岐阜県恵那市 城下町ホットいわむらの日々

横須賀から参りましたふるさと活性化協力隊員のブログです

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2015-02-13 | 日記
協力隊員として岩村に住み、活動を始めてから3年、もう間もなく任期を終えようとしています。

ご存知の方も多いかと思いますが、この地域おこし協力隊(恵那市の場合はふるさと活性化協力隊)は3年の期限で活動を終了し、その後の更新もありません。

なので、協力隊の人たちは任期中のミッションに取り組むと同時に、“その後”を見据えた準備をしていかなくてはなりません。

ここの部分が協力隊という制度の中でもっとも取り沙汰されることの多いところかと思います。

つまり、協力隊のミッションは究極的には、「その場所にその後も定住すること」なのですが、それが実現できない事例も少なくない、というか最近では定着率3割、というような数字も目にしており、いかに協力隊が保証されたものでないかを物語っております。

それはさておき。

何せ事態はわが身のこと。

現実として目の前に迫る4月からの生活(収入)をどうするか。この点について長い時間かけて悩み迷いながらここまで来ました。


先に結論をお伝えします。私は岩村を離れ、同じ恵那市内に居を移し、農業を自分の生業にしていこうと決めました。


もちろんすぐに農業で食べていけないので、年度明けから研修に励み、この時代に農業で暮していくための確実な力を養います。

これまでは岩村城下町をベースとした交流人口拡大のための活動が主でしたので、農村部と都市部の交流は自分のやりたい農業で重要な位置にありますが、今の活動と直接つながっているものではありません。

その賛否はいろいろあるかと思いますが、これまで関わってくださった多くの方々に受け入れていただき、後押しさえしていただきました。これからも岩村に、と期待をしてくださっていたところにも関わらずです。その懐の広さに心から感謝をしています。


近頃協力隊になる人の多くは、総じて意識が高く、自分なりのミッションを携えて地域に入っていく傾向があるように思えますが、私自身は協力隊として活動を始めて、はじめて地方やまちづくりという現場に出くわした口です。(ドラマ『遅咲きのひまわり』の主人公を思い出しますね。あの頃はまだ協力隊というと牧歌的なイメージが漂ってた気がします)

それでもいろんな事業に携わるうちにまちづくりの手法に興味をひかれ勉強し、この活動を通して得た岩村の資源をベースにこんなことやってみたい、と思うことがいくつも構想ができて、それはそれはワクワクしたものです。

と、同時にこの先も岩村で生計を立てようとすると、恵那に来るそもそものきっかけ~農的な暮らしを生活の中に取り入れたい~を果たすことないままになるのではないか、という懸念が頭に浮かび上がってきて、躊躇無く飛び込んでいくのをためらい続けてきたのでした。

そんなことは最初の時からわかっていたことではないか、と言われればその通り。でも新しい環境が新鮮で、まちづくりの可能性をひしひし感じてのめり込んでいく自分が余計に悩ましかったわけです。

それに加えて、岩村でなら自分はこうしたことがやりたい、と思ったことと、町として求めているものと、微妙なズレがあったことも、隠せるものではありません。

なら、同意を揃える前に行動しちゃえば良かったのに、と言われれば、それもその通り。成功している事例とは得てしてそういうもの。

今思えばあの時行動を始めていれば状況は変わっていたかもしれない、という分岐点がいくつもあったと思いますが、それをしなかったということは、結局は自分自身で一番欲していた結論に自分を導いてきたのかと思ってます。


まだ任期はあと1ヶ月半残っています。引継ぎはもちろんまだいくつか残ってる年度内の事業を終わらせないといけないので、総括するにはまだ早いのですが、これまでの活動を見守ってきていただいた方々に今後のことについてお知らせしたく、このような形でご報告をさせていただきました。

また任期いっぱいまでは岩村の情報発信に努めていきますので、引き続きよろしくお願いいたします。