・ラクサは大正解 【海老のスープをベースに、スパイスとココナッツミルクを入れて煮込んだ麺料理】
辛いラクサにココナッツミルクが加わることで、自分好みの味わいになっている。一瞬 油条と見紛った厚揚げ(画像手前)は美味。画像には写っていないが、そのほかに鶏胸肉・カマボコ・モヤシが入っていた。麺は素麵のような極細のと、中華麵の2種入り。このお店にしてよかった

去り際、華人と思しき店員さんがお釣りを渡しにきてカタコトで "ありがとう” と。そっか・・・日本人とばれてたか。心の中でペロリと舌を出す。中国人と間違われることの多い自分、いつの頃からか どう見られるか面白がるようになった

食後はRiver of Life KLを見ようと決めていた。お店から500mほど北の方角を目指して、セントラル・マーケットの中を通って進む。5日前に下見したけど、ここにたどり着くまでの間にマラッカで・ペナンでお土産をほぼ入手してしまったので、結局買わずじまいだった。
パサール・ベサール通りに架かる橋の上から、50m北方を眺める。ここはクラン川(右)とゴンバック川(左)の合流地点で、クアラルンプールという地名由来の場所である。
【19世紀までジャングルだったこの一帯だが、1850年代に錫の鉱脈が発見されると中国人が入植。2つの川の合流地点に最初の集落をつくったらしい。錫を川で洗ったら水が泥のように濁ったといわれ、クアラルンプールとは「泥の川の合流地」を意味する。River of Life KLは、2本の川の浄化プロジェクトの一環として川面をブルーに照らすライトアップと、音楽に合わせた噴水ショーを毎晩実施している】

もう少しズームアップ。三角洲に建つはマスジッド・ジャメ【1909年にイギリス人が建築、市内最古のモスク】。
綺麗だなぁ・・・クアラルンプール最初の夜に失念しちゃったけど、リベンジする機会があったのはラッキー この町の原点を訪れずして去ることになっていたら、無念すぎる。

21時過ぎに始まる噴水ショーを待つのはさすがに難しく、退散することにする。
パサール・スニ駅へ戻る途中の果物屋さん。人通りを当て込んでいるのだろう、付近には他にも露店が出ていた。


例によって、帰り際にコンビニでゲットしたビールでがっつり晩酌。
柑橘の香りが効いてて美味しいな~ 帰国後にリピ買いするほど気に入った1664 BLANC。

この国で何度も口にしたtigerだけど、クリスタルは特別バージョンらしい。ビールの味音痴な自分にはあまり違いが分からなかったけど


1 クアラルンプール ⇔プトラジャヤ (2020年1月2日)

8時過ぎに起きて部屋の窓から外を眺めると、前日に通り抜けた巨大なショッピング・モールと林立するビルに囲まれている。
しみじみ、都会のど真ん中だなぁ・・・

そして、KLモノレールがバッチリ見下ろせる。

朝食は、汁物代わりの温かいビーフンから。青梗菜がうれしい

自分にしては珍しく、朝から肉に手を出す。


この日はまる1日時間があったので、少しだけ遠出することに。KILAトランジットに乗り、クアラルンプールの南25㎞にあるプトラ・モスクを目指す。
30分ほどで最寄りのプトラジャヤ&サイバージャヤ駅に到着。目的地へはさらにタクシーで10分かかる。駅を降りタクシーの表示に従って歩くと、構外にカウンターを発見。
ドライバーらしきインド系のおじちゃんがものすごい勢いで話しかけてきた。帰りのアシを確保しておけとガイドブックにあったので 往復でいくらか尋ねると、まずカウンターで2RM払えという。後はメーター制なんだそうだ。たしかにカウンターの貼り紙をよく見るとそう書いてあったので、素直にカウンターで支払う。受け取ったレシートをドライバーに渡し、乗って到着したら往きの運賃をまず支払い、待っていてもらって最後降りる時に復路のお代を渡すのだという。面白いな~ 
ちなみに、往きは10.2RMだったけどおじちゃんが端数をまけてくれて10RM、帰りは10RMジャストだった。

水辺に構えるピンク色のプトラ・モスク、青空によく映えている

付近は整備が行き届いている感じで、小綺麗。スリランカでいうスリジャヤワルダナプラコッテのように、ここは行政機能が集中している場所らしい。
【1990年代半ばから建設開始。「未来型エコシティ」を標榜し、エリアの38%を公園・湖・湿地帯が占める。人造のプトラジャヤ湖を囲むように、首相官邸をはじめとする行政機関が並び立つ】

いよいよ中へ【事前に調べたところ ムスリムでないと入場できないという誤情報が散見されたが、宗旨は関係なく入れるのでご安心を】。
さて、下2枚の画像をご覧ください。お気づきでしょうか・・・見学時に貸し出されるローブも濃いローズピンクというこだわりっぷり 
私もフードを頭からかぶり、ダルマ はたまた てるてる坊主のようなフォルムで見学しましたとも。恐ろしくて画像など載せられない、トホホ


内部も徹底的にピンク、ピンク、ピンク

観光地としてもメジャーらしく、バスが何台もやってきては中華系の人々を降ろし、賑わっていた。が、タクシー乗り場はない。
【プトラジャヤ&サイバージャヤ駅以外の所からタクシーで来て普通に降りてしまったら、帰りは歩くしかないだろう。最寄り駅を経由せず訪れる場合は注意が必要かも】

同じルートをたどって、正午ころKLセントラル駅に帰着。6日前に休日で振られたマスジッド・ジャメへ急ぐ。中休みがあるため12時半までに訪れないと、次は14時半以降になってしまうのだ。クラナ・ジャヤ・ラインに乗り換えて2つめ、その名もマスジッド・ジャメ駅へ。初めて降りた駅だったが、迷うまでもなく目の前に目的地があった。6日前には閑散として若干治安が悪そうに見えた付近は、モスクが開いているとガラリと雰囲気が変わり明るかった。なお、ここは前夜ふたつの川の合流地点に浮かび上がっていたモスクである。

受付で氏名・国籍・人数をノートに書かされる。書いている最中にJapanかと聞かれ、肯定する。今回このパターンが多かったな・・・華人系が3大勢力を占める国だから、違いが分かるらしい。中国人に間違われることがなかった、自分の旅史上ではレアケース。
ここでもローブをかぶる。ジョージタウンのカピタン・クリン・モスクにて この国に来て初めて羽織る洗礼を受けた際は暑さに閉口したが、もはや慣れてきた。マレーシアのモスクでは着衣指導が厳格。郷に入れば郷に従うまで
壁はレンガ造り。短パンの男性観光客たちは腰にバティック布を巻き付けている。

床は大理石。

装飾は控えめでシンプル。

モスクの北に垣間見えた古そうなドーム。旧連邦調査ビルのようだ。


次はエステに向かう。マレーシアでも体験してみたいと思い、ホテル内のスパに予約なしで飛び込んでみることに。
再びクラナ・ジャヤ・ラインに乗り3つめ、KLCC駅で降りる。首都随一の高層ビル街はさすがに巨大で、初めて踏み込んだエリアにとまどいつつ 地図を見ながら西へ進む。
無事たどり着き、ロビーにいたホテルマンに用件を伝えるとスパまで連れて行ってくれた。親切
スパの受付にはマレー系の男性スタッフ(30代前半くらい)が1人いて、メニューは何にするかと聞かれる。やはり、traditional Malaysianでしょう
すると、エステティシャンは男性しかいないけどいいのか?と問われる。ん そのメニューができるのは男性施術者しかいないということか、そもそもこのスパには男性スタッフしかいないということか?? 一瞬量りかねたが聞き返すほどの英語力もないし、プロであれば性別にこだわりはないので、もちろんYes.
今度は私の方から 何時なら施術できるか?とたずねると、僕は今空いてる、と。
ややっ まさかすぐに可能とは思っておらず、自分としては予約して一旦退くつもりだったので率直にビックリ あ、さっきのは今対応できるのは男性スタッフのみという意味だったか、なるほど・・・ともあれ、暑い中また歩いて戻って来るのも面倒だし、すぐに始めてもらうことにした。 
準備があるからと、プール前のソファでしばし待たされる。竹の装飾がほどこされた空間は、外気が通る構造になっている。


こちらが施術室。

共用の更衣室はなく、施術個室内にクローゼットがあり服と荷物を入れて鍵をかけるようになっている。使い捨ての紙パンツを履き、浴衣のようなものに着替えて待っていると、頃合いを見計らって先ほどの男性エステティシャンが入ってきた。
指示されるがまま、台(上の画像右)にあがって腹ばいになる。"マレーシアに来たのは初めて?” などと穏やかに会話しながら、背面から施術がスタート。
結果的に、お尻の半分まで紙パンツを剝がれた・・・イスラム教徒の女性だったら、ありえないんだろーなぁ。見ず知らずの男性と薄着で個室にいるので、大概恐れ知らずの自分もさすがにどうだろうと思わなくもなかったけど、それも一瞬のことだった。内側からは鍵がかけられない扉だし、ちゃんとしたホテルの中だからねっ ←これが主な理由で、あまたあるスパの中からここを選んだ
時間にして開始20分後くらいか、足の裏側を揉まれている時にうっすら意識を飛ばしかけたけど、最後まで眠ることはなかった。いつもは寝オチするのに・・・なんだかんだいって緊張してたのかな
どのあたりがマレーシアなのか素人にはよく分からなかったけど、力強いプッシュで しっかりほぐしてもらえた。凝り人にはラッキー 60分・238RM(≒7,000円)也。

来た道を戻り、スリアKLCC(ペトロナス・ツイン・タワーの6階までを占めるショッピング・センター)に入る。
こちらがクアラルンプールの象徴ともいわれるぺトロナス・ツイン・タワー(往きに撮影)【88階建て、高さ452m。タワー1を日本の企業が、タワー2を韓国の企業が建設した。マレーシア国営の石油会社ペトロナスの本社が入る。41階・42階にスカイブリッジが架かり、86階に展望スペースがある】。

中は吹き抜けになっている。

お正月らしい装飾。十二支は親近感ある、さすが中国文化圏だな~

この国最後の夜は、barで夜景を見ようと決めていた。その下見も兼ねてKLCCに足を運んだのだが、目星をつけていたお店はツイン・タワーの目の前すぎると判明し、他所へ行くことにする。やっぱ下見って大事だなぁ

再びクラナ・ジャヤ・ラインに乗り、途中KLモノレールに乗り換えてブキッ・ビンタン駅で下車。伊勢丹で高級めのチョコレートを買い、お土産をコンプリート。
さらに地下の中華料理フードコート(ロット・テン・フートン)で間食。といっても辛党なので、スイーツではなく牡蠣オムレツ【発祥は台湾とも福建省ともいわれる】。

荷物を置きにホテルへ一旦戻ると、17時前だった。
ツイン・タワーが見えるbarを検索し、18時に外出。再度ブキッ・ビンタンに降り立った。なお、この辺りは日本でいう原宿≒若者が多いスポットなんだそうだ。

伊勢丹とは道路をはさんで逆サイドにあるショッピングモール、パビリオン。アジアンテイストな噴水が素敵

その北にあるホテルの59階が目的地だった。予約なしで入れるかドキドキしつつ、エレベーターで上がる。
「暗くなる前に作戦」が功を奏し、庇の下のテラス席をゲット。際のテーブル席(下の画像)には通してもらえなかったが、途中から雨が降り出したので 結果的には濡れずに空中感を味わえるベストな場所を確保したことになる
日没まで1時間くらいなので、さすがに明るい。ツイン・タワーへの距離感がいい感じ

まずはマルゲリータ。18~21時に半額サービスで27.5RM(≒810円)也

グレーの空に映えるツイン・タワー。

西の方角にはKLタワー【421m、通信塔としては東南アジア1位の高さを誇る】。

迷ったが、2杯目もマルゲリータを注文(まだ半額)。

暗くなるほどに浮かび上がってくるタワー。

なお、東の方角は一転して高層ビルが少なめ。

3杯目はロゼワイン 45RM(≒1,323円)。

いつのまにかKLタワーが青に。

この年齢になったからこそ、こんな楽しみ方ができるんだろうなぁ・・・20代の自分だったら贅沢だと一刀両断、来ないな。
とはいえ昼間歩きまわって汗でベタベタのデニムにTシャツ、当時とさほど変わらない格好なのはこのさい棚に上げておこう

それにしても・・・クリスタルのように内側から放たれるこの透明感
これまで夜景にさほど興味がなく、日本も含め各地で追いかけてはこなかったので比較が難しいけど・・・クアラルンプールに泊まるなら、是非にとオススメしたい。



1 クアラルンプール ⇒出国 (2020年1月3日)

この日14時半過ぎの飛行機で帰国することになっていた。
8時過ぎに起きて朝食。敢えて前日とは異なるメニューを選ぶ。画像左からミー・ゴレン、ナシッ・ルマ、お粥・・・炭水化物のオンパレード

10時過ぎにホテルを出て、宿題のように残っていた国立モスク(マスジッド・ネガラ)へ向かう。何度となく乗ったクラナ・ジャヤ・ラインのホームにて。

たった1駅のパサール・スニへ向かう途次、目を引かれて思わず車窓からパシャリ クアラルンプール駅である【1910年、イギリス植民地時代の建築。2001年、KLセントラル駅が開業するまでは首都の中央駅だった。現在この駅に停車する列車は少ないものの、今なお現役】。

上の画像に引き続き、左はクアラルンプール駅。画像中央奥の水色の屋根が国立モスク【マレーシア独立の象徴として1965年に建設。金属製の屋根は18角形で、イスラムの五行とマレーシアの13州を表す。モスクで一般的なドームを持たず、敢えてモダンなスタイルの屋根にしたという】。

違う角度から、クアラルンプール駅。しつこくてゴメンナサイ

駅を降りて200m強、国立モスクに近づく。

ところが・・・開いていなかった。この日は金曜日、15時オープンなのだった。ガイドブックでは無休となっていたが・・・旅先あるある、縁がなかったと思うしかない

11時半前、ホテルで荷物をピックアップしてKLIA Expressにて空港へ。
正午過ぎに到着、搭乗手続きを済ませてウロウロしていると、前日にスリアKLCCで見かけたニョニャ・クエのチェーン店に再び遭遇【ニョニャ・クエ; 中国人男性移民と現地マレー系女性の子孫であるニョニャによって生み出されたお菓子。カラフルだが ローズシロップ、パンダンリーフ、バタフライピーフラワーなど天然の素材を使って着色】。
色とりどりのショーケースに思わず引き寄せられてしまう。




ちなみに、前日はこちらを食した。左がパンダンクー【亀の形をしたもち米のお菓子は何色かあり、赤いアンクーが最も有名。中には緑豆餡・小豆餡・ピーナッツ餡のいずれかが入っている。緑のはパンダンリーフで色を付けたもの】。右がplutドリアン【plut=もち米。バタフライピーフラワーで青く着色したもち米にドリアンで香り付けした黄色い餡をのせた、日本でいう「おはぎ」のようなもの】。

迷ったすえ、この日はこれらを食した。左がラピスselatan【ラピス=層。赤と白が9層重なるクエラピスが最も有名。ウイロウのような食感】。右は葉にくるまれていて、開くとミニ富士山のような形をしていたが、かじると中にグラムラカ(黒糖)で味付けされたココナッツが入っていた。

お酒を飲むようになってから、糖分は専らアルコールで摂るためお菓子は食べないことにしている自分。が、もともと和菓子好きなのでお餅系のニョニャ・クエは好みのど真ん中 
辛党もまんまと絆されるスイーツの魅力たるや・・・マレーシアを訪れたなら、是非お試しあれ。

★ 終わりに ★

記事「その1」を既読の方々はご存じの通り、マレーシア1・2日目に盛大にやらかした自分。実は、記事その3からその4にかけても2つ抜かった
ジョージタウン内のホテルを移動する際に、シャンプー・コンディショナー・洗顔料を置き去りにした。更に、身の丈に合わない高級ホテルのクローゼットに着古したジップアップパーカーを入れっ放しでチェック・アウトした(それがため、スリアKLCCのユ〇クロで代替の長袖を買うハメに)。そもそもフワ~ッと生きている自覚はあるが、それにしても これほど重なったことはなかった。旅が惰性になってきているのかなぁ、気を引き締めないと次は痛い目に遭うかも・・・反省しきりで旅を終えた。
それから何ヶ月もしないうちに世界は新型コロナウィルスでパンデミックとなり、3年半あまり海を渡ることはなかった。本当に何が起こるか分からない。

今回 マレーシア篇を書くにあたり調べていて、海南チキンライス・ホッケンミー・ラクサ・・・呼び名は同じでも、全然違うテイストの料理が隣国にあると知った。
東南アジアは随分まわってきたものの、未踏のままになっているシンガポール。いつか訪れてみたい、またも新たな炎がともるのだった

 おしまい 





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マレーシア篇 その3 | トップ | アイスランド篇 その1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿